湘南戦力外⇀慶大⇀横浜FM⇀アフリカ 異色の元Jリーガー中町公祐氏、慶大監督に就任

サッカーJリーグの横浜F・マリノスなどで活躍し、アフリカのザンビアでもプレーした中町公祐氏が母校の慶大ソッカー(サッカー)部監督に就任した。Jリーグで戦力外通告を受けた後に大学でプレーし、再びJリーガーとして羽ばたいた異色の経歴の持ち主は「恩返しというか、自分の力を還元できることをうれしく思っている。しっかり結果は残したい」と、新たな立場でグラウンドを見つめる。

■戦力外を部に受け入れ

その経歴は極めて個性的だ。群馬を代表する進学校の一つである高崎高出身の中町氏は2004年、湘南ベルマーレに入団し、同時期に慶大に進学。当初は慶大ではプレーしていなかったが、湘南ベルマーレを4年で戦力外となったとき、受け入れてくれたのが慶大ソッカー部だった。

なぜ戦力外になってもサッカーを続けたのか。「自分自身を表現するのにサッカーは付き物だったし、僕の中では火は燃え尽きていないというか、J1で活躍する選手だという強い思いは常に持っていた。サッカーは大学で続けて、Jリーガーにまた戻るという決意と覚悟はあった」と、当時の心境を明かす。

中町氏は大学に6年間通ったという。最初の4年間、プロとしての活動と授業が重なった際にはプロ活動を優先してきたため、4年で卒業するには単位が足りなかったことが、結果としてプラスに作用したようにもみえる。

年下の学生たちの中で信頼関係を築きながら多くのことを学んだ。「組織の一員として何ができるか」を大切にする部の文化が新鮮だった。チームスポーツではあっても、個人で結果を残せばステップアップしていくプロの世界と対照的だった。

「学生スポーツに戻り、一緒に練習していたチームメートが100%の気持ちで応援してくれるって、こんなにうれしいことはないなと感じたし、ピッチ外のところで自分がどうふるまうかがより大切なんだということを学ばせてもらった」と振り返る。

そんな時期を経て、2010年にはアビスパ福岡に入団してJリーガー復帰という目標を達成。2012年には横浜F・マリノスに移籍して7年間にわたって活躍した。

その後も独自の道を歩み続け、昨年引退するまで活動の場をアフリカに移してザンビアでプロ選手としてプレー。マザーシェルター(妊産婦待機施設)建設などのボランティア活動も積極的に行い、他に例をみない存在感を発揮してきたが、「プロサッカー選手としてキャリアを築き上げることができたのは(慶大)ソッカー部の経験が大きい」と中町氏。
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