渡瀬恒彦
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中央大学・慶應義塾大学法学部に現役合格するも早稲田大学は不合格だった。兄・渡哲也からは「慶應に行け」と言われたが、庭で不合格通知を見た母親が涙を流してるのを見て1浪を選択し尾崎士郎「人生劇場」にも影響された[7]、早稲田大学の第一法学部に入学[9]。当時青山学院大学に通っていた兄・渡哲也との共同生活が始まる[7]。空手部に所属し、二段の腕前だった[10]。またボクシングもやっていた[3] という説もある。

兄・渡哲也の「堅い道を進め」という助言もあって[11]卒業見込み[12] で電通PRセンターに就職した。しかし、研修期間1ヶ月で同社を辞め、先輩が作った青山の広告代理店「ジャパーク」に移る[5]。