>>484
それに西ドイツは東ドイツと国境を接していたし東側諸国と近いこともあったからその必要性があっただけだろう
西ドイツ再軍備
http://www.y-history.net/appendix/wh1601-079_1.html
ドイツをNATOに組み込む
 また西ドイツのアデナウアーも東ドイツの警察部隊を警戒すると共に、国家主権を回復するために軍隊を持つことを熱望
していた。その両者の思惑は50年10月、フランスのプレヴァン外相の「欧州軍」構想として立案され、52年に「欧州防衛
共同体(EDC)条約」が締結された。しかし西ドイツは批准したが当のフランス議会がドイツの再軍備に反対して承認せず、
「欧州軍」は実現しなかった。続いてイギリスのイーデン首相の構想として西ドイツを西欧同盟に加盟させ、そのもとで主権を
回復させて再軍備を認め、ドイツ軍もNATO軍に加えるという案が浮上し、1954年10月、パリで開催された関係国会議で
パリ協定が成立し、ドイツの主権回復と共に再軍備が承認された。(略)

再軍備の反響
 ドイツの再軍備に対し、国内では野党社会民主党は反対し、若者を中心として徴兵制に反対する運動が起きた。しかし主権
回復を歓迎する意見が強く、NATO加盟は議会で多数で承認され、1955年5月5日にパリ協定が発効した。(略)
http://www.y-history.net/appendix/wh1601-079_1.html

西ドイツの事情や各国の打算があってのこと