ちな韓国の所業

・ビンディン省で9の村で化学兵器を使用して掃討
・プウエン省のタオ村で女性42人を殺害
・ブン・トアフラ地方〜ヨビン・ホアフラ地方にかけて市民の財産を略奪、寺院を焼き払ったり、仏教寺院から財産を略奪
・ナムフュン省で防空壕の中の老人と女性7人をナパームとガスで殺害
・アンヤン省の3つの村で110人、ポカン村で32人以上の市民を虐殺
・1966年1月11日〜19日にかけてビンディン省で400人以上を、1月23日から2月26日までにかけて1200人の市民を虐殺 (タイヴィン虐殺)
・ビンディン省タイビン村で住人65人虐殺 (タイビン村虐殺事件)
・ビンディン省で380人虐殺、しかも女性137人、子供76人、老人40人を防空壕に押し込めてガスで殺したり目潰ししたりした (ゴダイの虐殺)
・1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で数千の農家と寺院を燃やし、老若問わず女性を集団強姦した
・同年8月までビンディン省における焦土作戦を完了させる
・ブガツ省で3万5000人の市民が「死の谷」で虐殺される
・1966年9月、Binh Taiの虐殺で168人の市民が殺される
・1966年10月、共同作戦中の米軍と韓国軍が結婚式の行列を襲撃、花嫁含む7人の女声を強姦し宝石類を強奪、3人を川へ投げ込む
・1966年10月9日、Nien-Phuoc Binhの虐殺
・12月6日、Binh Hoaの虐殺で430人の市民が殺される。最も殺されたのは子供、女性、老人で中には21人の妊婦もいた。家畜類も全て殺され、家は全て焼き落とされた。生存者はベトコンになった

・1968年2月12日、クアンナム省フォンニィ・フォンニャット村で住民79人殺害 (フォンニィ・フォンニャットの虐殺)
・同年2月25日、同省ハミ村で住民135人を虐殺 (ハミの虐殺)