0383名無しさん@恐縮です
2023/05/23(火) 14:50:25.20ID:2xuXrb4H0合戦は、酉刻(午後六時頃)にはほぼ決着がついたといわれる(「本多家武功聞書」他) 。
徳川・織田連合軍にとって幸いだったのは、敗北が決定的になったころ、周囲は夜の闇に包まれていたことだ。地の利がある徳川方は、浜松城を目指して逃亡した。いっぽうの武田軍は、連合軍を追いかけたものの、地理に暗く、家康を取り逃がしてしまっている。
武田軍は、先手と二の手の軍勢だけで徳川・織田連合軍を撃破し、信玄旗本、脇備、 後備はまったく参戦せずに勝利をおさめたという。
信玄は、織田信長が偽装工作を行い実は今切付近にいるだろうと予想し、二度目の合戦の支度をするよう全軍に下知した。 そこで、参戦しなかった脇備を先陣へ、後備を前に配置しなおし、捨て篝、本篝を設置して織田の襲来を待ち構えたが、何事も起こらなかったという。このころ、すでに夜になっていたらしい。」
平山優『新説 家康と三方原合戦: 生涯唯一の大敗を読み解く』より