>>90
ファミコン時代からPCエンジン時代になると「ファミコンの高橋名人」のイメージ戦略から高橋名人は表に出なくなってくる。
ハドソンの営業や広報になって主に任天堂とのやりとりをしたり、雑誌などの調整をしたりと、ハドソンが消滅するまでハドソンの社員として活躍。
メディアに再び出るようになったのは2000年ごろ。