事の顛末
作ってくれた人 ありがとう

経緯まとめ
相沢友子(脚本家)と三上絵理子(プロデューサー)が、契約違反して勝手な改悪しまくり
→芦原先生が何度も修正と抗議でヘトヘトに
→最終話近くの修正を、相沢が仕上げてこない(4週間も)

→制作時間のリミットが近づき、やむなく芦原先生が書くはめに。
→相沢友子が4週間も時間を奪っていたため、少ない時間での執筆をさせられた。
→放映後、相沢友子が芦原先生への悪口投稿
「原作者が書きたいと言い出して困惑」
→相沢友子の仲間が芦原先生が書いた9、10話への悪口投稿。
(篠崎絵理子、泉美咲月、関根タツヤ)
→芦原先生が事情説明文を投稿。出来が悪いと言う意見への謝罪
→何らかの理由により芦原先生が説明文を削除
→芦原先生自殺
→相沢友子と仲間が、鍵かけて逃亡。
→大炎上して相沢友子や仲間がが叩かれ始める。
相沢の仲間が「私は前から鬱だったから、個人攻撃はやめて」などと被害者ヅラ開始。
→日テレが、先にSNSに苦情書いたのは相沢友子なのを隠して報道。
→日テレミヤネ屋が世論誘導を開始。
「原作者がしんだのはインターネットのせい。だから脚本家を叩くのをやめろ」
「日テレと脚本家は何も知らなかったから悪くない。むしろ被害者」
→海外メディアが、相沢友子と日テレが芦原先生を追い詰めた、と報道。
→日本のマスコミは加害者をガン守り。