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 韓国では知識人や学生が、勇敢に独裁と闘い、民主化を進めました。朴槿恵氏の弾劾(だんがい)を求める集会で学生や市民が先頭に立ち、大統領選挙では各陣営に大学教授らが入り、当選後、政府高官になるのが珍しくないのは、こうした伝統の反映だといえます。

 中高生でも政治意識は高く、デモに参加して堂々と演説するのみならず、教育委員会が生徒の保護に街頭に出るなど「社会参与」の意識の強さは格別です。「政治教育の中立」という美名のもとに及び腰になりがちな日本とは大違いです。

 その参与意識は歴史意識にも及びます。「春秋の大義」(「春秋」は孔子が著したという史書。儒教的価値観により歴史の正否を評価する)に基づき、一刀両断に裁定する傾向が強い。

 日本人にありがちな「その時はそうするしかなかった」という状況依存的志向は、歴史に対する責任回避としか受け取られません。

 日本では「曽我物語」や「忠臣蔵」、はたまた「必殺仕事人」など今でも復讐(ふくしゅう)モノが好まれ、死刑制度への支持も高いが、韓国は正反対で古典文学では、あだ討ちや復讐モノはごくわずか。しかし何が正しいかへの希求は執拗で、とどまるところを知りません。

 慰安婦問題に関する日韓合意についても、国家間の合意だとしても「正義にもとる」から再交渉せよ、との主張が支持されます。それは日本では「法治ではなく、人治だ」と批判されがちなのですが、そこに日韓の社会文化的な相違があり、最も理解しにくい面といえるでしょう。