朝鮮では1895年甲午改革で教育を始めたが、1906年で小学校(寺子屋以下レ
ベル)が40校未満でしかなかった。現地に赴任した初代統監の伊藤博文は、韓
国の官僚に「貴官らは今まで何をしていたのか」と苦言を呈し、学校建設を優
先課題にして日本が小学校5213校、中学校〜京城帝国大学・京城師範学校
・梨花女子大など1000校以上を建設した。これによりハングル識字率を5
%→75%に上げ、ハングルと日本語を普及させた。ちなみに京城帝大は大阪
帝大や名古屋帝大より先に創られるなど半島に投入したインフラ整備費は膨大
で、収奪を目的とした植民地化や日帝強制占領などといったものとは全く異な
る対等併合であったのが分かる。
併合前の朝鮮は特権階級の両班が清(中国)を崇めハングルは女子供が使う諺
文(おんもん)として蔑み、公文書や祝祭祀文は中国文を模倣して漢文・漢字を
使用。さらに支配層は漢字を煩雑にし、奴隷階級の庶民に読めないようにした
が、併合後はハングル排斥や軽蔑を改めさせソウル語を標準語にし漢字とハン
グル混じりの文章を体系化した。そして、内地の漢字+ひらがな同様に、半島
に漢字+ハングルを正しく広めたのは併合後の日本人言語学者と教育者たちの
功績であった。