「殉教者の血は教会の種」という言葉がある。
16世紀に日本の支配者だった豊臣秀吉がこのことわざに気づいていたとすれば、彼は、それが日本には当てはまらないと判断したのだろう。

秀吉は、それまで急速に拡大していた国内のキリシタン社会を暴力的に迫害した。
秀吉は多くの日本人殉教者を生み出したが、キリスト教信仰は復活しなかった。
日本が世間一般の通念の反証となったのはこれが最後かというと、決してそうではない。

実際のところ、1868年の明治維新後、そして再び第2次世界大戦後に日本が成し遂げた急速な経済発展は、近代化に関するほぼすべての理解に反している。
19世紀の専門家は、当初、繁栄が可能なのはプロテスタントが多数を占める文化だけであると確信していた。
その後の専門家は、他のキリスト教社会でも繁栄が可能であることを認めた。
だが、日本における反キリスト教の歴史は、何の障害にもならなかった。

20世紀に入り、開発経済学者は「何か特別な推進要因がなければ急速な成長は、ほぼ不可能」と主張。
それは貿易慣習や、暴力的混乱を伴う社会革命、豊かな天然資源、国際的に連帯したマイノリティグループによる感化などだ。
だが、日本はこのいずれにも該当しない。

政治経済学者は、別の真理を唱えている。
それは、軍事力強化が常に工業化の主要目標になる、というものだ。
その筆頭が、貧困から抜け出し、1905年にロシア艦隊をほぼ全滅させるに至った日本である。
だが、第2次世界大戦後、平和憲法を掲げた日本においては、「豊かになる」ことが同じくらい強い動機になった。

中略

日本ウォッチャーやあらゆる国の経済専門家志望者にとって、この国が示す法則破りの慣例は、2つの大きな教訓を提示している。
第1に、一見して普遍的だったり、時代を超えた真理のように見えたりするものが、実はそうでないことが多い、ということだ。
第2に、日本が原則に従っているときは注意しろ、ということである。

いかそ
コラム:経済学者の鼻を折る「法則破り」の日本
https://jp.reuters.com/article/japan-economics-breakingviews-idJPKCN1AY0RM