11/5(日) 18:00配信

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「僕は明日からも嵐です」と、独立後も嵐のメンバーであることには変わりないと明言した二宮和也(PHOTO: 近藤 裕介)

10月24日の電撃発表された嵐・二宮和也の独立。ファンばかりでなく多くの人が心配したことは、「嵐はどうなるのか」ということだっただろう。そこについては発表のなかで「僕は明日からも嵐です」と、独立後も嵐のメンバーであることには変わりないと明言した。

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現在はグループ活動休止中ではあるが、嵐が旧ジャニーズ事務所だけでなく日本を代表するグループであることは誰もが認めることだろう。しかし、よく知られる話だが、そんな嵐も国民的アイドルグループどころか、本格的に売れるまでには時間がかかった“不遇の時代”とされる時期を経験している。

◆ラジオとアイドル誌での仕事しかない月が何度も…

とはいえ、サビの終盤でグループ名を連呼する’99年のデビュー曲『A・RA・SHI』は多くの人に知られ、累計100万枚に迫る売れ行きをみせた。ハワイでのクルーザー上でのデビュー発表会見も鮮烈な印象を残す。それゆえ「デビューからずっと順風満帆に売れ続けてきたんじゃない?」と思う人も少なくないだろう。

しかし、それ以降、デビュー曲の売り上げからは3分の1強程度という時期が続く。コンサートもSOLD OUTにならない今では考えられない公演があったり、それぞれメンバーがドラマ出演を果たすも大ヒットにはなかなか結びつかなかったり。

当の二宮も自身のラジオ番組で、デビュー後に暇だった時期は「全然ありますよ」と、それこそラジオとアイドル誌での仕事しかない月が何度もあったと振り返ったこともあった。

’19年にNHKの『SONGS』にメンバー全員で出演した際にも、この不遇時代にそれぞれ不安を抱えていたことを明かしていた。

◆自主レーベル「ジェイ・ストーム」発足…しかし、シングル売上枚数は下降線をたどる

嵐のひとつの大きな転機はデビュー3年目となる’01年だ。この年の11月に自主レーベル「ジェイ・ストーム」(’24年1月より「ストームレーベルズ」に社名変更予定)が発足する。「ストーム=嵐」の名の通り、現在はさまざまなグループが所属する同社も当初は嵐のプライベートレーベルとして立ち上げられたものだった。

デビュー時に所属したレコード会社PONY CANYONから移籍するかたちとなったわけだが、大手からインディーズへの移籍は、メンバー自身も不安があったようで、前出の『SONGS』で相葉雅紀は「俺ら見込みがないってことなのかなって」と振り返っている。

移籍第1弾シングルとなった『a Day in Our Life』は、少年隊のヒット曲『ABC』のイントロをサンプリングしてブレイクビーツとして使用し、全編ラップパートが流れるという、正面からHIPHOPに向き合うアプローチをみせ、さらにカップリング曲を収録せず500円という低価格で販売するなど大胆な展開をみせた。

曲はドラマ『木更津キャッツアイ』の主題歌にも使用され、ドラマはヒットしたものの、シングルの売り上げは移籍前から横ばい、しかも売上枚数も実はこのあと下降線をたどることになってしまう。

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