【ラジオ】加藤茶 ドリフターズそれぞれのメンバーの芸名命名秘話 「全部付けてくれた」大先輩明かす [湛然★]
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加藤茶 ドリフターズそれぞれのメンバーの芸名命名秘話 「全部付けてくれた」大先輩明かす
[ 2023年4月19日 17:17 ] スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/19/kiji/20230419s00041000425000c.html
「ザ・ドリフターズ」の加藤茶(80)が19日、ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(月~金曜前11・30)にゲスト出演。芸名の由来について明かす場面があった。
リスナーから加藤のドラムテクニックについて絶賛するメッセージが届き、今後のテレビなどでの披露について聞かれた加藤は「ないですね、80歳になると手足が動かないわ。この間やってみたけど、自分が思っているところに手がいかない。ソロはできないと思うけど、演奏するぐらいはできる」ともらした。
そもそも、ドリフターズはコミックバンドだが、「コメディアンになろうと思ってバンドマンになったわけではなく、上手いバンドマンになろう、ミュージシャンになろうと思って、いつの間にかコメディアンのほうにいっちゃった」と吐露。「(ハナ肇と)クレイジーキャッツが先輩でいて、同じ事務所なんだけど、クレイジーキャッツがやっていることを俺たちもまねしてやろうって始めたんだよね。やっぱり同じギャグになっちゃうけど、いいだろうっていうので、パクっちゃえ、パクっちゃえってやってた」と同じくバンドからコメディアンに流れた先輩バンドをまねしていたと明かした。
そんな中、ある日、ハナ肇さんがドリフターズが練習しているところに来たといい、「お前たちか、ドリフターズは!」と声をかけられたという。「怒られるのかと思ったら、“かまわない、まねしろ!”って言ってくれたの。ハナさんがうちの1人1人の芸名を付けてくれたしね」と振り返った。
「ハナさん曰く、水に関係した名前が縁起がいいんだ、って」と加藤。自身の“茶”という芸名については「加藤、お前は自分で加藤ちゃん、加藤ちゃんって言ってるよな?じゃあ、お前、茶にしろ!水そのものよりはいいだろ!」と言われたそうで「お茶の茶で“お茶?”って思ったけど、まあ、いいかなと思って」と回顧。ハナさんはいかりや長介さんについては「いかりが付いてる」などと次々命名。高木ブーについては「お前は見たまま、ブタでいい」と言ったそうで、「水関係ない!」との声にも「ブタっていうのは生活にしてないとストレスで死んじゃうんだ、清潔にするためには水で洗うだろ」と主張した。
仲本工事さんは「工事中の工事にする。セメント埋めるときに何を遣う!って。ほら、水に関係ある」、荒井注さんは「さんずいが水に関係する。お前は注意人物だから注でいい!」と名付けてくれたそうで、加藤は「全部付けてくれたの」と感謝した。
(おわり) >>63
たしか谷啓の芸名は
ダニー・ケイから拝借していたんだっけ >>80
賭博というかノミ屋利用だろ。JRA行くのがめんどかったとか >>87
いかりやはコントも全部仕切ってたしな
裏方ぶんの仕事考えたら余分に貰ってもいいとは思うけど
まあそれでも人気がどこか考えたら半分は取りすぎw >>103
実は飲食代とか交通費の経費が
そのいかりやの取り分から出てたとか
どっかで読んだ気がする 荒井注は確かに小学生の子供がみてもかなりヤバそうなオッサンだった >>102
暴力団関係者と交流があったことがまずい ハナ肇は役所になれば良かったのに
めちゃめちゃ芝居上手かった いかりやは分捕ったギャラで自宅周辺の土地を買うのが趣味だったという話だが、つまらん趣味だな 高木って名字は多いからそれだけじゃ何ともないけど、太ってたりしたらもうアウト
間違いなくアダ名はブーだった昭和後期 中学の時、162センチ68キロでそこまでデブじゃないのに名字が高木ってだけであだ名がブーちゃんだった
女だからこのあだ名凄い嫌だったわ ただブーさんは良き家庭人なんだよな
やっぱり家庭を大事にする人は晩年幸せになる >>110
いかりやがドリフのギャラ6割ガメてたのは
・ドリフのメンバーとして1
・ドリフのリーダー(バンマスの風習)として1
・志村やすわ親治ら見習いへの小遣いとして1
・地方巡業した際の地元の有力者への接待交際費として1
・裏方やバックバンド(ゲイスターズなど)への謝礼として1
・コントの総合プロデュースや構成作家のネタの最終決定の責任者として1
こういう内訳だったらしい。後年志村が志村座を立ち上げた際になぜあの時いかりやが
これだけ予算一人で取ってたのかがようやく理解できたと述懐してた。 >>110
あとは、自分のルーツを探りにアフリカ旅行することとかな あなたもう忘れたかしら~ドリフに荒井注が居たことを~
加藤茶にさえ忘れ去られた荒井注が可哀想 高木ブーだけは何でや!ってなっただろうなw他は普通っちゃ普通の名前なのにな >>118
嘉門タツオ「僕の歌をパクらないでください。会いに来て荒井注もあるけどね。」 当時のハナ肇ってまだ20代じゃろw
ぶちセンスええのう! もうドリフのマル秘話はやめてほしいな
飽きたしドリフを上げすぎ ドリフターズはすごかったな
映画上映とかドリフの映画がメイン、同時上映があの寅さんだった チャチューチョコブー
チャチューチョコブー
イカリソースはチャチューチョコブー
オレはいかりや
ソースはイカリ あんなに映画撮ってたのに後世に語られるような名作が皆無というのも凄い。美空ひばりもそうだけど >>26
体操のそれは健康的なセクハラというかお色気の範疇だった
演者も仕事でやっているという感覚だったので不快感はなかった
まだ品があった
ところが志村けんは自分の趣味嗜好でアイドルや女性歌手にセクハラをしているのが観ているこちらにまで伝わってくる感じだった
ネタや共演者のチョイスも志村が個人的にセクハラしたいことが目的であるのが透けて見えていた
己の欲望を満たすために笑いを利用してるんじゃねえよと不愉快極まりなかった >>2
いかりや長介の自伝によるとその時のハナ肇は何かのパーティーの席で酔っ払ってたらしいからな >>84
逆に苗字が高木でなくても肥った奴はブーちゃん いかりやはクレージーのギャグを使っていいと言われたけど使わなかったと言ってたが茶の方は普通に使ってたと言ってるんだな >>131
ひばりの映画は結構面白いのもあるぞ
ただし、ひばりがあの容姿でモテ女やってるのに違和感バリバリだがな 最初はグーまたまたグー
いかりや長介頭はパー
正義は勝つ >>137
そりゃ三代目が後についてるからな
あの岡田茂社長が美空を東映に引き抜こうとしたら、ステージママと一緒に田岡組長も一緒に面接に来たらしい
そのときのやり取りが気に入ったのか、田岡組長は岡田社長もやくざをやったらいい組長になるだろうと言ったとか >>131
当時映画といえばテレビ番組の延長みたいな娯楽映画が中心だったしね
業界が今みたいな大作志向になるのは70年代半ばから ん?
いかりやの「碇矢」は本名で、長介が芸名でしょ?
「長介」が水とどう関係してるの? その後ドリフが売れすぎて同じ事務所に二組も売れっ子がいると具合悪いからドリフのマネを社長の暖簾分けした事務所に移籍したんだってな
平成のドリフと言われたスマップも嵐が追い付いてきたタイミングで独立が実現できたら良かったのに >>14
進駐軍命名みたいな物
演奏中に、架空の虫を追ってハエ叩きや洗面器で頭をぶっ叩く一連の持ちネタをキチガイと評されたから
(楽器で遊ぶのは、アメリカのビックバンドジャズでは定番だったから、谷啓がエスカレートさせたらしい)
それまでは、キューバンキャッツ >>142
本名の碇は錨と同じ読みなのでそのままでいい
ただし苗字が難読なので平仮名に、長一は言い難いので長介にしなさいというようなことだったらしい
まあ酒の席でのことだしあまり深く考えなくていい >>11
加藤秀明くんは加藤だからチャー坊と呼ばれてチャボになった。かどうかは知らんけど。 >>147
加藤だからチャー坊 ここでもう意味がわからない 高校生くらいになってからドリフターズが本格的音楽バンドでビートルズの前座を務めたのを知った衝撃
ドリフターズという名前もドリフトが語源のよくあるバンドの名前と知った時の驚き いつみても波瀾万丈だったと思うが高木が出た時、
他のメンバーは丁寧に考えてくれたのに高木だけは
ハナ肇「高木、お前はブーだ。以上」で済ませたと語っていたから
水は後付けだな >>146
こじつけの即興なのが良かったんだろうな
変に考えてたらこうはならなかったと思う >>25
井原忠高のポリシー
テレビタレントは歌って踊れて演技も出来て、初めて一人前
だから井原組だった伊東四郎なんか、今だになんでも出来る
ドリフは、歌(演奏)も踊りも演技も、どうやっても不器用な集団なので
いかりやは最初から、そっち方面は諦めてた
後年、いかりや自身が役者としてアカデミー賞を取るし、小泉孝太郎とか殆ど押しかけ弟子みたいになってたけど
いかりや長介自身は自分を最後まで認めなかった ひばりの歌謡時代劇みたいな映画ってそれこそテレビのドリフみたいなドタバタギャグ満載だったりするんだよな >>62
長介は競馬で金を使いたい放題で下積み時代の志村に馬券を買ってきてもらっていた
ノミ行為で志村と仲本が捕まった時は、実は長介も買っていた >>5
コメディバンドと言うジャンルが無くなったからな。かなり上手くないと難しいし。 >>3
子供だったからそれわかる
志村じゃなきゃ嫌だった >>62
それよく言われるけど昔のバンドはリーダーが半分持っていくのが常識。 >>161
バンドマスターってやつだな
なんでいかりや長介とドリフターズってしなかったんだろ、ハナ肇とクレイジーキャッツみたいに 興行の世界は裏社会との付き合いも重要だったから、いかりやもそのスジの人たちとの折衝をしていたのだろうな。ギャラ多く取る資格はある 志村けんは、関係ないのか?
まぁBowieだけど。
親の名前つけたんだっけ? >>161
ボケ解説するのなんだが、メンバー5人なのに
残り4等分じゃなくて5等分なのかよ!ってつっこむとこだw >>162
ハナが一から立ち上げたクレイジーと違い
ドリフは櫻井輝夫さんから受け継いだものという意識の方が高かったのでは
カントリーウェスタンからコミックバンドに切り替えちゃったし、ドンキーの脱退もあって、いかりや・加藤以外は別物だから
今で言う、WANDS・モー娘。的メンバー全取っ替えとか、当たり前だったし >>3
自分は志村加入後しか記憶になくて親から聞いたんだけど
その枠で加藤茶と西城秀樹のドラム合戦ってのがあった
秀樹はカッコよくドラミングするんだけど
加トちゃんは叩くとドラムセットが壊れるってコント
うちの両親はそれが好きだったみたいでよく話してた >>162
ジャズ喫茶時代は碇矢長一とドリフターズ名義だった
テレビに出るようになってからはザ・ドリフターズと紹介されてる
オーナーが櫻井から渡辺プロになったときになんかあったんだろうな 今まで長介がふざけて適当につけたと思ってた
ごめんなさい なんでいかりや長一がいかりや長介になったんだよ水関係ないだろ 音楽というか
今はヒカキンがボイパ出来るな
スマスマにとんねるず
音楽とちょっとしたお笑いはセットなのかな? 「長一?気取ってやがるな。長介にしろ」
ってことだったと聞いたけど、
その気取ってる気取ってないの感覚は今ではピンとこないねw >>171
いかがついてるだろ
イカなんだから海にいるだろ
はい、水関係ありますきたー
長介のちょうも潮を音読みするとちょうだろ
はいこれも水関係あります 荒井注は空の桶で失敗したから、やっぱり水は縁起が良かった。 サン・ラはハナ肇そっくりのおっさんだったと山下洋輔もレポートしてたなw >>168
うちの親は高速道路を運転する時
加藤茶が速度違反で捕まった話をよくしていた
昔の車は時速100㌔超えると変な音鳴ってたんだけど加藤茶は170㌔出していたとか 加トちゃん格好良かったな
芸能人で初めて好きになったのが加トちゃんだった この人はもとはアートブレイキーに憧れて
カウントベイシーとも競演した事もある凄い人 >>3
机の上からバック転して机に頭ぶつけたのは衝撃だった。
幼い俺は心配したよ。 >>179
俺も
幼稚園の頃で初恋
今ではアラフィフのガチゲイ >>3
「いやぁ~参った参った」とか、バネのあるズッコケとか良かったじゃん。
バカ兄弟なんか面白かったよ。 >>62
それを聞いて腹を立てた加藤がいかりやの車の特定のホイールに何度も立ち小便してたらサビて修理に出すことになったまでワンセット ギャラ分配に関してはドリフはいかりや長介一座なんだから仕方ない面もあるだろ
程度によるとは思うけど クレージーのメンバーは普通の名前なのに他人事だとめちゃくちゃするな 志村はギャラの件でいかりやと揉めて(ネタ作りの主導権がいかりやから志村に移ったせいもある)
一時は共演NGな程、不仲になったけど
自身が座長を務めるようになると、領収書が切れないお金や持ち出しが半端じゃない額だとわかって、志村からいかりやに詫びを入れたそうだ
全部心得ているいかりやは、なんのわだかまりもなく、志村の詫びを受け入れた
大爆笑最末期に再び共演が見れたのは、そのおかげらしい >>168
じゃあどうぞ。
ttps://www.youtube.com/watch?v=fsKC4pQYgxo >>22
事件後にCSの番組とラジオに1回ずつしか出られなかった横山ノックがそうで、昔話をあの世に大量に持ってっちゃったんだよね >>45
桐蔭から慶應いった野球の志村はヒーローだったぞ >>191
ドリフに関しては、去年生存しているメンバーや関係者を徹底的に掘り返した聞き書きが文春新書から発売されているので、これにいかりや長介・志村けん・高木ブーの自伝を併せ読めば概要は掴める。
あと、笑芸人って言うムック本にアイテムや年表が整理されている
よく言われる噂話や伝説はあらかた本人達の口から語られているから解決してる
更に、伊集院光のラジオにゲストに来た時に、仲本・高木からみたいかりや長介が整理されて語られている
仲本工事の話は、多分営業先や公演で散々語られて来たと思しき旨さだけど、音声に残っているのは珍しい
この手の解説をして来た小林信彦や吉川潮あたりがドリフを軽視しがちだったのが勿体ない >>103
まあ、元々小野ヤスシ達が、いかりやさんの
ワンマンなやり方に反発して、クーデター的に
脱退して、ドンキーカルテット結成してしまい
既に入ってる仕事穴あけられないと、慌てて
長さんが他のバンドから引き抜きして、かき集めたのが
荒井、高木、仲本。加藤は小野達に付いていこうとしたが、小野に「茶坊は残っとけよ」と謎の残留を受けて
思いとどまる >>196
茶は小野ヤスシとはその後もずっと親友だったんだよね
茶とヤスシとあと何故かとん平の3人でいつもつるんでたとか >>175
確か、いかり(錨)船の錨からじゃないの?よく知らんけど >>62
いかりやの取り分だけが多い少ないの話ではなく
いかりや以外の残りのメンバーのギャラ配分は
均等ではなくだいぶ差があったって話だろうに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています