シンガーソングライター・谷山浩子「若かったら絶対に同人誌を作っていた」パソコン通信歴30年以上「ネットに動画がアップされても削除は頼まない」

シンガーソングライター・谷山浩子の「THE CHANGE」インタビュー#6

THE CHANGE編集部

2024.4.18

 シンガーソングライター・谷山浩子の歌声に魅了されない者はいない。『まっくら森の歌』や『恋するニワトリ』といった、『みんなのうた』(NHK/Eテレ)でおなじみの楽曲から、
斉藤由貴へ提供した楽曲『土曜日のタマネギ』など、アイドルから声優まで幅広いプロデュースを手掛けている。今年でデビュー52年目を迎えるシンガーソングライター、谷山浩子の人生の転機とは?【第6回/全6回】
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 シンガーソングライターの谷山浩子さんは、初期のパソコンユーザーとしてもファンの間ではよく知られている。パソコンとの出会いはいつだったのだろうか。

「最初にパソコンを買ったのは1980年でしたが、そのころはまだマイコンと呼ばれていて、ユーザーもプログラマーやSEや一部のマニアの人たちだけでした。まだオタクという言葉もなかったころです。その数年後、ちょうど第一期オタクブームの人たちが、私のオールナイトのリスナーになってくれました」

 谷山さんのネット歴は長い。パソコン通信を始めたのは、80年代半ばまでさかのぼる。

「『草の根ネット』(※主に個人やグループが運営していた小規模なパソコン通信)への参加から始めて、まだ無料だった頃の『アスキーネット』(※1985年にパソコン関連出版社のアスキーが提供していたパソコン通信)など大手の商用ネットにも参加していました。

 アスキーネットでチャットをしていたときに、“女だ”っていってもなかなか信じてもらえなかった。その話が、いつのまにか“谷山浩子って名乗っているのに、なりすましはやめろって言われた”って噂になってしまったんですよ。でもそういうことはなかったです」

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「どちらかというとオタク気質」
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