●“ジャニー伝説”の綻び
 リサーチを始めるとすぐに、いわゆる“ジャニー伝説”の綻びに気がついた。そもそも、ジャニー喜多川をジャニー喜多川たらしめた武器は、「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というプロフィールだった。
荒廃した敗戦後の日本で彼がのし上がった背景には、日本人が知らない本当のアメリカを知る人物という物語が常に横たわっていた。

【中略】

ジャニーの米軍入隊日は不明だが、作曲家の服部良一(1907~1993)は、50年(昭和25)9月初旬のロサンゼルス興行時に、現地にいたジャニーに出会っている。したがって、この事実を鑑みれば、2度目の滞米期間は長くて3年8カ月、短ければ9カ月ということになる。幼児期と合わせても2年7カ月から5年半――これが、ジャニー喜多川の全アメリカ生活なのだ。「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というより、少々長めの留学や赴任といったほうがふさわしい。

大島さんらにこうした事実を伝えると、3人は互いの顔を見合って驚きの声を上げた。

「マジっすか! それじゃ、ほぼほぼ日本人じゃないですか」


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文春オンライン 2024/09/02 6:12
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