【バブル期の風景】親「午前3時でも娘が帰ってないんです」会社「ええ、まだ働いてますが」
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斉藤惇(14)バブル 注文多く作業終わらず 利益日本一でも「倍増目指せ」
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO22225850T11C17A0BC8000/
野村証券は1987年9月期の決算で4937億円の経常利益を上げ、利益日本一になった。
野村元会長の田淵節也氏はかつて「私の履歴書」欄で当時に触れ
「今考えれば間違っていたが、その時点で世界一の金融機関になったと思った」
(2007年11月24日付)と語られた。
あの頃の野村が本当に世界一だったかどうか、よく分からない。
しかし翌88年も4000億円超の利益を上げ、少なくとも日本市場では
圧倒的な存在だという自信が、社内に満ちていた。(中略)
バブル期には転換社債やワラント債の売買も活発だった。
あまりに注文が多くて事務作業が追いつかず、関連部署の社員が午前2時、3時まで働くこともしばしば。
「ウチの娘が帰ってこないんだが」と心配した親御さんの電話を受け、
「ええ、まだここで働いています」と答えて絶句されたこともある。 さすがに3時に会社に残ってると聞くと余計不安になるだろ 会社もバブルがいつまでも続くって思ってないだろし、働いた分ガッツリ貰えてたならなんの問題もないな
今のブラック無休残業とは時代が違う 確かに午前1時に帰ろうとすると残ってる大勢に「あれ?今日は早いんだね」と言われたな
朝日を背に帰ってシャワーを浴びて、またすぐ朝日に向かって出社することもざらにあった >>5
午前3時まで娘が帰らないとか今でも異常事態だろ 接待で家に帰れないみたいな話は腐るほどあった気はするがそれはノーカンだろうし、そんなに働いてたっけか >>12
今も普通の企業はそうだぞ
36の関係でそんな働けないが 残業代フルで出ても深夜残業なんてしたくないけど
ボーナスが凄かったんだろうな >>11
バブル期の漫画見てても休みにスキー行って徹夜で運転して帰ってきてそのまま出社とかやってるけど昔のリーマンはタフだったのかそれとも仕事が楽だったのか 女をここまで働かせるのは法律で禁じられてたと思うが
男女で違ってた バブル期でも底辺は今と変わらず底辺だぞ
おまえらに景気は関係ないから黙って働け あのころ、早朝出社したら
徹夜組の女性社員がエレベーターホールに仁王立ちでユンケル飲んでたわ ボーナス200万とか当たり前だったとかネットで見た
その世代すげぇなぁ・・・と若い時分に思ったな >>28
都銀のカウンターにいた高卒女子が
賞与の袋が立つくらいもらってたな
ソースはおれのいとこ wikipediaより
また、労働基準法の改正(1997年)とも連動するが、
女性に対する深夜労働・残業や休日労働の制限(女子保護規定)が撤廃されている。 17時まで働いて更にそこから8時間労働が当たり前だからな >>1
>しかし翌88年も4000億円超の利益を上げ、少なくとも日本市場では
>圧倒的な存在だという自信が、社内に満ちていた。
一方、楽な仕事で1兆円の利益あげてるNTT DOCOMO >>22
やればやった分だけ返ってきたわけだしな
どこから返ってきたのか?って言ったら将来世代への借金だったわけだが >>22
よく言われる「日本は仕事の効率が悪い」の賜物。 >>22
タフなもんかい
酒やタバコやギャンブルへの依存度は
今の比じゃなかったよ 野村は当時から労働関係の法律守ってなかったのを
今現在、日経新聞で自慢してるようなもんなんだが
記者の頭は大丈夫か? >>37
遮二無二働くんじゃなくて
儲かる構造を作るのが大切と良く分かるなw 朝3時頃に業者にFAX送ったら3時半頃に業者から返答が来た異常な時代 >>23
そうだよね
女は遅い時間の残業はできなかった
22:00だったかな ちょうどバブルは学生時代だったけど大日本印刷の工場はグンを抜いてブラックだったわ。俺は五反田工場だったけど。
夜8時から朝8時までの12時間拘束で6250円。深夜残業込みと言うブラックぶり。
日払いだからそこらのプー太郎を使ってたみたい。
無論1日でやめたけど100人以上はいたわ。
俺は夜中に屋上で寝てしまって、やばいと思ってトイレに隠れてて朝何食わぬ顔で金だけもらって逃げたけど。 一日4時間労働で週休三日が当たり前の世界にならんかなあ 24時間働けますか?
ビジネスマーンw
ビジネスマーンw
ジャッパニーズ!!
ビジネスマーンw >>43
ドコモの場合は、いかに官僚と癒着して寡占市場を作り出す、潜り込むってことだな >>41
昨今仕事で倒れた奴らが立ち上がってるの見たことないんだけど… 24時間働けますかビジネスマーンビジネスマーンのリゲインでおなじみのバブル期だけど
仕事がキツくてもそれ以上の稼ぎと、将来の展望が有ったから、皆まだまだやれると率先してた
今はただキツいだけで、収入増えないだろ この時は頑張れば頑張っただけ報われた時代だろ
残業分の金が給料に換算されてなくても会社の業績が向上した分しっかり給料が上がって
皆が頑張る事に何の不安も感じてなかった時代じゃん
経営者も従業員減らして給料削減しようなんて思う必要も無かったし、今とは違うし
年金に関してもだが、この時に、能天気になんでもかんでも行った負の遺産がデカ過ぎるわ 銀行屋とか株屋とか
手数料ちょろまかすだけの仕事なのに
高給でむかつく こんだけはらたいらから戦後日本の復興と発展は早かったとよく聞くけど実際どうなん? 過重労働で見せかけの先進国作っただけで実態は伴っていなかったからな >>11
3時俺「お疲れ様っすー」
先輩「おう!また後でな!」
風呂飯仮眠を終える
6時俺「おはようございますー」
先輩「おう!」
懐かしいね(´;ω;`) あの頃は残業代が基本給を遥かに超えてたな。
みんな残業時間帯が100時間を超えていて、ナチュラルハイになってるか、ゾンビになってるかのどちらかだったw >>52
俺のまわりだと
仕事でうつになって元職のまま復帰して続いてるのは一人しか知らない
赤字になったら真っ先にリストラ候補だしな
会社で居場所をキープするのもサバイバルだわ >>9
あの頃の日本人は24時間モーレツに戦っていたのに、今の日本人はなぜ戦えなくなってしまったのか…
遺伝子は短期間では変わらないはずだよね? バブル弾けてから電車待ちでホームの先頭に立てなくなったと株屋が言ってた >>48
十分なお金を持っていたら働く時間減らして自由時間増やせるだろうし、そういう意味では金で買えるんじゃね? 暗がりの靴を探すのに
1万円に火をつける時代だっけ?
うらやましい そのまま帰らず朝9時になり次の日の就業が始まった時は死ぬかと思ったわ >>66
たいていは趣味は老後に後回し
した奴らは老後体力無くて何もできずヨボヨボしてるだけなんよ プレゼン資料を立派な製本してた時代、印刷屋は不夜城だったわ >>60
だから、バブルはじけた後に残業代カットで
住宅ローン払えなくなった人がようけおったんや >>5
娘が3時まで帰ってこんかったら誰でも通報するわ バブル期に無茶な労働を繰り返した結果、90年代にガンなど病気が増え、病棟がいっぱいになって大問題になったし、自殺者は3万を超えた。 >>67
デスクワークの奴らは半分サボってるから大して疲れちゃいないよ 徹夜しても、朝そんじゃ帰りますって帰ればいいじゃん
普通に帰って爆睡してるわ、勤務扱いで 北海道のサッシ屋とか、夏しか工事できないから夜10時までパートを拘束し、夜3時まで社員を拘束して生産してた
そして8時始業なので遅刻は厳禁だった ていうかパソコンも携帯もない時代の
作業なんてくっそ楽だろ
俺らなんて昔の3倍働いて
1/3の給料だから9倍は働いてるよ 午前3時まで起きてる親とかw
なんの仕事してんだよ >>62
そういう親を見て自分は家族を犠牲にするような親にはならないと考えた子どもが多かったんじゃない?
世代が変わって価値観が変わるってそういうことだろうし バブル期って30年前なんだよ、もう戻ってこないんや…
でも俺は過重労働を前提にした好景気は不要だと思うね。
バブルが弾けたのは、社会の矛盾を解決しなかったからだもの。 >>62
今の時代に1日24時間フルに稼働させるだけの仕事があるの? 残業代とか経費に誰も文句言わなかったからダラダラ居残って残業食まで
経費で食ってタイムカード押して帰るとかあったんじゃね 無駄な仕事とそれが習慣になってて
上司が馬鹿だから顔色伺う部下も巻き添えで帰れない
そんな事続いてミスが増えたら余計に仕事が増えるのに 土方も忙しくて働きまくったけど
工務店の社長とかと飲みに行くと一人十万くらい小遣いくれた
俺の親方、十六歳で九州から京都に来て二十一歳で結婚して一戸建てキャッシュで買ってたよ
型枠大工だ >>5
当時は普通に毎日遅くてな
上司が車で自宅へ送っていって謝罪したり、それで親がやっと子供の言ってることを信じてくれたり
そんな家が結構あったわ 田舎の中小でも残業なし20代事務員のボーナスが年間100万超えとか、訳の分からない時代だったもんな
夏冬に加えて決算賞与に報奨金、経費も使いたい放題とは言わないが出し渋りとかは無かった
今はボーナスとかマジで餅代くらいにしかならん… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています