2023/04/21 12:00

ライター:游研社

下記の記事は,游研社(→リンク)に掲載された記事を,許可を得て翻訳したものです。可能な限りオリジナルのまま翻訳することに注力していますが,一部,画面写真などを変更したり,文化的な背景などで理解されづらいものについては日本向けに表現を変えたりしている箇所があります。→元記事





ビル・ゲイツとマイクロソフトの社員によるマインスイーパへの熱狂は,その後アメリカが直面する「マインスイーパ中毒」の縮図だった

 2012年にWindows 8がリリースされるまで,マイクロソフトは歴代のWindowsにミニゲームをプレインストールしていたが,その中には「ソリティア」と「マインスイーパ」という,根強い人気を誇る2作があった。Windowsが世界で数十億本も売れいるわけで,この2作品の潜在プレイヤー数も軽く“億級”に達しているだろう。

 パソコン教室に通う小学生も,毎日遅くまでPCと向き合ってる“社畜”も,これらのゲームの誘惑に打ち勝つことは難しい。Windowsに「マインスイーパ」が添付されなくなったいまでも,新記録を打ち立てて限界に挑戦することに夢中になっているプレイヤーが,一定数いるのだ。

 マインスイーパは,世界を席巻する前に,まずは生まれ故郷のアメリカを席巻した。1990年代,マインスイーパは瞬く間にヒットし,何百万人ものアメリカ人を虜にした。
 実際のところマインスイーパは,アメリカで最初に「時間の無駄」「ゲーム中毒」というレッテルを貼られたゲームの一つで,社会にパニックを起こすほど一世を風靡した。これは,その前にブームになっていた「テトリス」でさえも達成できなかった偉業だ。
 当時のアメリカの世論は,このマインスイーパフィーバーに対して,今のゲーマーにもお馴染みの悲観的なトーンで批判し,ゲームの中毒性に対して強い対抗姿勢を取ることとなった。

 当時のメディアは,その中毒性に対する数多くの「生きた証拠」を列挙していたが,その中で最も有名なものは,マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツに関するものだった。“悪魔”を解き放った男でさえその誘惑に抗えないのであれば,一体ほかの誰ができるというのだろう?






我々は,自分達の生産性のかなりの部分を,自社製品によって台無しにしてしまった

 1990年5月22日,Windows 3.0が登場した。GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を利用して,画像アイコンでファイルやソフトを表示し直感的に操作できるようにしたものだ。メモ帳やWritingパッド,ペイント,電卓などを搭載し,より豊かなディスプレイの色をサポートするなど,業界をリードする数々の革新的な技術により,それ以前のDOSやWindows 2.11に比べたら,画期的なオペレーティング環境となった。

Windows 3.0英語版のデスクトップ
https://www.4gamer.net/games/999/G999901/20230419035/SS/002.jpg

 しかし30年前には,これらの概念と用語はまるで異国の言語のように難解だった。多くの人はまだ,コンピュータというものを大企業だけが利用する生産道具としか見ておらず,この新しいシステムの素晴らしさを理解する術がなかったのだ。
 マイクロソフトは,一般の人にもパソコンとWindowsの魅力をアピールしたいと,ゲームを導入することを思いついた。しかしWindowsのことをゲームプラットフォームとして認識するゲームパブリッシャーはまだなかったので,社員に呼びかけ,趣味で書いたゲームプログラムを提出させるなどして自力でやるしかなかった。

 発売当初のWindows 3.0は既に「ソリティア」や「リバーシ」などの定番ゲームを搭載していたが,同年10月8日にWindows Entertainment Pack(WEP)を発表し,「Now you can use the incredible power Windows 3.0 to goof off(さあ,Windows 3.0の驚異的なパワーでサボれるぞ)」という宣伝文句を掲げていた。

     ===== 後略 =====
全文は下記URLで

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