2024.04.05
個人名が使われた唯一の球団・高橋ユニオンズ…金欠の史上最弱チームの実態
プロ野球・裏面史探偵(36)
二宮 清純





3年間だけパ・リーグに存在した

90年の歴史を誇るプロ野球で、唯一、個人の名前が、球団名に刻まれたのが1954年にパ・リーグに参加し、3年間(55年はトンボ鉛筆製作所と業務提携し、トンボユニオンズと改称)存在した高橋ユニオンズである。オーナーの高橋龍太郎は愛媛県喜多郡内子村(現内子町)出身の実業家・政治家。

私は同郷ということもあり生家を訪ねたことがあるが、室内には高橋ユニオンズのユニホームなどが展示されていた。江戸時代後期から明治時代にかけて木ろうの生産によって栄えた内子町は、古き時代をしのばせるレトロな街並みが今も残る。その一角にひっそりと佇む高橋邸は一見の価値があると言っていいだろう。

野球に話を戻そう。今年は高橋ユニオンズ誕生70周年の記念すべき年にあたる。ちなみにユニオンズという愛称は、高橋が戦前経営していた大日本麦酒(アサヒビールやサッポロビールの前身)の主力商品だった「ユニオンビール」に由来する。

私が知る限りにおいて、ユニオンズのユニホームを着た選手で、現在もご存命なのは「プロ野球ニュース」のキャスターとして活躍した佐々木信也さんら数名である。

佐々木さんが慶大からユニオンズに入団したのは56年。つまりユニオンズ最後の年である。この年にマークした180安打は、今も新人の最多安打記録である。

佐々木さんによると、55年、トンボ鉛筆が、わずか1年で経営から手を引いたのは、「あまりにもお客さんが来なかったから」である。「だって1試合平均の観客動員数は2300人。これじゃPRにもならないということで、すぐに手を引いてしまいました」

トンボ鉛筆が経営から手を引いた56年、チームの名称は再び高橋ユニオンズに戻った。本拠地の川崎球場には相変わらず閑古鳥が鳴いていた。

54年=1位から37ゲーム差の6位(7チーム中)、55年=1位から57ゲーム差の8位(8チーム中最下位)、56年=1位から45.5ゲーム差の8位(同)。これだけ弱くては客も来ないだろう。チームとしての勝率は、54年の3割8分7厘が最高だった。
https://gendai.media/articles/-/126611

観客が全然いない
https://gendai.media/articles/-/126611?page=2