2023/10/9 10:00

喜多 由浩

《南北朝鮮の分断の悲劇を歌う『イムジン河(がわ)』はアマチュア時代のザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)がずっと歌い続けてきた歌だ。
後にプロとなったフォークルのデビューシングルとなる『帰って来たヨッパライ』に火が付き始めた昭和42年秋、
『イムジン河』は近畿放送(現KBS京都)の「今月の歌」(同年11、12月)に選ばれ、静かなブームを呼ぶ》

僕らが(仲間だった)松山猛(たけし)から『イムジン河』を教わったとき以来、ずっと歌っていたし、
もちろん(フォークルの自主制作アルバムの)「ハレンチ」にも入れました。(プロとしての)第2弾となるのは自然だったでしょうね。
高嶋さん(弘之氏、フォークルのレコード会社「東芝音工」の担当ディレクター)がそう考えたのは分かるし、僕らも同じでした。

また当時は、矢継ぎ早にレコードを出すのが当たり前だったし、(第2弾を)急いでもいましたから
(※『帰って来たヨッパライ』の発売が42年12月、『イムジン河』は43年2月21日発売予定だった)。

《朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の抗議を受けたレコード会社が政治問題化を懸念し、突如発売中止を決定したことはこの連載の2回目(2日付)で書いた通り。
総連側の要求は朝鮮民主主義人民共和国という正式国名と作詞(朴世永(パクセヨン))、作曲(高宗煥(コジョンファン))者名をレコードにクレジットすることの2点。
『帰って来たヨッパライ』の大ヒットで世間の話題をさらっていたフォークルの第2弾シングルだったから、その記事は、新聞の社会面のニュースになった》

たしか(前作シングルの)『帰って来たヨッパライ』が200万枚を突破した記念パーティーが開かれたホテルで、僕らは初めて騒動のことを知ったのだと思う。

その後、レコード会社が「発売中止」を発表し、僕らはテレビ局の楽屋で、そのことを知らされました。驚いたし、非常に悔しい思いをしたことは覚えていますよ。

週刊誌などには「盗作」まがいなどと書かれたり、メディアにはボロクソにたたかれましたね。(『…ヨッパライ』の大ヒットで)持てはやされていた僕らに対して、
「ザマーミロ」といった気分だったのかもしれません。特に松山猛(※フォークル版の1番を訳詞し、2、3番を新たに作詞)はやり切れなかったでしょう。

https://www.sankei.com/article/20231009-YODAPO455NNNZMWPOGDUQSODIQ/