一喜一憂するファンの歓声や指笛、ブラスバンドの演奏に合わせた声援が甲子園に戻ってきた。でも、選手は――。

 阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で開催中の第95回記念選抜高校野球大会で、声を出しての応援が春夏の甲子園では3年半ぶりに解禁された。熱戦に花を添え、選手の背中を押す声援だが、意外にも本来の姿に戻って苦戦する選手の姿が相次いでいる。

 「点差が追いついてきて、球場もワーッとなっていて、自分の中で冷静な判断ができなかった」。肩を落としたのは、大分商の江口飛勇選手(3年)。振り返るのは、まさかの幕切れとなった19日の作新学院(栃木)との2回戦だ。

 大分商は4点を追う九回に2点を返して反撃し、1死一、二塁の好機を迎えた。続く打者は左飛に倒れて2死となった際、二塁ベースを回っていた江口選手は二塁ベースを踏まずに一塁へ帰塁。この走塁ミスで3アウト目となりゲームセットとなった。

 江口選手は高校入学以降、声出し応援の中で試合をするのは初めてだったという。「とにかくホームを踏みたいと思って走って、冷静になれなかった」。聖地の歓声に我を忘れた形だった。

 新型コロナウイルスの感染拡大により、2019年夏を最後に甲子園での声援は制限が設けられてきた。20年は春夏の甲子園が中止となり、夏に実施されたセンバツ交流試合からは声出し応援の自粛が求められた。その後に制限付きでブラスバンドによる演奏が復活するなど、徐々に制限は緩和されたが、声出し応援の解禁やブラスバンドの人数制限の解除は今春のセンバツからだ。そのため、現在の高校球児は大舞台での声出し応援の経験がほぼない。歓声に慣れておらず、声援に動揺し、プレッシャーを受けるケースが多く見られる。

 海星(長崎)―社(兵庫)の2回戦(20日)でも、社の八回の守備で遊撃手の後方に上がった高い飛球が、内外野の声がうまく通らず、遊撃手と外野手の間に落ちる安打となった。三塁を守った社の尾崎寛介選手(2年)は「やっぱり甲子園球場となったら内外野間の声が届きにくい」と話した。

 マウンドから見えるバックネット裏からの声に圧倒される投手も少なくない。北陸(福井)の友広陸投手(3年)はピンチでの盛り上がりに「プレッシャーを感じて自分のテンポがつかめず、焦って甘いボールがいってしまうことが多かった。初めてこういう経験をした」。初戦で高知に敗れて悔しがった。

 ただ、相手チームの応援すら力に変えてしまうたくましい選手もいる。英明(香川)の下村健太郎投手(3年)は智弁和歌山との2回戦で先発し、「すごく楽しかった。自分が応援されていると思って投げました」と笑った。リリーフした英明の寿賀弘都投手(3年)は「対戦相手が決まってからユーチューブで(智弁和歌山の応援曲で『魔曲』として有名な)ジョックロックを聞いていた」と対策を明かした。

 選手に力を与える応援は時に牙をむく。「ウィズコロナ」時代になろうとしている今、甲子園で白星を重ねるためには声援対策も必要になりそうだ。【森野俊】

毎日新聞最終更新 3/25 17:49
https://mainichi.jp/articles/20230324/k00/00m/050/446000c