御茶ノ水は世界でも珍しい「楽器の街」…各店舗が独自路線、出店相次ぐ理由を探る [征夷大将軍★]
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JR御茶ノ水駅(東京都千代田区)で下車し、駅前大通りに出ると、ずらりと楽器店がひしめく。多くはエレキ、アコースティックのギターを取り扱うが、管楽器やバイオリンを専門的に取り扱う店も。この一帯の楽器店は40以上に上るが、これだけ集中するのは世界的にも珍しい。なぜ、こうなったのか。歴史を探ってみた。(石川貴章)
御茶ノ水駅前の楽器店でギターを試奏する来店者(3月15日)祝日の3月21日夕。駅前は、学生や外国人ら多くの楽器好きでにぎわっていた。店を回りながら、楽器を見定めていたのは、千葉県我孫子市から訪れた13歳と11歳の姉妹。
バンドを通じて成長していく女子高校生を描いたアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」に影響を受け、姉妹でギターとベースを手に入れようと、父親(50)らと訪ねてきたという。
それぞれがお気に入りの1本を買ってもらうと、うれしそうな表情で「うまく弾けるように頑張りたい」と声をそろえた。父親は「『御茶ノ水なら間違いないだろう』と思って来た。他の地域に比べ、店員の知識が豊富だと感じた」と納得の様子だった。
アニメにも御茶ノ水が登場するといい、今では「聖地巡礼」として訪れる人も多いという。
多くの人が集う楽器の街。昔はどんな場所だったのか。
「江戸時代は旗本屋敷が立ち並んでいました」。教えてくれたのは、千代田区文化振興課の学芸員・高木知己さん(59)だ。
江戸幕府を開いた徳川家康は息子・秀忠に2代将軍を譲った後、駿河国(現在の静岡県の一部)を拠点とし、将軍家直参の家臣「旗本」も一緒に移り住んだ。家康の死後、江戸に戻った旗本たちは、江戸城に近く富士山を望むことができる現在のJR御茶ノ水駅周辺に屋敷を構えたという。
明治時代になると、旗本たちは、それぞれの道を選んで住まいを移し、一帯は空き家が増えていった。
そして、新たな街づくりの中心となったのは大学だった。1886年に現在の明治大学が、1921年に現在の日本大学歯学部が進出するなどし、04年には後のJR御茶ノ水駅となる鉄道駅も開業した。
高木さんは「現在の御茶ノ水のにぎわいは、学生街になったことがターニングポイントになっているんです」と打ち明ける。
戦前から続く老舗・谷口楽器の岩田浩社長(52)に話を聞いた。
アコーディオンなどを取り扱う同店は、35年に浅草地区で創業。しかし、創業者が「学生の集まる御茶ノ水に出店したい」と考え、41年に明大前に移転。
戦後、進駐軍から大量の楽器が払い下げられたことで品ぞろえが増したことや、50年代に入ると平和の願いを訴える「うたごえ運動」が盛んになり、楽器がよく売れた。別の老舗店によると、この頃の好景気に乗じて、雑貨店が楽器店にくら替えすることもあった。
60年代のエレキブーム、その後のフォークブームの影響で、70年代にも徐々に店数が増え、正月にはお年玉を握りしめた学生が楽器を買いに来るのが風物詩に。
90年代に入ると、ビジュアル系バンドの一大ブームで楽器店が一気に増加。「御茶ノ水」ブランドが確立し、出店が相次ぐようになったという。
店が増えれば普通は価格競争が起きるが、各店舗は独自路線を進むことで、生き残りを図ってきた。ウクレレなどの専門店や、ギターでもビンテージに特化するなどの特色を出す店もある。
岩田さんは「御茶ノ水に行けば、店舗をはしごして、一度で色々な楽器を見ることができる。それが、国内外から評価される魅力なんです」と声を弾ませた。
御茶ノ水駅前の思い出を語る宇崎竜童さん
明治大学出身で音楽家の宇崎竜童さん(77)は学生時代に軽音楽クラブに所属し、御茶ノ水駅前で買ったトランペットでジャズに熱中した。「(学生だった)60年代は、楽器店は少なかったけど、ジャズ喫茶やクラシック専門の喫茶店があって、すでに音楽の街の雰囲気があった」と振り返る。
当時は曲のメロディーを覚えようにも、録音機材も持っておらず、ジャズ喫茶に通っては何度も曲をリクエストし、必死に楽譜に写していったという。
プロになってからは足が遠のいていたが、2000年代に入ってから軽音楽クラブのOB会長になったことをきっかけに、明大のホールでジャズのイベントを毎年開催している。
地元の楽器店などからなる連合会の結成に関わるなど音楽を通した地域振興に尽力しており、「ギターやトランペットの音色が至る所から聞こえるニューオーリンズのような街にしたいね」と満面の笑みをみせた。
読売新聞2023/04/03 16:03
https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20230403-OYT1T50078/ https://www.ongakunotomo.co.jp/information/detail.php?id=2965
『レコード芸術』休刊のお知らせ
クラシック・レコード評論の専門誌として1952年3月に創刊し、70年を超えてご愛顧いただきました『レコード芸術』ですが、
近年の当該雑誌を取り巻く大きな状況変化、用紙など原材料費の高騰等の要因により、
誠に残念ではございますが2023年7月号(6月20日発売)をもちまして休刊にいたすこととなりました。
長きにわたり支えてくださった読者の皆様、ご寄稿いただいた執筆者の皆様、
レコード会社各社をはじめクライアントの皆様、制作にご協力いただいた関係者の方々に御礼申し上げるとともに、
今後もご購読を予定されていた読者の皆様に心よりお詫び申し上げます。 それでも一時期の頃に比べたら大分減ってきた、もうバンドブームでもないし ホントは浜松市の駅前もそうなればいいのにと思うんだよなあ
メーカーや物流は浜松が中心なんだけれどねー >>5
そりゃ東京に比べて人が少なすぎるからでしょ
バイク関連でも浜松に本社置いてる所多いよ、行きたいけどそれだけって事で行く気はしない 今みたいにユウチュウブ流行る前はバンドや音楽で有名になるのが若者の手段だった
たいしてできもしないのにギターケース担いでる人が多かった 楽器店が多いのは、昔、音大があの辺にあったからだと聞いたことがある 明治大前の坂を楽器見ながら降りて行くと今度はアウトドアやスキー用品店が増えるのはなんでなんだぜ? 楽器の街 御茶ノ水
古書の街 神保町
スポーツとアウトドアの街 小川町 >>14
今も結構あるんじゃないの
元吹奏楽部だが子供がSAX始めたのでこの間何十年ぶりにDACに行った >>19
ヲタ御用達の黄金ルートだな、秋葉原も含めれば
この辺往復してたっての多いだろう 昔に比べたら大分色んな店潰れて
御茶ノ水神保町なんか寂しくなってたわ >>19
なんで小川町がスポーツとアウトドアの街になったかが知りたくて。
明治大のせい? >>22
大分楽器屋スポーツ屋も古本屋もなくなったよな
かわりにどうでもいい飯屋が増えてる 昔は新御茶ノ水で降りてESP行ってからのお茶の水まで歩いて谷口、下倉、黒澤、石橋を巡るのが楽しかった
気力があればそこから徒歩で秋葉原のラオックス楽器館へ足を伸ばしてた
イケベは水道橋だったからたまにしか行かなかった
新宿厚生年金会館がまだあったころは早めに行ってKEYで時間潰してたりした
っていうヂヂイの回顧録 10年前に買ったアルトサックス売るかな
YAMAHAカスタムZ、オリタノボッタの選定品 神保町二郎は基本2時間以上待ちw
整列する人がいないのにみんな綺麗に並ぶ 試し弾きがおおっぴらにできるの日本だけ海外は治安がダメってだれか言ってた 東京でいちばん好きな街
住みたいけど住むには色々不便だよなあ >>32
物価高いし、生活雑貨とか売ってる所ないからね
あの辺だと江東区の方にまで行かないとダメかな、結局車必要になるw 壁の薄い集合住宅が増えたから楽器の需要は厳しい
特に管楽器 >>34
そうなんだよね食品スーパーとかないし
外食するにはグルメ揃ってるんだけど ギターを買うならお茶の水
ステレオ買うなら秋葉原
ジーパン買うならアメ横
昔は目的に応じて使い分けたものだいい時代だったな >>4
そんなことない
少し増えてた
コロナ禍で中古ギターの品も減ってる >>19
神保町のエロ本書店が令和でも生き残ってるのが奇跡w 楽器の街の浜松行ったら治安悪くてビビった
朝に駅ついたら浮浪者やケバい女や輩がたくさんいたしそこかしこに巨デブが歩いてるし白いビクスクが騒音撒き散らしてるし3大砂丘の中田島砂丘は狭くてがっかり観光地だった ピアノとかだと浜松なんだけどな。
昔は今以上に浜松に独自の工房があった。 >>40
神保町の書店街は自分達の土地でやってる人が多いから利益優先ではないんだそうな 海外って意外とこういう特定ジャンルの専門店が沢山集まった街って無いらしい ぼっちざろっくに触発されて楽器始める13歳と11歳の姉妹という設定がよくわからんな
アニメ面白かったけどローティーンの女の子にもウケてたのかあれ 山田「1911年に日本で最も古い歴史を誇るプロオーケストラが結成された影響で、都内で音楽活動が盛んになり、 それにともない、楽器自体の需要が急激に高まりうんぬんかんぬん」 お茶の水で楽器見て
神保町で本を探して
武道館でライブ見る
or
後楽園でプロレス見る
ドームで野球見る >>14
今でも吹奏楽やってる連中にとっては聖地だが あんなに楽器屋が密集してるところは他にないといえばないな
NYに行った時にビンテージ楽器屋が何軒かあるからと回ったことがあるけど密集はしてないしあんなに店舗数もない カレー屋ジョニーかカロリーで腹ごしらえしてディスクユニオンと楽器店巡りやってたな >>22
当時あった店がなくなってチェーン店に変わってるよな、寂しい 東京は※※街が色々あったのが魅力だった
古書、山登り、スキー、楽器
電器、厨房機用具、繊維、streetファッション、風俗、バイク、エスニック…
今はみんなゴッタ混ぜ
というか店すら要らないときた やっぱり庶民の音楽はジャズなんだよね
ロックとかはすぐにすたれると思っていたけどやっぱりすたれた 特に用事ないけどこの界隈は歩いてるだけで楽しいから休日はよく行ってたな >>61
ラジカセ担いでジャズ流してる人見たことない ジャニスっていう有名なレンタルCD屋があったが5年前に閉業したみたいだね 出店が多いってことは、店を畳んでしまうところも多いってことでは? 80年代にどっかの店がラジオCMやってなかったっけ? 楽器は通販で買うわけにはいかないから
店舗の需要はまだあるね 行けばかなりの数の実物見れるけど探してるものは無かったりするから難しいもんだな 東京は江戸の頃から特定の職人を同じ地域に住まわせるという形で区画整理をしていて、戦前にはそれらが問屋街という形になっていた
その影響で同業者が同じ地域に密集するようなスタイルが戦後しばらくも続いた
結果、○○街みたいな専門分野に特化した街ってのがあちこちに生まれた >>76
その時代の東京や大阪知ってる世代が正直羨ましい >>66
ジャニスは本当に凄い品揃えだったわ見たこと無かったり探しても見つからなかったCDが当たり前に並んでた
ジャニスと同じくらい凄かった大阪日本橋のK2レコードも去年閉店してしまった >>77
秋葉原とか凄かったよ
今は何も無い万世橋だけど、あの周辺はバラック小屋があって謎の部品とか売ってたんだよな
店の人に聞いても「知らん、値札付けときゃ誰か買うから置いてる」と
よくカード式公衆電話とか買ったな 多分86年、コクトー・ツインズが来日公演した際にお茶の水の楽器店へ
そのとき接客した店員が数年後にロンドンでオーディション受けてコクトー・ツインズのツアーのサポートギタリストに採用された
コクトー・ツインズのメンバーは彼が日本の楽器店で接した店員だと覚えていたとか
91年だったか 古本屋街とか、合羽橋の道具街とか、何で集まっちゃうのさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています