日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。

この「日本国は倭国の別種なり」とは、「倭国の別の呼称が日本国である」という意味
国がつけた倭国を倭人の意志で改称したものである。日がのぼる東の辺に在ることから、日本を以って国名にした。これが中国の認識。
事実、これに続けて今度は日本国の使者がいう日本国号の成り立ちを並べている。
 「あるいはいう、倭の文字が好ましくないから、これを改めて日本とした」。
明らかに倭の文字を嫌って日本に改めたと述べている。
 「あるいはいう、日本はもともと小国で、倭国の地を統合した」。
 はじめから大国だった国などはない。倭国はもともと100余国に分かれていたものが、3世紀には30余国になり、それが日本国と
して一つになったのだから、国の成り立ちとしてはごくあたり前の話。

。中国の歴史書が人種や種族について別種と書いたときはどんな文章になるのかは、文章の前後をみせながらフェアに提示すると分かる。

人種や出自について「別種」と書いた場合
・『三国志』高句麗伝/東夷舊語以為夫餘別種、言語諸事多與夫餘同、其性氣衣服有異。
  (種族について別種と書いた場合は、言語・習慣・風俗・気質などについて共通点と相違点を説明している)。
・『後漢書』高句麗伝/東夷相傳以為夫餘別種、故言語法則多同、而跪拜一......。
 (種族について別種と書いた場合は、言語・習慣・風俗・気質にいて共通点と相違点を説明している)。

『旧唐書』と『新唐書』が種族や出自について「別種」と書いた場合
・『旧唐書』高麗伝/高麗者出自扶餘之別種也。其國都於平壤城、即漢樂浪郡之故地、在京師東五千一百里。
・『新唐書』高麗伝/高麗本扶餘別種也。地東跨海距新羅、南亦跨海距百濟、西北度遼水與 營州接、 北靺鞨。
 提示したような、『三国志』以来の歴史書が書きつないできた別種のいわれを省略しているが、 『旧唐書』は「高麗の出自は扶餘の別種なり」で、ちゃんと「出自」と書いている。

『唐会要』が国号について「別種」と書いた場合
・「古倭奴国也。在新羅東南、居大海之中。世與中國通。......則天時自言、其国近日所出故號日本国。蓋惡其名不雅而改之」。
 「倭国は古えの倭奴国である。.たぶん、倭の名が美しくないから嫌って改めたのだろう」。