>>237
大江という廷臣の談話を記録した『江談抄』という書物が残っており、そこに大江が派遣に反対したことと、
大江自ら断りの返書の文面を考えたという話が載っており、文章(大宰府から返事をした)そのものも残っている。
大江匡房は天皇の家庭教師みたいな公卿で、『江談抄』は大江の回顧談や自慢話みたいなことが書いてある。

実際には他の公卿らと「成功すれば丹波を取られるし、失敗すればこちらのせいにされて、助けてやっても
高麗から日本に不名誉と不利益がもたらされるだけから止めた方がいい」という議論をした。
一応高麗は貢物を沢山持ってきたので、無下に断るのもなんだから他の医者を派遣したらどうかという
意見を出した公卿もいた。