【音楽】“ガールポップの女王”永井真理子の結婚、出産→海外移住→活動休止→復帰7年「まだまだこれから」 [湛然★]
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5/26(日) 9:40 福嶋剛 (ENCOUNT)
https://news.yahoo.co.jp/articles/b834570a028d8fb6352045e04b4f62c891bd66d5
永井真理子がデビューから現在までの37年を振り返った【写真:荒川祐史】
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240526-00628600-encount-000-3-view.jpg
■波乱の半生を語ったインタビュー「後編」(※中略)
前回は、私と父親との思い出を中心にデビュー前のお話をさせていただきました。今回はその続きです。
私が本格的に音楽に目覚めたのは短大に入学してからでした。入ったばかりの頃は、保育園や幼稚園の先生を目指していました。同時に「バンド活動をやってみたい」と思い、友人のお兄さんの紹介で中央大学の音楽サークルに入りました。先輩に誘われてバンドのコーラスを始め、コンテストで上位に進むなど順調でした。ただ、メンバーが就職活動で次々と辞めてしまい、バンドは空中分解してしまいました。
私は「だったら1人でもやってやる」と完全にスイッチが入り、仲間を集めてデモテープを作りました。作曲家の前田克樹さんと出会い、彼と一緒に作った曲(『One Step Closer』)を含めたオリジナル曲数曲を持って、無謀にも1人でレコード会社にアタックしました。たまたまオフィスにいた女性に「デモテープを持ってきたので、聴いてください」と言って渡すと、ラッキーなことに「じゃあ、今から聴いてあげる」と言われ、近くの喫茶店で聴いてもらうことになりました。
すると、「すごく良いね。何よりあなたの目が好き」という感想をいただきました。私の目の奥に炎が見えたそうです(笑)。そして、「ライブを見てみたい」と言われました。私は事実上のオーディションだと思い、短大の学園祭で『One Step Closer』を歌いました。
数日後に返事があり、私のデビューが決まりました。あの時の女性は音楽プロデューサーで、のちに私の作品をプロデュースしてくださった方でした。音楽を始めたばかりの無知な学生が、わずか半年でデビューだなんて「こんな奇跡ってあるんだ」って思いました。母には「短大を卒業してからデビューするように」と言われ、その間に曲作りなど着々と準備を進めていきました。先に名古屋でラジオ番組がスタートし、デビュー前からたくさんの方に名前を覚えていただきました。保育士の資格も取り、卒業を終えて、87年7月22日、ファーストシングル『Oh, ムーンライト』でデビューしました。
その年の8月には、学生時代から準備してきたファーストアルバムをリリースしました。アルバム名は『上機嫌』で名付け親はあの女性プロデューサーさんです。全曲、私がやりたかったことを形にできた私らしいアルバムになりました。手元にレコードが届いた夜はうれしくてレコードを抱いたまま寝ました(笑)。今でもお気に入りの一枚です。
多くの人は永井真理子といえば、ショートカットに白のシャツ、穴の開いたジーンズという印象だったと思います。これは大学時代からの普段着で、いつもリュックにはバナナと和風ドレッシングが入っていました(笑)。『上機嫌』の撮影の時、ファッション雑誌のスタッフさんたちにおしゃれなスタイリングを考えていただいたんですが、「素のままが良い」という結論になり、私の普段着がトレードマークになりました。別におしゃれをしたい訳ではなかったけれど、歌番組に出た時はちょっと周りの人がうらやましく感じました(笑)。
デビューしてからの5年間でたくさんの方々に私の名前と曲を知っていただき、大きな会場でのライブも経験させてもらいました。一方で、私自身の成長と共にやりたい音楽も少しずつ変化していき、新しいことに挑戦したい気持ちが湧いてきました。社内では反対意見もありましたが、自分にうそをつくのは嫌だったので、賛同してくれるスタッフとともに改革を行いました。93年にリリースした7枚目のアルバム『OPEN ZOO』は、そんな時代を象徴する作品です。賛否は分かれましたが、自分の気持ちにうそのない今を残すことができました。
その年にバンドメンバーでギタリストの夫と結婚しました。「私の一番の味方でいてくれた人とごく自然に家族になった」という感じです。そして、小さい頃から子どもが好きだったので、息子が生まれてきてくれたことで、その後の私の音楽観にも大きな影響を与えました。出産、育児で2年間休み、復帰した時は、母としてだけでなくアーティストとしても、一回りも二回りも力強くなった気がしました。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 全盛期の横浜スタジアムライブで突然帯同ギタリストと結婚します宣言、こんなに舐めたライブは見たことがない (左)松田樹利亜
(二)谷村有美
(三)久宝留理子
(遊)永井真理子
(指)森川美穂
(右)久松史奈
(一)田村直美
(捕)橘いずみ
(中)井上昌巳
先発:加藤いづみ、川島だりあ、近藤名奈、相馬裕子、国武万里、西脇唯
中継:佐藤聖子、鈴里真帆、松阪晶子、馬渡松子、熊谷幸子、松下里美
抑え:障子久美
野手控え:遊佐未森、鈴木彩子、森下由実子 ダボダボの501を腰でしぼって履く女を
最後に見たのはいつのことだか思い出せないくらい昔のことだ 神アルバム→神アルバム→神アルバム→ゴミクソアルバム
これが高校の頃めちゃくちゃショックで泣きそうになったわ
なんなんあの駄作? 本当にキツかったぞ 90年代のCDバブルを経験出来たアーティストはスーパーラッキー >>7
こんなにいたんだな、ほとんどの人の歌を知ってるわ、1曲だけの人も多いが >>7
谷村さん、橘さん、加藤さんとここ最近色々ありましたな >>14
神アルバムしか聴いたことがない
途中で追っかけやめた
俺は幸せだったのか >>1
ギタリストか何かと結婚する時に過去の方向性音楽性を完全否定してヲタから総スカン喰らったんだっけ
否定した方の曲を引っ提げて老後の資金稼ぎかな 今からでいいからこの人がYAWARAちゃんだったってことにならないかな ガールポップって言葉は谷村有美のためにあるんだよね 自分についた嘘って曲あったな
結構好きだった
でもやっぱりスタッフの言うとおり路線変更して大失速したから結果的に失敗 飯島真理も世渡りが上手かったらこっち側にこれたと思う この前テレビでミラクルガール歌ったとき声出てなくてつらそうだった white communication は名作
良くも悪くも佐野さんの影を消してる 浜田麻里なんて世代違うんじゃね
>>7の面々が出て来た頃は既に君臨てイメージだった
小比類巻もこの界隈とは距離置いてた感はある >>7
一度でも売れると覚えておいてくれる人がいてすごい >>27
この時期はソロシンガーてイメージよりバンドボーカルやろ >>51
売れた曲解禁せず知らん曲しか解禁されてない… 昔ブックオフの100円CDコーナーに
彼女のアルバムたくさんあった。
それだけ売れてたってことだな。 >>7
相馬裕子! すべてが懐かしいw
角川の娘 Kei-Tee(角川慶子)もいれてやってくれ 峠恵子・奥井亜紀もガールポップ組だろ
そして中島優子が10年以上前に亡くなってたことを今知った >>19
ミラクル・ガール以外にもZUTTOは聴いたことあると思うよ >>11
私も残念ですが足りない点があったんですよ。1軍メンバーはそれを持っている。 永井真理子はロンリイザウルスで世に出た
ミラクル・ガールがヒットしてZUTTOも売れた
1988〜1992年頃に活躍した歌手という印象
当時のファンが今懐かしんで聞くというタイプでもないだろうから
活動再開してもパッとしなさそう >>66
山田邦子のやまだかつてないテレビのEDで流れてた印象ZUTTO ラジオ聴いてたけど今度デビューするかわいい事務所の後輩のドリームズ・カム・トゥルーですってゲストに呼んでたけどあっという間に抜かれていって悲しかった 後期YAWARAの主題歌YOU AND Iは絵にすごく合っていた すごいな
最初から最後まで全部超わがままの自分勝手じゃないか 確か著作権とか色々な面で、引退した人は何年かおきにライブやチョイ復活して小銭稼ぎするよね。 >>26
90年代前半当時から美里はガールポップに括られていなかった
美里の成功を見て金脈があると感じて始まったのがガールポップ
路線だったと思う >>7
平成生まれの俺に是非谷村有美の一枚目のような音楽教えてください! 横アリで初の成人式のゲストが永井真理子だったような、、 ジーンズに白Tシャツのイメージ
若干 吉田栄作と被る 宇多田ヒカル登場で女性歌手のトレンドが一変してしまった
その前の時代のシンガーの方が個性の幅はあったと思う
ヘタなのも多かったが 今は森高千里(55歳)のようなミラクルオバさん(57歳)になってしまったな…
>>5
別にええやん
リア・ディゾンとか、ファンとバスツアーする何処かのアイドルじゃないんだから許してやれよ 小比類巻かおるってすっぱり辞めちゃったの?
バブル期そこそこ売れただろう >>68
自分もロンリィザウルスがラジオで流れててファンになったな 大好きだったな
歌も顔も
男の影響を受け方向転換してからは全く駄目だった……もったいない >>88
宇多田が出てくる頃には売れるメロディは出尽くしてたからね
音色のない軽い音作りでリズムを全面に出すような曲作りに移行するのは必然の流れなんよ
ただ日本人はそういう曲は好まないのよな
リズム重視するあまりラップとかまで行ったら笑いものにするのが日本人 GIRLPOPで歌がうまいのは森川美穂と篠原リカくらいだろ
松田樹利亜と田村直美もうまかった >>94
体調不良で2年休業→17歳上の原田爺と結婚
ソニーとの契約無くなってから、どんどんつまらなくなったやん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています