日本が定着させた麻の寿衣…「収奪を強化しようと風習歪曲」

日本が罪人を象徴する麻の寿衣をどのように植民地の朝鮮で広めてきたかなどを確認する研究結果が出てきた。

冠婚喪祭を重視する儒教思想の中で王室だけでなく民間でも絹などで寿衣を作って親の遺体を覆うことを「孝」と考えたが、日本によって「罪人」が着ていた麻の寿衣に儀礼文化が格下げ・歪曲された過程を説明する研究だ。

チェ・ヨンウ檀国(タングク)大教授(伝統衣装学科)が最近発表した論文「現行麻寿衣の登場背景および拡散過程研究」によると、麻の寿衣は1925年に淑明女子高等普通学校教員の金淑堂(キム・スクダン)(女性)が著した『朝鮮裁縫全書』で本格的に登場する。

金淑堂はその間、韓国初の裁縫教材『朝鮮裁縫全書』の著者として知らされたが、今回の論文で1916年から1921年まで平壌(ピョンヤン)女子高等普通学校の嘱託教員として勤務したことが初めて確認された。
平壌女子高等普通学校は日本の植民統治・収奪機関である朝鮮総督府の直属機関。朝鮮総督府の職員録を見ると、金淑堂は月給15−50ウォンを受けたと記録されている。
金淑堂はその後、私立学校の淑明女子高等普通学校に移って『朝鮮裁縫全書』を著した。
当時、日本が三一独立運動の影響で植民政策を武力による無断統治から「文化統治」に変えた時期だ。

金淑堂は教員という身分を活用し、現実とはかけ離れた寿衣を強調した。
その間、学界では朝鮮人の金淑堂がなぜ麻の寿衣の定着に率先したのか明確に説明されていなかったが、朝鮮総督府の職員という身分が明らかになったのだ。
麻の寿衣が日帝の残滓という研究は従来からあったが、麻の寿衣の登場背景と拡散過程はチェ教授を通じて今回明らかになった。
チェ教授の論文は韓国服飾文化学会の学術誌『韓服文化』最新号(夏号)に掲載された。

http://japanese.joins.com/article/325/232325.html
http://japanese.joins.com/upload/images/2017/08/20170815102858-1.jpg
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