12/24(日) 16:00配信

神戸新聞NEXT
松本隆さん=神戸市中央区

洋楽メロディーが定着/美意識の本質を追求


 坂本龍一さん、高橋幸宏さん、もんたよしのりさん、谷村新司さん、大橋純子さん…。今年は日本の音楽史に足跡を残す人たちが相次いで旅立った。彼らが切り開いたJポップと呼ばれる分野は1980年代に確立し、今もCMで流れたり若手にカバーされたりする名曲がある。坂本さんらと交流があり、松田聖子さんらのヒット曲を手がけた作詞家の松本隆さん(74)の作品はその代表格。長く支持される80年代Jポップが残した魅力とは何か、思い出話を交えながら話をうかがった。(津谷治英)


 −大橋純子さんが11月に亡くなりました。2年前の松本さんの50周年公演に来られたとか。


 「そうなんだ。終演後に顔を合わせたのであいさつをした。『来てくれてありがとう』と声をかけたら、『会うのは、これが最後になるかも』って言ってた。既に察していたのかもしれない。声量のある声が今も印象に残る。今年は坂本龍一さん、高橋幸宏さんも逝ったし。同じ時代に活動してきたミュージシャンとの別れが多くて、本当にさびしいよ」


 −神戸にゆかりのもんたよしのりさん、谷村新司さんも鬼籍に。2人にも作品を提供しています。


 「もんたさんはハスキーな声が特徴的なボーカリストだったよね。黒人音楽をほうふつとさせた。まだ演歌歌手の人気が高い時代で、当時の歌謡界の常識だとあの個性的な声は美声には入らなかったと思う。でも古い価値観に縛られずに自分を貫いたところに自由な雰囲気を感じさせた。日本のロックに新しい境地を切り開いた一人といえる。ロック系バンドがポップスに進出し始めたのもこのころだった」

 「僕の作品はフォーク系は少ないんだ。でも、アリス時代の谷村さんや堀内孝雄さんの歌はつくっている。彼らは楽曲を自作していたから、僕の詞の印象はあまり強くないでしょう。今は自分たちが表現したい音楽を作詞、作曲するアーティストが珍しくないけれど、彼らの頃はまだ少なかった。シンガー・ソングライターが定着していくきっかけになった」


 −松本さんたちのロックバンド「はっぴいえんど」はその先駆け的存在です。そういえば、当時のアルバムが今年11月のオリコンで38年ぶりに上位に入りましたね。


 「確かに、その土俵をつくった自負はある。僕らが旗を振って、多くの音楽仲間がその後に続いてくれた。それまでの歌謡曲は歌手と、作曲や作詞、編曲の作業が分かれていた。先輩作詞家の阿久悠さんなんかは、シンガー・ソングライターが登場し始めた頃はライバル視していたと思う。でも、僕はシンガー・ソングライターのグループにいたから仲間意識が強かった」

 「当時のミュージシャンの多くがビートルズをはじめ洋楽の影響を受けた。『はっぴいえんど』は70年にデビューし、洋楽のメロディーに日本語の歌詞を乗せる新たな世界を切り開いた。前衛的だったと思う。洋楽の音階は英語に合わせて生まれたのだから、日本語にはなじまないと主張する人たちがいて、賛否は分かれていたからね。僕らはそれを乗り越え、まずロックに洋楽メロディーを定着させた。その流れが70年代から80年代の歌謡曲に影響し、現代のJポップの基礎になった」


 −日本の大衆音楽に西洋のセンスが融合したんですね。


 「特に作曲家の筒美京平さん(故人)の果たした役割は大きかった。本場の洋楽と変わらない新しいサウンドを広げた。太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』では僕の長い詞に素晴らしい曲を付けてくれて、今も感謝し尊敬している」

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https://news.yahoo.co.jp/articles/c69163b59f467da5f322131b1bf5df693a6866ac

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