●昭和7年10.6(木)大森・赤色ギャング事件
午後四時ごろ、バーバリのコート、眼鏡をそろって着用した日本共産党家屋資金局の3人組の男が川崎第百銀行大森支店へ押し入り、現金三万一千七百円を強奪。

●昭和9年1月15日(月)赤色リンチ事件
宮本顕治による共産党内部でのスパイ疑惑から殺害に至った事件の発覚。
民家の床下より遺体発見。

●昭和20年12月26日 富坂署襲撃事件
十二月二十六日とニ十九日の両日、同じ場所の小石川区、現文京区内駕籠町の路上で、けん銃強盗事件が連続して発生。
警視庁捜査一課と富坂署が合同捜査をし、都下三鷹町の朝鮮人三名を容疑者として逮捕、富坂署に留置した。
明けて、翌年一月三日、トラック三台に分乗した朝辞人約80名が同署に乗りつけ「朝群人を留置するとはけしからん、即時釈放しろ」と要求、署内に乱入し、電話室を占拠して外部との通信連絡を断ったうえ、いす、こん棒などをふるって署員に襲いかかり、ついに留置中の朝鮮人を奪取して逃走した。

●昭和24年6月30日(水)福島県平警察署占拠事件。
米飯不正受配で温情処置を取った熊谷巡査を「不正を行った」と日共が逆宣伝し、自殺に追い込む。父親の自殺後にも、残された小学2年生の子供がいる自宅に日共党員が押し掛けた。

●昭和26年10月16日(火)第五回全国協議会で新綱領採択。
革命を達するには暴力しかない、とする武闘闘争の正当化。原文はスターリンが執筆といわれた。
27年2月に蒲田にて火炎瓶が投げられたのがこの綱領を受けての最初の火炎瓶武力闘争の模様。

●昭和26年12月26日(水)練馬署旭町駐在所勤務伊(印)藤巡査(当時32歳)殺害事件。
O製紙労組員を暴行傷害事件で逮捕後、ビラ貼り、駐在所押し掛けなどの嫌がらせが続いていた。
ビラには「伊藤今に引導を渡すぞ O労組」など書かれていた。
26日深夜「O製紙先の路上に人が倒れている」との通報で出かけたまま行方不明。
翌朝撲殺死体で発見さる。拳銃も奪われる。あとには夫人と3歳と1歳の幼児が残された。

●昭和26年12月末〜昭和27年1月27日(火)小河内山村工作隊事件
日共が中共にならい「農村解放区」を設定しようとしたものが「山村工作隊」である。
都内では小河内山村工作隊が最も活発であった。
約30人が通称「金城飯場」等に無断で侵入し、此処を拠点とし機関紙活動等で村民の不平不満をあおり日共の浸透工作を行うと共に村長、警官等にたいして執拗な嫌がらせを繰り返しながら立木の盗伐、不法占拠、つるし上げの不法行為の限りを尽くした。

●昭和27年1月21日(月)白鳥事件
札幌市南6条の通りで、日共党員が、中央署の白鳥警備課長を射殺。
それまでに、自宅に数百通の脅迫状が来ていた。
日共札幌委員名の「みよ、ついに天ちゅう下さる。(ママ)」のビラが市内に撒かれた。


上げたらキリがない日本共産党の犯罪史