佐藤愛子さん100歳「誕生日もヘチマもありませんよ。」 [朝一から閉店までφ★]
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佐藤愛子さん100歳「誕生日もヘチマもありませんよ。みんなが乗っている電車が目の前を通りすぎていくのを、ひとりただ見送っているようなもの」
〈発売中の『婦人公論』11月号から記事を先出し!〉
2022年9月号から1年あまり連載されたエッセイ「思い出の屑籠」をこのたび単行本として上梓する佐藤愛子さんは、11月5日に満100歳を迎える。百寿者とは思えぬ仕事ぶりだが、本人のご様子やいかに(聞き手・構成・撮影◎本誌編集部)
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「飛脚の佐藤」も今はヨロヨロ
11月のお誕生日で100歳に。
――誕生日もヘチマもありませんよ。まだ死んでいない、それだけのこと。100だろうが、103だろうが105になろうが、何がどう変わるわけでもありません。みんなが乗っている電車が目の前を通りすぎていくのを、ひとりただ見送っているようなものです。
「思い出の屑籠」は最後の力を振り絞って書きました。今、単行本のための校正を済ませたところ。本を出すのも、これでもうおしまい。
97歳の時に、長年続いた女性誌のエッセイ連載で断筆を宣言した。しかし昨年、本誌で「思い出の屑籠」の連載が開始。
――25歳で小説家を一生の仕事にしようと決めて以来、書き続けて72年。精根尽き果てスッカラカンになって、もう書けないと筆をきました。でも、そのうちヒマでヒマでたまらなくなって、思い出すままによしなしごとを書き始めていたんです。それが溜まりに溜まってどうしようかと編集者に見せたら、いつの間にか『婦人公論』での連載になっていたわけです。
どのくらい前から書いていたかって? さあ、どうだったかしらね。もう今じゃ、いろんなことを片っ端から忘れるんですよ。これは、死に支度ですね。すべて忘れるっていうことは。余計なことは覚えておく必要がないんだから。
仕事をやめた今は、退屈なもんですよ。半分ボケたバアサンに仕事の用件で訪ねてくる人もいないから、毎日ウツウツとしています。
以前は目が覚めるとすぐに「今日は何をするんだっけ」と考えて、あの原稿の締め切りがあるとか、インタビューがあるとか思い出し、「いざ出陣!」と起きるわけです。それが今では、目覚めてしばらく床の中で「今日は何をするか」と考えるんだけど、特にすることもなし。仕方なくモソモソと起きる。いざ出陣でも何でもないわけです。起きる時からもう元気がないんですよ。
そのうえ、体調がいいか悪いかも、目覚めたばかりじゃよくわからない。
体調は、日によっても時によっても違いますね。起きたはいいがソファに横になって、天井の格子模様を眺めている日も、一日ベッドの中にいることもあります。この夏はとりわけ暑かったので、へばっていました。
そういえば昨年は帯状疱疹とやらで、2ヵ月くらい寝込んでいました。でも、原稿が気になって、片足棺桶に突っ込んでたのに、引っ返してきた(笑)。床上げしてからは、歩けなくならないように廊下を行ったり来たりしてね。昔は「飛脚の佐藤」と呼ばれるくらい速足だったんだけど、今やヘナヘナ、ヨロヨロです。
体重も落ちました。すっかり痩せたけど、なぜか顔だけは変わらない。おまけに耳が遠くて自然と声が大きくなるから、みんな元気だと誤解して困るんです。腰が真っ直ぐだって? それは昔から背中が反っていたから、腰は曲がらないの。目はメガネをかければ読書もできますけど、耳がいけませんね。聴こえがすっかり悪くなりました。
一日の過ごし方は。
――起きるのは6時ごろかしら。それから杖をつきつつカーテンや雨戸を開けて歩いて。顔を洗ったら、表へ新聞を取りに行くのだけど、最近は足が上がらないものだから、やたらにつまずく。我ながらちょっと危ないなあ、と思っています。
新聞を読んでいるうちに娘がパンと卵やスープなどを持ってきてくれるから、お腹はすいてないけれども食事する。朝昼兼帯です。食欲はめっきり落ちましたね。
食後はもうすることがなくて、ぼんやりと庭を眺めたり、テレビを見たり。夕食は自分で作って食べて、寝室で本を読み、10時ごろには眠くなって寝る。寝つきは昔からいいんです。まァ、何も予定がないので寝過ごしたって別にかまわないんだけど。(笑)
少女時代のあの家が人生で一番幸福だった
https://article.auone.jp/detail/1/6/12/196_12_r_20231103_1698983153249560
11/03 12:30 婦人公論.jp 親父が持ってた遠藤周作のエッセイで佐藤愛子と電話で老いてすることないからテレビで怪獣映画見てたとか話すシーンがあったような気がする
それが多分50年くらい前 「ちいさい秋みつけた」のサトウハチローは佐藤愛子の20歳年上の異母兄 >>1
素人出すなよと思ったら小説家か一般的に有名なの? 物心ついて初めて読んだ小説が「困ったナァ」だった
もう60年近く前か 遠藤周作や北杜夫が、あの世で待ちくたびれているよ。 存命だったのか 俺が高校生の頃、やたらとエッセーが流行っていたな 俺も北杜夫のが隙だったな 佐藤愛子も読んでいたと思う 作家の割にずいぶん美人だと思ってたら、この人のお母さん女優なんだな
兄のサトウハチローとは腹違い 永作博美がいた「ribbon」という3人組アイドルグループのメンバーだったよな
この人 >>34
そっちのネタにはならないんだよなあw佐藤藍子ネタになって
そっちは漢字まで同じ佐藤愛子なのに お父さんの佐藤紅緑は「ああ玉杯に花受けて」で有名な作家
お兄さんのサトウハチローは詩人として一世を風靡
この一族はみんな好き勝手やりたい放題やっているみたいでいながら成功している 誕生日もヘチマもありませんよ
言葉の意味はよくわからんが、とにかく凄い自信だ 戦前、新垣にそっくりだそうだが
この人にはさらに、直木賞がある >>35
いいね。
乙女塾ネタ拾ってくださる方がいる。 野坂昭如が歌ってたな
田辺聖子先生、佐藤愛子先生へのラブソング 純文学が売れなくなっていたけどエッセーがバカ売れして儲かる人は儲かった時代かな
作家にとって最後の良き時代だったのかもしれん >>19
無知なのはいいけど検索することも出来ないのはどうなのかね SNSが一般になったら毒舌エッセイもあまり需要無くなったな
ある意味2ちゃんの先駆けみたいな人だが 北海道だが婆さん世代はよく使ってたな、○○もヘチマもないとか○○だのヘチマだのとか 矍鑠とされて素晴らしい お金も稼いできたし
うちの100歳近い口だけ偉そう婆さんとは大違いだ みんなが乗っている電車が目の前を通りすぎていくのを、ひとりただ見送っているようなもの
100歳でこの表現できるのは凄いな。さすが長年エッセイ書いてただけある アンビリバボーは佐藤藍子と清水圭時代によく見てた
今思うとギャラの無駄だわな 読んだことないけど
しっかりされてる方だねえ
いいインタビューだよ 100歳はめでたいが、『血脈』以外の仕事はあまり好きではない 元気な婆さんだ
とっくに遠藤周作や北杜夫に会いに行ったかと思ってた 「100歳まで生きられると思ってました」
と言って欲しかった ボケてないのがすごい
ボケる人とボケない日との違いはなんなんだろう この世代の人は素敵だね。
着物を着て品が出せる世代。 これ、面白そうだな
↓
「知ってしまった者」の責任――佐藤愛子『冥界からの電話』
レビュー新潮社 波
愛子先生には、自らが遭遇した霊的体験を綴った『私の遺言』という著書がある。
五十一歳のときに建てた北海道の山荘で、数々の超常現象に悩まされる話である。
美輪明宏さんに相談に乗ってもらったのをきっかけに、さまざまな霊能者と出会い、
佐藤家の先祖とアイヌとのかかわりを教えられる。
そして自分が山荘を建てたのは、かつてアイヌの人々の棲処であった土地だと知る。
愛子先生は、アイヌの人々の大切な土地を切り崩して家を建ててしまった
自分が彼らの恨みと憤りを受けるのは仕方がないことだと考え、それを正面から受け止めようとする。 そして、理不尽な目に遭って死んでいった彼らの霊を何とか鎮めようと大奮闘、
まさに東奔西走するのである。何と三十年間にわたって!
私はこの本を読んだとき、心底、愛子先生を尊敬した。なんという真面目さとひたむきさだろう。(中略)
荒唐無稽と受け取られかねない話であるからこそ、愛子先生は慎重に筆を運ぶ。
「筆者」という一人称からも、抑えた筆致からも、読者を誘導してしまわないようにとの配慮が見える。
その静かな語りにみちびかれ、私は息をつめて、この不思議な出来事のなりゆきを追いかけることになった。 ちょとまて!30年前にこの人のエッセイ読んでいたけどまだ現役なのかよ。。 >>8
後藤久美子は国民的美少女コンテスト出身じゃないのにな おばあちゃん、若い子はヘチマをもう知らないんですよ。例えもアップデートしましょう >>36
父親の佐藤紅緑は明治7年生まれで明治維新の人
その娘が健在なんだから凄い >>1
ワラタ
そのころ、美人作家の家に白昼強盗が入るというのが何件か続いていて、
遠藤周作さんや北杜夫さんに「まだ来ないかねえ。美人じゃないってことかねえ。
泥棒にも見捨てられたか」なんてさんざんからかわれていたの。
それが「作家の佐藤愛子さん宅に白昼強盗」とニュースに出たら、電話がリーンと鳴って、
北さんが、「おめでとうございます」って。(笑) 親がこの人の著書「90歳何がめでたい」を読んでた
100歳ってすごいわ 百歳でここまで面白いなんて凄いね。この人の本よんだことないけど詠んでみるかな。 1923年生まれってことは中学一年生のときに226事件か。頭も口もはっきりしっかりしてて元気だな 今50代だけど休日の過ごし方同じだよ
目が覚めて何しようかな、することないな…でゴロゴロ >>15
乙女塾が100歳か。時の流れは早いね.. >>90
こういう稼げるババアの納めた税金であんたみたいな無能でも幸せに生きられてるんだぜ?
感謝しましょw 桐島洋子は…
桐島かれんさん(59歳)4人目出産後の子宮全摘、認知症になった母…自分との向き合い方を語る
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f70629d076d7e304fc4003f2b89403216f4b455
>母は86歳になり、9年前に認知症がわかったときはとてもショックでした。
>強くてインテリの母がよりによって認知症って、すぐには受け入れられなかったですね。
>最初のうちは大きな変化はなかったけれど、
>病気が進むと母独自のキレの良さやシャープさ、批判精神が失われていきました。
>かつては母との会話のキャッチボールは鋭くって、きょうだい3人とも母の前で話すのは怖かったくらいです。
>今はやっと普通のおばあちゃんになれて、ニコニコしています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています