【音楽】“フォークの神様”77歳の岡林信康、きたやまおさむと約半世紀ぶり関西でそろい踏みへ [湛然★]
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“フォークの神様”77歳の岡林信康、きたやまおさむと約半世紀ぶり関西でそろい踏みへ
12/8(金) 4:30 オリコン
https://news.yahoo.co.jp/articles/67cac37c6c193686f47366c0e9ea5e32573a8465
『あの素晴しい歌をもう一度コンサート2024大阪』出演者
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20231208-00000331-oric-000-1-view.jpg
シンガー・ソングライターの岡林信康(77)が、来年2月に大阪で開催される『あの素晴しい歌をもう一度コンサート2024大阪 〜旅の歌・人生の歌〜』に出演することが8日、発表された。きたやまおさむ(77)と地元・関西で約半世紀ぶりに同じステージに立つ。
「時代を彩った名曲・ヒット曲をアーティストが観客と一緒になって楽しむ」というコンセプトで2018年から行われている同コンサート。きたやまが作詞し、加藤和彦が作曲した1971年の大ヒット曲「あの素晴しい愛をもう一度」から来ているが、今回は初の大阪開催ということで、坂崎幸之助、関西出身の杉田二郎、「帰って来たヨッパライ」「イムジン河」作詞・訳詞の松山猛ら、きたやまの盟友とも言える出演者が駆けつける。
そして、新たに岡林の出演が決まった。岡林は、1968年に「山谷ブルース」でレコードデビューし、「友よ」「手紙」などメッセージ性の強い楽曲を世に放ち、“フォークの神様”と呼ばれる存在。デビュー55周年を迎えた今年も2ヶ月に及ぶツアーを開催するなど、精力的に活動する。
ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとして時代の寵児となったきたやまとは、同じ1946年生まれ。55年前に関西フォークの現場で出会い、それぞれがそれぞれのペースで活動を行ってきた。
今年11月19日にニッポン放送でオンエアされたラジオ特番『岡林信康・きたやまおさむ 友よ、この旅を 〜それぞれの55年〜』で久しぶりにじっくりと語り合った。“フォークの神様”と呼ばれたことについて、“関西フォーク”について、さらには盟友・加藤和彦のことにも話が及んだ。
岡林が「自分の曲は“私小説”。自分の身に起こったこととか、本当に感じたことしか歌にできないからアマチュア歌手なんだっていうのが最近よく分かった」と語るなど、精神科医でもあるきたやまがトークを引き出し、盛り上がった。そして2024年、岡林ときたやまの共演が実現する。歌、トーク、セッションなど、関西だからこそのステージが見られそうだ。
■あの素晴しい歌をもう一度コンサート2024大阪 〜旅の歌・人生の歌〜
日程:2024年2月19日(月)開場午後4時/開演5時
会場:オリックス劇場(旧大阪厚生年金会館)(※中略)
出演者:岡林信康、きたやまおさむ、クミコ、坂崎幸之助、杉田二郎、林部智史、松山猛
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 長生きで元気、これはワクチン打ってないな(マジキチフェイス イムジン河 チューリップのアップリケ 手紙で差別を訴えてもらいたい >>4
杉下茂はフォークボールの神様
岡林信康はフォークソングの神様と書くべきだな、この場合は >>6
ラビさん亡くなられたよ
この二人関西フォークの派閥別だったような気がしたがもうそんな年でもないか 岡林信康を知らないガキは「手紙」という曲を聴いてみな。
どう思うかは自由だが、作った本人は後悔している、らしい。
とにかく、今のヒゲなんとかの長ったらしい歌詞や複雑な曲調からは、何だこれというようなものたが。
若い時を知りたければ、はっぴいえんどをバックに歌った中津川フォークジャンボリーのものが動画サイトにある。 岡林はフォークの神様と言われて祭り上げられるの嫌がってたのよな
だから脱フォークして歌謡曲やポップスにも手を出してた
ミッドナイトトレインの頃の岡林めっちゃ好き あと岡林ってストームだっけか、加藤のプロデュースでアルバム出してる つか「まだ生きてたんだ」っていうのと
「まだ77って、山谷ブルースとかの時何歳だったんだよ…」っていうのと チューリップのアップリケ
わたしの好きなミツルさんが >>8
お父さんが靴職人のミツルさんはB民で祖国を分けてしまった >>24
フォークやっていると儲けるなって言われちゃうからな
吉田拓郎はポップスやりたかったのにフォークのふりして入ってきて岡林を踏み台にしたイメージ 北山修さんは今どこかの大学の学長をやってるんだっけ?
自切俳人のオールナイトニッポンは聞いてたなあ
https://youtu.be/XHreZSsBSUk >>40
白鷗大学
本業でそれなりに実績残した人らしいが
それなら加藤和彦をせめて死なないよう面倒見てやれよと思う 牧師の一家の育ちで、髭面もまるでキリスト像みたいだから
「フォークの神様」と当初はネタとして言われてたのが
ワードが独り歩きしてそのうち本気でフォークの神様ということになったらしい
当時からファンというのは情報読み違える馬鹿なんだなというのがよく分かる一例 >>24
自宅にいきなり若者3人ぐらいが押しかけてきて
「岡林さんの歌きいて革命に目覚めて大学をやめてきました。一緒に戦います」みたいなこと言われて
そんな気あるわけないのにそういう勘違いされまくるのに疲れて雲隠れしたとか
30年前ぐらいのテレビのトーク番組で語ってた >>44
いや友人で精神科医でも
救うことができないってところに
リアリティを感じるし
北山修もそういう現実はわかってると思う >>44
友人は診察出来ないんだよな、精神科や心療内科においては 岡林を毛嫌いしていた頭脳警察のパンタが73歳で今年鬼籍に入ったのに
この爺ちゃんは80歳近いのに百姓やりながらフォークも歌って
二刀流やってんのに元気すぎるわ >>45
だってよ60年代って音楽雑誌はなかったし
ラジカセも普及して無かった
テレビなんかでもやらないし情報全然なかったからな
怪しげな噂でも裏とれないし調べようがなかった時代 >>48
だから北山さんの知人の精神科医を紹介したって言ってたよね 大谷みたいなバケモノが生まれてきたせいで
他の野球に人生かけてきた奴らはみんな
トップになれないのが確定した人生の烙印で冷や水飲まされるんだよなあ
それと同じだよな すべてが >>52
ああ、レスがあったのかありがとうね
まああれだ、元気が出るテレビにネタとして出てたゲイリーヨシキが
あれよあれよとYOSHIKI様として崇拝されて30年以上だからな
そういう情報読み違いは80年代バブル期もまだ続いてたってことだしな
どーしようもねえよなこの世界ってことよ 罪なもんよw 今日の仕事はつらかった〜♪明日も早番しんどいな〜♪ この人は孤高のように見えてすぐ他人に影響受ける人
アメリカの音楽に影響受けて向こうで演奏したら、
向こうのミュージシャンに「それは俺達の国の音楽だろ、
お前の国の音楽聴かせてくれ」と言われてエンヤトットをやり始めた
自分で気がついたのではなく、いつも他人の影響なんだよな >>52
お前が何歳か知らないが、68年から「新譜ジャーナル」はあったんだよ。
岡林は高石ともやのコンサートに出始めた頃、自ら「牧師の息子」と言ったり、紹介されたりしている。 >>44
「戦争を知らない子供たち」を作詞して、
加藤に作曲してもらおうと読ませたら鼻で笑われて断られ、
杉田二郎が作曲することに >>59
まぁそれを暴露した場所はその加藤と一緒に再始動したフォークルのライブだったんだけどもw
というか杉田二郎の作曲があまりに完璧すぎて加藤が作ってたらどうなってたか想像するのが恐い代物だなアレは。 >>57
ポップス路線やってたのも子供たちがピンクレディーファンだった影響っていうね。 ワイがネットでたまに言う
なにも黙っている事は無い、と言う言葉はこの人からのパクリです 唐突にEテレに金魚育成してんので出てきておかしかったな
まだやってんのかな >>51
岡林信康の遠戚の澤竜次が頭脳警察の最終メンバーの1人に。 この人のファンって当時リアルタイムで聞いた人ばっかりじゃね?
ボブ・ディランみたいに下の世代にも愛さて新しいファンを生み出し続けないと神様とはいえない 野球の話かと思ったわ
森達也の放送禁止歌って本に出てきたなあ >>71
セレナーデからストームまでの路線もっと評価されて欲しいわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています