【高校野球】この春もできなかった初出場初優勝 甲子園「勝率10割」は春夏1校 「七不思議の一つ」エースが語る秘話 [征夷大将軍★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
モデルプレス2023.03.29 07:04
https://mdpr.jp/other/3673080
95回目となる春の甲子園の3回戦で28日、初出場の能代松陽(秋田)が連覇を狙う大阪桐蔭に0―1で惜敗した。これで2004年の済美(愛媛)以来となる初出場初優勝の可能性はなくなった。この選抜高校野球大会で初出場初優勝とともに、勝率10割の高校がある。1964年の徳島海南(現海部)。後のプロゴルファーのジャンボ、尾崎将司を擁して紫紺の優勝旗を手にした。
夏の甲子園でも、この勝率10割は三池工(福岡)のみ。これは、負けがなく、出場と優勝の数が同じ場合のみ成立する。三池工の場合、第47回大会、65年に初出場して全国制覇。その後、同校の後輩たちは福岡大会を突破できていない。
65年の三池工は福岡大会7試合、甲子園で5試合、計12個の白星を積み上げた。その原動力となったのが、2年生の左腕エース上田卓三。12試合をほとんど1人で投げ抜いた。甲子園では50回(延長2試合)を投げ、失点7。本人が言うには防御率は「0・9台」。当時、三池工の下馬評は高くなく、ダークホースにも挙がっていない。
上田さんは「優勝は今でも信じられない。七不思議の一つや」と首をかしげる。
このころ同校があった福岡県大牟田市は60年の労働争議や、多くの犠牲者を出した63年の三川鉱炭じん爆発事故などで沈んでいた。そんな町に「明かりをともした」と話題になったものである。
大会を振り返ってみる。「三羽ガラス」と評判を独占していたのが、銚子商(千葉)の木樽正明、高鍋(宮崎)の牧憲二郎、報徳学園(兵庫)の谷村智博の3投手。いずれもドラフトで指名され、プロ入りした。
三池工は準々決勝で報徳学園に延長10回サヨナラ勝ち。決勝では上田が銚子商を3安打に封じ、2―0で完封勝利を収めた。ビッグ3のうち2校を破ったのだからフロックではないだろう。
甲子園での最大のピンチは準決勝の秋田戦だった。4―3の9回表無死一、二塁のピンチを迎える。ここでバントを処理しようとした上田投手は転んでしまい、自分自身に「頭にきて」ボールを思い切り地面にたたきつけた。
試合後、この行為で大会本部からおしかりを受けることになる。
ピンチは無死満塁に広がり、次打者はフルカウント。捕手の穴見寛の要求した外角シュートで三塁ゴロ併殺に打ち取り、どうにか逃げ切った。
原貢監督(巨人・原辰徳監督の父)の野球は攻撃重視。バット(当時は木製)は選手一人一人に合わせた特注品で、熊本の工場で作らせたほどだ。そんな中、上田に対しては「お任せ主義」だったという。
甲子園入りしてからも「好きなようにしておけ」。ほかの選手が練習中でも1人だけ早く切り上げて、ベンチで寝ていたという。
「監督は選手の操縦がうまかったし、性格をよう知っていた」。上田は我が強く、押し付けられたりすると、顔を横に向ける性格。ある面、ピッチャー向きとも言われるが、監督の手のひらに乗せられていたのである。
ただ、それだけで優勝はできるはずもない。力投で大会前に60キロあった体重は、終了後に57キロに減っていた。
指揮官とエースの関係には続きがある。原監督は66年12月、東海大の創設者、松前重義氏に請われて63年に開校したばかりの東海大相模(神奈川)の監督に就任する。
このときの約束が「上田投手を東海大に連れてくる」というものだったが、66年のドラフトで上田は南海(現ソフトバンク)に1位指名され、入団する。そこで三池工で主軸を任されていた林田俊雄が代わりに東海大へ進学。林田もこの年のドラフトでサンケイ(現ヤクルト)に4位指名されたが、プロ入りは断念することになる。
上田の3年夏は福岡大会の準々決勝で、優勝した小倉工に延長11回0―3で敗れ、2年連続の甲子園は断たれた。選抜を含め、三池工の勝率10割が崩れる日は訪れるのだろうか。(森本博樹) 当たり前やろ
甲子園出たことないとこに清原桑田が揃った入学するかって話 タッチの明青も初出場初優勝でそのあと甲子園に出てないんじゃなかったっけ 2回しか出てなくて2回とも優勝なら奇跡だけど
流石にないか >>9
桐蔭学園か桜美林OB ? 大阪桐蔭と前橋育英は明らかに条件違い、他の夏初出場初優勝校はそもそもその後。ほとんど出場がない。 >>14
伊野商はナベトミの後輩が夏に出て川島の東亜学園に初戦で負けた >>13
春優勝の夏にも出場し、日大藤沢に2回戦でサヨナラ負け。その後、春夏とも出場なしで今は観音寺総合に校名変更。センバツは勝率10割やね。 済美は春の初出場初優勝に引き続き夏も初出場で決勝まで行ったから凄すぎる >>22
福井が最後にバテて駒苫に負けたな。上甲さんは安楽のときだけでなく昔から継投ができない。 >>16
続編扱いのMIXでそのうち甲子園に出るはず
出場2回で優勝2回になるぞ あとは昭和24年の湘南高校だな
神奈川で夏は奇跡の1回出場で優勝
翌年春にでなけりゃよかったのに
佐々木信也が1年生で石原慎太郎が2年生で在学してた
なんと言っても神奈川県最強の公立進学校 四日市高校は?と思ったら初出場初優勝後もう一回出たことあるのか 超少子化だし、出るのも難しいのに、もう初出場初優勝なんて春も夏も出ないだろうな。10年前の夏の光成のときの前橋育英でも奇跡的だった。 >>22
高橋が問題起こさなければ春夏連覇できたのにな(笑) 済美と観音寺中央めちゃくちゃ強かったよね
2013前橋育英は、常総戦で優勝確信したな >>10
去年もドラ一出してたけど、まさか知らないとかないよな 公立でも国際名乗る学科のとことかあるから
全部オコエ瑠偉みたいなチームが出てきた時に歴史変わるだろうよ >>28
決勝で負けたってことならPLが岩倉と桜美林に献上してる
あと>>1にある徳島海南の決勝戦の相手の尾道商はその数年後に大宮工にも初出場初優勝を献上
探せば他にもありそう 秋田は準決勝で三池工に逆転負けしてなければ東北初優勝あったかも 甲子園最少失点記録を持つ留萌高校
一度出たきりで0-1で負けただけだが >>12
北野高校は夏1回春4回出場
夏は1勝1敗、春は8勝3敗
春は優勝1回ベスト4が2回で初戦敗退1回
1952年を最後に甲子園出場していない
数年前に大阪秋季大会でベスト8進出し、21世紀枠候補になったと思うが結局選ばれなかった
ラグビーは80年代に橋元が在籍してた時かな?花園出場したはず 岩倉高校は1984春初出場で優勝、決勝のKKPLに1安打完封で勝利
春の出場はこれだけ、夏は1997出場し初戦敗退
春5勝0敗、夏0勝1敗
PLに1安打完封した山口投手は、阪神6位指名で入団、すぐ野手に転向しちょっと活躍した
KKPLに勝った高校は、取手二高や清原3三振の伊野商が挙げられるが
岩倉は何か忘れられてるな >>41
インパクトのある抜きん出た選手がいなかった
7回くらいまでは桑田に完璧に抑えられている
運良く勝てただけ って印象 よく考えたら、2年前は京都国際が、初出場で夏ベスト4まで行ったのか。優勝したらある意味大騒ぎだったな。 前は春夏優勝とか普通にあったのにすっかり消えたな
どうせ出るメンバーは同じやつなのにな >>19
東京の方
>>41
岩倉も決勝、PLとだったね
うちの母校もその昔夏の初出場初優勝時の決勝は東京大阪対決でPLとだったけど、PLはまだ強くなる前だったらしい
とはいっても我が校からは誰もプロに行ってないので、原辰徳・小松辰雄・宇野勝他多数の有望選手のいる強豪校揃いの中チームワークだけでよく勝ち上がったと思う
当時丸の内にあった旧都庁周辺で派手に優勝パレードしたらしいけど、時代だよねー
大阪桐蔭強いね、東京大阪対決東海大菅生負けそう >>47
大阪桐蔭がコロナ前あたりにやってるでしょ、春夏二連覇
野球部は春夏連覇だったけど、応援の大阪桐蔭のブラバンは翌春野球部は出てないのに東邦(愛知)の応援に臨時で出てあげていた(東邦のブラバンがアメリカ遠征していた)ので、東邦優勝で野球部差し置いて3連覇したというw KKがいたPLがよく知らん東京の高校に決勝で負けたの覚えてる >>45
一度選抜出場がほぼ決まってたが不祥事で選考から外れた年がある 仲根の日大桜丘もいきなりセンバツで初出場初優勝だったけど、その年の夏は初出場で一回戦負けだったな 選抜だけならうちの学校も10割だったんだが、夏に出て負けてしまった >>5
浪商はどうなんだろ?
ハリーは地元広島の高校に居られなくなって浪商に転校だっけ。 >>48
そういえば。昭和50年代の夏の優勝校でプロ入り0は桜美林だけだな。 >>48
その時のPLには控え投手にヤクルトの尾花がいた 静岡県伊豆の国市にある県立韮山高校も1950春初出場初優勝
1995年夏選手権初出場(2勝1敗)する迄勝率10割だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています