【音楽】元「L⇔R」ギタリスト黒沢秀樹さん 兄・健一さんの死から7年…心に穴も「モヤモヤを抱えたまま生きていくしか…」<あの人は今> [湛然★]
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元「L⇔R」ギタリスト黒沢秀樹さん 兄・健一さんの死から7年…心に穴も「モヤモヤを抱えたまま生きていくしか…」【あの人は今】
1/15(月) 9:06 日刊ゲンダイDIGITAL
https://news.yahoo.co.jp/articles/c9a6031e413e131fa0f8c3d43504db15212e5a72
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240115-00000002-nkgendai-000-1-view.jpg
【あの人は今こうしている】
黒沢秀樹さん
(元「L⇔R」のギタリスト/53歳)
1995年、「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」がミリオンセラーを記録した3人組バンド「L⇔R」。ボーカル・黒沢健一さんが2016年、48歳の若さで脳腫瘍で亡くなったニュースは衝撃だった。健一さんの実弟で、「L⇔R」でギターを担当していた秀樹さん、今どうしているのか。
◇ ◇ ◇
「22年12月までで、ライブ活動はいったんお休みしています」
JR渋谷駅そばの喫茶店で会った秀樹さん、まずはこう言った。
「それまでの10年は、ソロ活動と裏方を半々ぐらいでしていました。ソロ活動としては東名阪でツアーやって、8月のバースデーやクリスマスにもライブをやって。17年に結婚し、18年に長男が生まれてからは、裏方としてプロデュース業にも力を注いでいました。ハードワーク続きで、帰宅は毎日午前2時とかでした」
それを一変させたのが、20年に世界中で広まったコロナだった。
「僕らのやっている音楽などエンタメは不要不急といわれ、業界の動きが止まってしまいました。ただ、外出できない期間、子どもと向き合うことができました。育児って、自分の時間が持てず大変ですが、“初めて”にたくさん立ち会えたり、本当に面白い。それで、子育てや発達心理学の本を買って読むうち、幼少期が人生の土台になると知り、子どもと向き合う時間をきっちり取りたい、と思ったんです。幸い、時間が自由になる職業なので」
夫人は14歳年下の女優・佐藤みゆきさん。夫人の反応が気になる。
「ライブはやらないけど、依頼を受けた楽曲の制作や、ウェブで連載している育児ノートの書籍化、ミュージシャンの男友だちとの育談トークの音声配信などはするので、何とかなるよ、と話したところ、『一生に一度しかない時間だからいいんじゃない?』と前向きに考えてくれました。ただ、妻は子どもを置いてまで女優をやることに、葛藤もありました。僕は、子どものために犠牲になるのは、子どもにとっても良くないと思うんです。僕はこれまでやりたいことをやってきましたが、妻はまだ伸びしろのある39歳。せっかくいただいた仕事を断るのはもったいない、とも思います」
かくして、朝8時起きで家事・育児に追われる生活を送っているが、心理学の学びも続け、昨年夏、産業カウンセラーの資格を取得した。
「音楽はカウンセリングとはかけ離れているようで、人の心にアプローチする仕事だし、プロデュース業もアーティストの話をよく聞くことが重要なので、カウンセリングに近いんですよ。(※中略)
■47歳で結婚&第1子誕生
(※中略)
さて、茨城県日立市出身の秀樹さんは、幼い頃から2歳上の兄・健一さんや、いとこの影響で洋楽に親しみ、中学3年になるとギターに夢中に。
兄が都内でバンド活動を始めると、秀樹さんは高校在学中からライブのヘルプに入り、高校卒業後上京。91年、「L⇔R」でデビューすると、94年「HELLO, IT'S ME」がポッキーのCM曲に、95年に「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」が連続ドラマ「僕らに愛を!」(フジテレビ系)の主題歌になり大ヒットした。
「『L⇔R』は97年に活動を休止し、再始動の話をしていた矢先に兄が亡くなりました。僕は誰よりも長く兄と一緒の時間を過ごした。尊敬していたし、亡くなって丸7年経っても、心にぽっかりとあいた穴は、埋まらない。このモヤモヤを抱えたまま生きていくしかないんです。最近は、華やかに活動していた頃より、小さい頃、兄と並んで体育座りをしてレコードを聴いたり、レコード屋さんごっこをして遊んだことをよく思い出します」
21年に始めたユーチューブチャンネル「Walls&Bridges」では、ソロ曲に加え「L⇔R」の曲も公開。23年11月には「L⇔R」の7枚目と8枚目のシングルのレコード盤「KNOCKIN'ON YOUR DOOR/BYE」をリリース。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) たまにはちょっとしたことそれでもきっと的外れに僕は歌うよ あれ、カラオケ採点番組で見たのが最後か、自分の歌をクセ丸出しで歌ったら全然得点出なかったな 売れなかったけどアイネ・クライネ・ナハト・ミュージックが1番好き 懐かしいなどんな歌だったっけなって考えながらスレ開いたら怒涛のアノキノヨドーで草 KNOCKIN' ON YOUR DOORが売れた後BYEとDAY BY DAYのリリースが余計だった
ここ2曲はシングルにしないでGAMEを出してたら人気はまだ続いたかも。 アノッキンオンニョドーを初めて聴いた時は天才現ると思ったわ ハロー逸見はいい曲だわ
聴くとあの時代の風景がよみがえってくる ノッキンオンでミリオンか
CDバブルとんでもないな 弟くんも多賀高だっけ? 兄貴は隣のクラスで話した事なかったけど音楽やってた奴が黒澤兄弟は別格だって話してるの聞いたことある。
俺も頭の方の疾患で倒れたから亡くなったとの訃報は人ごとじゃなかったけど弟くんには幸せに生きて欲しい。 >>33
GAMEはいい曲だけどそれで続いてたかと言うと無理だったと思う リメンバーは隠れた名曲だと思う
香港でレオ・クーがカバーしてた >>27
元は男3人女1人の4人組
小山田圭吾の元嫁がメンバーだった L⇔R変換できた
おれの青春の横にいてくれた人たちだった younger than yesterdayは名曲なんだよなあ アイネクライネナハトミュージック
これしか多分知らないけどこの曲出たときずっと聞いてたな
今でもユーチューブでPV見たりする アイネクライネナハトミュージックが一番好きだけどな。LRの中では変わり種だった
今でも通用する感じというか、ミセスが歌ってそうな曲 ポリスターからポニキャンに移ってから売れ線に走らされた?感じ
岡井大二の意向もあったかもしれんけど あの曲サビじゃないとこプリティウーマンに似てると当時思った アメリカンロック・ポップスをうまく日本語に消化していた初期の感じが好きだった 黒尽くめで氷室京介ってあだ名が付いてた友達がこれ好きで勧めてくれて知ったな
今でもたまに聴く あの日の女房~🎶で覚えてる。
中学の時に一時期凄い流行った。
正確な歌詞はいまだに知らない。 福岡人しか知らんと思うけどケン坊田中に提供した日曜日の奇跡が名曲 続かずに投げ出したダイアリ~
江口洋介と鈴木杏樹のドラマ面白かったな
鈴木杏樹がCA役だった L⇔R、羞恥心、光GENJI
未だに一発で変換できる 木曜日の怪談のエンディングだったなあ。
タッキー以外の演技に失笑しながら見ておりました。 静岡のk-mixでリメンバーがヘビーローテーションになってた
ちょうど高校受験の歳だったから死ぬほど聞いた >>73
川本真琴の1/2 もだけど
90年代後半の歌すげー良いすね >>78
だな
でも売れてないだけで曲はマジでいい 浜田のWOW WAR TONIGHTの
オリコン連続1位を止めたのがこの曲だったっけ アイネクライネをカラオケでよく歌う
年寄りすら誰も知らない >>37
>>45
曲知らないから亡くなった逸見さんしか浮かんでこんわ… 秀樹さんこの前テレビでclassとコラボした番組拝見しました
classもメンバーお亡くなりになったんだね
ミュージシャンは楽器演奏している姿がいちばんカッコいい アイネクライネナハトミュージックやっぱ良いよな
直線サイクリングも好き 結構好きだった人いるのな、俺はNICE TO MEET YOUが好きだった。兄貴の方はHUNTER×HUNTERのタイアップの曲とか良かった。 >>83
むしろアイネしか知らないすよ
当時スペースシャワーTVか何かで何度も映像流れてたから記憶に残ってる 嶺川在籍時の曲が好きだったけど売れなかったんだよな
恋のタンブリングダウンとかCM曲に起用されたりしてたんだが… CA鈴木杏樹の豪華マンションと隣のボロ屋の江口洋介の家
という設定の場所が西小山にあって、よくロケしてた アイネクライネは藤木直人がカバーしてるけど
あれはあれでまあ良いところはあるけどやっぱり天地の差があるわ >>97
さっきユーチューブで見てたけど再生回数が少なくてびっくり
もっと聞かれても良いと思いますね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています