日本のクラシック音楽界を率いてきた指揮者で、日本の民謡が素材の「管弦楽のためのラプソディ」の作曲家としても知られる外山雄三(とやま・ゆうぞう)さんが11日、慢性腎臓病のため長野県の自宅で死去した。92歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を開く予定。

 1931年、声楽家外山国彦氏の三男として東京に生まれた。48年、東京音楽学校(現東京芸大)作曲科入学。卒業後の53年に間宮芳生氏、林光氏と「山羊(やぎ)の会」を結成し、本格的に作曲活動を始めた。54年にNHK交響楽団指揮研究員となり、56年にN響で指揮者としてデビューした。

 58年、ウィーンに留学。和太鼓やちゃんちきなどの邦楽器も採り入れた、野趣に富む「管弦楽のためのラプソディ」を60年のN響海外公演のアンコールのために書き、自ら指揮をした。これを機に、指揮者と作曲家の両面で国際的に知られるようになった。

 作曲家としては多作で知られ、チェリストのロストロポービチの委嘱によるチェロ協奏曲、佐賀県唐津市民らの依頼で書いた交響詩「まつら」、交響曲「名古屋」、交響曲「但馬」などを残した。

 79年からN響正指揮者。大阪交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団など、国内各地のオーケストラで指揮者や音楽監督を歴任した。仙台市が開府400年を記念して制作した三善晃の「オペラ・支倉常長 遠い帆」(99年)の指揮も高い評価を得た。

 今年5月末、パシフィック・フィルハーモニア東京の公演を指揮中に体調を崩し、途中で降板していた。

朝日新聞社
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