【芸能】 毒蝮三太夫(87)がお年寄りから聞いた驚きの話「乃木将軍を見送った」「双葉山の膝の上に座った」 [朝一から閉店までφ★]
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エンタメ・アイドル 投稿日:2023.05.22 11:00FLASH編集部
5月16日放送のTBSラジオ『生島ヒロシのおはよう定食|一直線』に毒蝮三太夫さんが出演していました。
同番組MCの生島ヒロシさんから、日本の人生100年時代にぴったりのモデルと紹介された87歳の毒蝮さん。ご自身の健康の秘訣について「現役で動いているというのは『精出せば 凍る間もなし 水車』でね。やっぱり働いているということが健康の大きな理由なのかな」と語っていました。
毒蝮さんは現在、聖徳大学短期大学部客員教授を務めており、7月7日には17回めとなる『マムちゃん寄席』が開催されるなど、今なお現役で働いておられます。
なかでも驚くのは、ラジオ番組『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』(現在はTBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』内で月1回放送)を53年にわたって続けていらっしゃることでしょう。筆者は以前、毒蝮さんに同ラジオ番組についてお話をお聞きしています。
番組は毒蝮さんが会社やお店に訪問し、そこに集まったお年寄りとトークを繰り広げ、「ババァ生きてるか?」と親しみを込めて触れ合う様子が人気となりました。毒蝮さんは番組のルーツについて、
「もともと俺の番組はわざわざ年寄りを集めたんじゃないよ。前は午前中の10時半からやってたから、その時間だと働いている若い人は来なくて年寄りが来ちゃったわけだ。それで佃煮みたいな集まりで50年もやってたら『年寄りといえば俺だ』ってなっちゃたの」
と開始当時を振り返りました。
毒蝮さんが番組を始めた頃は34歳だったため、80代のお年寄りを相手にしたときは、今よりすごく高齢に感じたといいます。
「当時の人はみんな戦争を知っていた人たちで、日露戦争の話をする人が多かった。『乃木将軍を見送った』とか『二百三高地はなかなか落ちなかった』とか。それから『双葉山の膝の上に座った』とか。
あとね、これは聞いた話だけど、西郷隆盛を見たって人も(笑)。元NHKアナウンサーの鈴木健二さんが『マムシさんね。俺、西郷隆盛に会った年寄りの話を熊本まで聞きにいったんだよ』って。そしたらそのおじいさんが、5つか6つのときに熊本城から逃げていく西郷隆盛を見たと。『体が大きくて立派な人でした』って」
歴史上の人物を実際に見たり会ったりしていた人からお話を聞いている毒蝮さん。今後ともそういった驚くべきお話を、いつまでも元気に後世に伝えていただきたいです。
https://smart-flash.jp/entame/236321/1/1/
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。
( SmartFLASH ) こういう話すきなんだよな
もっと聞き取っておいて欲しかった それで佃煮みたいな集まりで50年もやってたら『年寄りといえば俺だ』ってなっちゃたの」
例えが逸品だな。 俺のおじいさんは赤穂浪士の討ち入りの太鼓の音を聞いたって言ってたな。
どこで聞いたの?って聞いたら「水戸で聞いた」って言ってて太鼓の音すげーなってなった。 三大キテレツな芸名
・毒蝮三太夫
・丹古母鬼馬二
・玉袋筋太郎 自分が戦争が終わって〇〇年後の生まれで
戦争なんて遥か遠い昔の自分とは関係のない隔絶した白黒の世界だと認識していたら
年齢が〇〇年になった時に感じる「戦争からこれぐらいしか立ってなかったんだ」と思うあの感覚 コンビニおにぎりのパッケージを発明した人なら3人くらい会った 昔、オレの爺さん竜兵団(文字これやったっけ?)ってとこにいたらしい。
軍人なんだが、任侠者やガテン系、武道家(剣道)ばかりやったって聞いた。婆さんが言うには爺さんも剣道メチャクチャ強かったらしい。 53年前って言うと1970年だよな?
で、西郷隆盛は1877年に死んでる
5つか6つの頃に見たとなると、1871~1872年生まれで放送開始以降だと98歳以上になるけど、本当に見たのかね? >>24
超高齢やから急いで熊本まで会いに行ったんやない? 植木等を見たことがある
金八先生する前の武田鉄矢を見たことがある
このくらいが精一杯だわ >>24
西郷隆盛の妹にインタビューした音声は聞いたことがある
本人の癖とか生活の中で発した言葉とか再現して回想してて
やっぱり普通にいた人だったんだとリアリティが湧く >>24
いつ聞いたか知らんが、西郷隆盛の話を聞いたのは元アナウンサーの鈴木健二だろ >>24
鈴木健二からの伝聞だから53年前とはかぎらんでしょ
つーか鈴木健二は1952年~1953年にNHK熊本放送局だったからそのころのエピソードだと思う 流石に嘘吐き朝鮮人みたいにイアンフでしたって人はおらんか 西郷隆盛はデカかったな
おいどんって言うの聞いて草生えた こいつの喋り好きなんだが
Spotifyの終っちまったんだよなぁ 蝮か若い頃のお年寄りなら、江戸時代に生まれた人とかもいただろ。
今はジジババでも戦後世代でそんな面白い話も聞けないから、これはちょっとうらやましいな。 1968年 明治元年
↓77年
1945年 終戦
↓78年
2023年 現在
戦後という時代も随分長くなってしまったからな。
明治の偉人というのも今考えればそこまで遠い人でもない。 別に驚かないでしょ
戦前生まれは江戸時代生まれの人還暦から80くらいまでいたんだから
昭和元年が江戸時代終わって60年目だろ うちのじいちゃんは第二次世界大戦で戦闘機乗ってヨーロッパの空飛んだ言うてたな まぁ大昔の頃で老人なら明治生まれだろうし下手したら江戸時代生まれもあるか 少しずれるが、鈴木健二は双葉山69連勝がストップした安芸ノ島との一番を生で観戦している。 鹿児島に出張行った時、西郷隆盛みたいなゴツくて濃い顔の人がいろんな所に結構いて、カルチャーショック受けたわ… 特撮オタからすると毒蝮さんご自身が歴史上の人物
初代ウルトラマンとウルトラセブンのレギュラーなんだから NetflixのULTRAMAN3に出てるね
少し胸あつだったよ 双葉山にあったことある人ならまだ生きてる人結構いるだろ
うちのばあちゃんは栃錦に頭撫でられたって言ってるし 水曜日で徳川慶喜に会った事ある人存在する説の回はマジで面白かった 若い人から見たら今の中年も凄いんじゃないの。戦後20年くらいで生まれてるんだからw
今に直したら終戦が2003年だよ >>28
テレビ探偵団の収録を見に行ったらゲストが植木等で一緒にハラホレヒレハレをやったことある
ちなみに二本撮りでもう一方のゲストはおすぎとピーコだった
時代だなぁ 水ダウでもやってたな
けいきを見たことあるおばあちゃん >>1 おじいさんが、5つか6つのときに熊本城から逃げていく西郷隆盛を見た
これはないでしょwww コサキンのラジオでの西城秀樹の扱い(老け顔なので年齢詐称というネタ投稿)みたいな。
玉音放送を聴いたとか、日露戦争での恩賞金を貰っているとか。
「十朱幸代さんとの年齢差カップル、秀樹さんはずいぶん年下の女性をゲットしましたね」とか。 杉真理が母校にふらっと来てて、たまたま居合わせた数名と30分くらい話した
大瀧詠一さんのこととかもっと色々聞いときゃよかったと今でも後悔 ちょっと前は若い頃は戦争に行ってたなんて人は
全然珍しくなかったからな
その時代は悲劇はもちろんあったけど戦争の虚しさを
喜劇調に描くなんてのもよくあったが
今は戦争を体験してない世代が圧倒的に多くなって
そうやって茶化すのは絶対に許されない雰囲気になったな 東郷平八郎なら今でも見た事ある人いるかもしれないね まあでも仮面ライダーが50年以上、聖子ちゃんマッチや82年組も40年以上前の大昔。
リアルで接してる俺もそりゃ禿げるわ。そんな昭和40~50年代の記憶があるって、
俺は当たり前の出来事として残ってるが、今時の若い世代、30前後の人らにしてみれば
ホントにジェネレーションギャップとして捉え、おとぎ話?のような空想が巡るばかり
なんだろうな。 初代ウルトラマンでヘアドライヤーみたいな光線銃を撃った >>70
戦争体験者はやっぱ一目置かざるを得ないな。
自分は平和と水はタダという感じで育った世代。先人の苦難についてはただただ頭が下がるばかり。。 鈴木健二存命だよな、とwikiみたら94歳だって。
すげえ。 司馬遼太郎の燃えよ剣に取材の為に訪れた京都で鳥羽・伏見の戦いを体験したという方に出会った的な話が載ってた気がするけどそんな感じか
俺らで言うとどうしても淡路、東日本の災害になっちゃうな… 伊藤博文の児童漫画を描いた漫画家は子供頃に博文の幼なじみだった爺さんから博文の話を聞いた話を描いてたな >>53
笑点で座布団運びすることになったとき、特撮をみてくれた少年たちの夢を壊さないようにと司会の立川談志がくれた芸名が毒蝮なわけで 介護職をしてると明治生まれとか15年くらい前まで普通にいた。その親は江戸時代とかだし意外と最近なんだよ。今は流石に大正生まれがギリギリだけど 毒蝮師匠のくたばれババアも今ならポリコレだもん。
つまらない世の中になったな。 都家かつえ師匠は、バルチック艦隊に手を振った
とラジオで大沢悠里がよく言ってたが
それと同じ類いのギャグだろ 昔は「おいクソばばぁてめえこの野郎いい加減にしろよぶち殴るぞ!」とか言ってたんだっけ
今ではそんな芸風でやれないだろな >>78
熊本の殿様んち(総理大臣が出たあそこ)に取材に行ったら、そこのお婆さんが
「うちは戦争で貧乏になってねぇ」
と嘆いていたけど、その戦争は太平洋戦争じゃなく応仁の乱だった
という話が色々な意味で馬鹿馬鹿しくて好き >>81
でも笑点の収録にアラシ隊員を観にくる子供だらけになってしまい
現場の空気が変わるからと首にしたのも談志 昭和の終わりころに死んだ曾ばあちゃんはたしか明治37年生まれだったな
田舎だから有名人エピソードなんて何も無いけど ウルトラマンが66年だから戦後21年後に放送
今から21年前は2002年は小泉訪朝と日韓W杯だから
そう思うと当時は戦争体験者なんかは当たり前なのも
当然なんだろうな うちのおばあちゃんは巨人の青田と一緒に後楽園の選手用大浴場に入った >>81
>>88
先日亡くなったプロ野球の名選手・毒島章一さんは落語好きで、談志とも親しかったそうだが、毒蝮さんとは交流はあったのだろうか? >>2
その婆さんは水曜日のダウンタウンに出てたな
大政奉還の後はうろうろしてたみたいだね >>14
この感覚は凄い判るよ
自分の生まれた年を起点で今の年齢を反転したら
まだ明治時代だもんなぁ
自分が生まれたときの今の自分と同年代は明治生まれだったと思うと
少し怖い・・・ 俺の親父は力道山とデストロイヤーがキャッチボールして仲良くしてたのを見た
それを聞いてプロレスは八百と小さい頃に知ってしまった うちのばっちゃんは子供の頃よく二葉亭四迷に遊んでもらってた あのー、話ちょっと関係ないかもわかりませんけど、軍歌っていうの在りますね。
それで、軍歌っちゅうのは、質の良い軍歌になりますと、人を、本当に、「俺は悠久の大義に活きるために死ぬんだーッ」という気にさす、凄い物を持ってるんです。持っていながら、私の頭の中には今だにその軍歌が一番から三番まで明瞭に残ってるんです。頭の中でずーっと鳴って、心地よくなってるんです。
それぐらい軍歌というのは、恐ろしいもんであり、また、美しいもんであるという、いま、その思いでまいにち、悩むと言うか、感無量と言うか、「なんでこんな音楽が在んねん」という、そんな思いでおります。
恐いですね。人を、本当に、無目的に、自分から死に追いやるような、喜んで死に追いやるような音楽でありながら、何十年にわたって耳の中に明瞭に、頭の中に残っている、しかも心地よくという。この恐ろしい事が、なんか今だに自分でも解決できないです。
音楽の中で、軍歌の恐ろしさいうのが、なんか、今だに解決できないです。
ちょっと、お話と関係ないかもわかりませんけど、いま現在の心境です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています