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阿修羅が公開練習で新技を公開(81年4月、国際プロレス道場)
【プロレス蔵出し写真館】今から42年前の1981年(昭和56年)4月7日、埼玉・大宮市にあった国際プロレスの新合宿所にリングが完成し、道場開きが行われた。真新しいリングで、アメリカから凱旋帰国した阿修羅原が公開練習を行った。
【写真】衝撃だったペガサス・キッドの雪崩式パワーボム
取材に行ったベテランカメラマンは帰社するなり、「阿修羅がすごい技やってたよ」。そう言って、フィルムを現像している最中、嬉々として話を聞かせてくれた。プリントした写真を編集局長に見せると、「連続でいけるな」。初めて見る技に興奮を隠しきれないでいた。
この日の原稿は道場開きの一報(雑感扱い)だけになり、新技は18日に開幕する国際の新シリーズに合わせ、後日、大々的に扱うことが決定した。
そして、16日発行の紙面で、阿修羅がマッハ隼人に決めた新技を5枚の連続写真で掲載。見出しは「阿修羅・原が超ド級新技初公開 名付けて雪崩式<uレーンバスター」。後年、ポピュラーになり多くのレスラーが使う雪崩式ブレーンバスターが日本で初めて紹介された(写真)。
前年の暮れに渡米した阿修羅は、ビル・ワットが牛耳るルイジアナ地区で腕を磨いた。そこを起点にミシシッピー、テキサス一帯をサーキットして100試合こなしたと明かし、雪崩式ブレーンバスターを開発したとされるスーパー・デストロイヤー(スコット・アーウィン)も参戦していたことが、この技の習得につながったようだ。
ところで、この雪崩式ブレーンバスターが東スポに掲載されたことで予想だにしない出来事が起こった。
国際が開幕する前日の17日、新日本プロレスの鹿児島県立体育館で行われたIWGPアジア地区予選。藤波辰巳(現・辰爾)と木村健吾(後に健悟)が対戦したのだが、なんと木村が雪崩式ブレーンバスターを藤波に仕掛けた。藤波は空中で体をひねり、落下したときは木村の上に乗っており、その体勢のまま木村はフォール負け。とはいえ、雪崩式ブレーンバスターを初公開したのは木村という記録が残った。
まさか先に使われるとは思いもしなかったろうが翌18日、後楽園大会で阿修羅はスティーブ・オルソノスキー相手にこの技を披露。6月25日、静岡・清水大会ではジプシー・ジョーにトップロープからも決めている。
さて、後年、さまざまな技が雪崩式の対象となった。
もっとも衝撃的だったのは92年8月12日、両国大会で初公開されたポスト最上段からの雪崩式パワーボム。獣神サンダー・ライガーが雪崩式ブレーンバスターを狙ってペガサス・キッドをコーナーポストに乗せ、ロープに上がると、キッドは上から覆いかぶさり、抱え上げると前方にジャンプ。ライガーは頭から真っ逆さまに落下した。「軽い脳震とう」(ふけたかしリングドクター)を起こし担架で運び出された。
雪崩式は見た目にインパクトがあり、破壊力にも説得力がある。しかし、やられる方は受け身の巧拙が問われる。「オレは受け身を取ってなんぼ」。いぶし銀のファイトで新日本プロレスを支えた職人・保永昇男の言葉が胸に響いた(敬称略)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4b61e832976d0712b3b90b49e4e4a02f506c52a7
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