>>50
アミューズ工作員さん、所属してた朝鮮女を日本人として国籍偽装工作してまで売りこんでときのように
また日本側のコンテンツのように成りすましですか? 
韓流ゴリ押し事業の本家本元であるアミューズが、調子のんなよゴキチョン


http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20130408/1048604/?ST=trnmobile
アミューズ大里会長「“97年頃から韓国に行き始め”、トッププロデューサーであるキム・チャンファン氏と出会ったことがきっかけで、“99年には彼のプロデュースでCOLOR(カラー)という4人組の女の子グループを日本でデビューさせた。”
“90年代後半には後に、BoAや東方神起、少女時代を生んだS.M.エンタテインメントの創業者イ・スマン氏が来日し、芸能プロダクション運営の相談を受けるといった交流もあった。”
“99年、韓国の映画館で偶然見た『シュリ』に衝撃を受け、即座に日本国内での配給(シネカノンと共同)を決意。渋谷公会堂での有料試写会(5回上映)を実施した。”
これに注目したマスコミを巻き込んで、一気に韓国映画ブームに火をつけたのが私だった。結果、『シュリ』は18・5億円の興収を記録した。
“『シュリ』の時点で、日本の映画より20年進んでいましたね。”今でも、日本映画界は相も変わらぬ徒弟制度なのに、
韓国には映画が学べる国立の映画学校が複数ある。彼らは国費で20年も前から、ニューヨーク大学(NYU)やロンドンのブリティッシュ・フィルム・インスティテュートに才能ある若者を留学させて技術を学ばせていました。
“韓国のエンタテインメント文化の奥深さに目覚めた私は、ソウルの小劇場が集う演劇の街、テハンノ(大学路)に通い始めた。”そして今回の「アミューズ・ミュージカルシアター」につながった。
有名どころでなくても、テハンノとか、“韓国には若い才能があふれてる。”
今、“アミューズの社員にもどんどん韓国に行ってミュージカルを見させてます。みんな刺激を受けて帰ってきますよ。今回の劇場展開は、今後の当社のアジア事業を考える上でも、一つのいい経験になる”と思っています。」
http://i.imgur.com/hEV3RA4.png
http://i.imgur.com/7ULscJC.jpg
http://i.imgur.com/y7B2hZh.jpg