なぜ筒美京平は松田聖子に曲を提供しなかったのか。
それは聖子の若松プロデューサーが酒井政利プロデューサーを敵対視していたから。
酒井政利は筒美京平に着目。南沙織『17才』、郷ひろみ『男の子女の子』、
浅田美代子『赤い風船』などで筒美さんを起用し、大ヒットを連発する。
CBS・ソニーでは多忙を極める酒井の負荷を軽減し、なおかつ互いに競わせる目的で、
1978年に酒井の部下であった若松宗雄が率いる企画制作6部を立ち上げたが、
若松が発掘した松田聖子が社会的ブームになるほどのヒットとなる一方、
同じ1980年に酒井が率いる企画制作2部デビューさせた浜田朱里や中山圭子はヒットに
恵まれず、酒井と若松の社内での力関係は次第に逆転していった。