【音楽】ポール・マッカートニー「長いキャリアの中で最も高いリスクを取ったと思うことは?」の質問に「ウイングスの結成」と回答 [湛然★]
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ポール・マッカートニー「長いキャリアの中で最も高いリスクを取ったと思うことは?」の質問に「特にウイングスの結成はそうだった」と回答
2023/03/23 17:13掲載 amass
https://amass.jp/165435/
ポール・マッカートニー(Paul McCartney)は「長いキャリアの中で最も高いリスクを取ったと思うことは何ですか?」というファンからの質問に「特にウイングスの結成はそうだった」と答えています。ファンからの質問に答える自身の公式サイトの企画「You Gave Me The Answer」の最新エピソードより。
●TwitterアカウントNatiからの質問:
「長いキャリアの中で、職業上、最も高いリスクを取ったと思うことは何ですか?ビートルズ脱退、ウイングス結成、『McCartney II』、『ヤァ!ブロード・ストリート』、ザ・ファイアーマン...などなど、いくつか候補が思い浮かびますが、他に何かありますか?」
●ポール:
「君が挙げたものはすべて大きなリスクだったと言えるね、特にウイングスの結成はそうだ。
僕が抱えていた主な問題は、ビートルズの後を継ぐかどうかということだった。それは困難なことだし、不可能なことだとも言える。ビートルズの構成要素は、とても独特なものだった。ジョンがいたからこそ、どんなグループでも輝かせることができた。そして、ジョージの才能、リンゴの才能、そして僕。
そのバンドが終わってしまうと、自分でもどうしていいかわからなくなるし、新しいことに挑戦するのは本当にリスキーだった。もちろん、ミュージシャンではなかったリンダがウイングスに参加したこともリスクだった。レビューが届き始めると、多くのレビューが彼女に焦点を当て“彼女はバンドで何をしているんだ”と聞いてきた。傷ついたよ。でも、ビートルズを始めたとき、誰もコードを知らなかったことを思えば、合理的に考えることができた。時間が経つにつれて、僕たちは良くなり、いろいろなことができるようになった。
ウイングスの初期には、大きなライヴに飛び込むのではなく、バンで高速道路を走ったり、学生のための大学で小さな自発的なライヴを行うなど、振り出しに戻ることにした。ほとんど何者でもない、ただのバンドの一人に戻った僕が今、再び名声を得ることができている。70年代半ばに大きなアメリカ・ツアーを行う頃には、その正当性が証明された。僕たちはとてもタイトで、いわば一緒に上がってきたようなものだった。リスクは報われたんだ」
●PaulMcCartney.com:
「自分のことをリスクを取る人間だと思いますか?」
●ポール:
「そうでもないよ。普段はかなり慎重なんだ。でも、人生にはリスクを負わなければならない時が何度かある。ビートルズの後、“音楽を続けるか、続けないか”というのが僕の状況だった。まあ、続けたいんだけどね。だから、“どうすればいいんだろう?バンドをやるのか、それとも駅前でストリート・ミュージシャンをするのか。どうすればいいんだ”と考えたんだ。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) ポール・マッカートニーはイエスタデイだけでなくトゥモロウも作っている
https://youtu.be/31nZWNqXXcU?t=6 いつの間にポールの年齢を追い越してしまった年を取ったもんだ のんびりしろよ
オリンピックの演出とか頼まれたらやるか、ぐらいがいいw 後世を振り返ると別に何やっても売れる領域の人でも
低迷を気にして右往左往するポールは商業ビジネス気質 娘が1流デザイナーになれたのもポールの教育のお陰 八十歳の爺様が「僕」とは言わんと思う
「私」くらいに訳してくれよ
なんなら「わし」でもいいや 若い頃のBEATLESは全員違う種類のイケメンだったという事に昨日気づいた バンド・オン・ザ・ランのヒットは田舎の小学生だった俺も夢中になったな めちゃくちゃ喋るお爺さんになったね
嫁さんを酷使した エボニー・アンド・アイボリーで黒人と組んだのが本人も一番驚いた事だろうに ウイングスのグッドナイトトゥナイト好き
松本伊代にイントロパクった曲がある >>9
朝まで生テレビで田原総一郎は僕って言ってたぞ ポールにはジョンの幻影がいつも居た
もちろんリンダはヨーコなんですよ 嫁をバンドメンバーにするのはプラスチック・オノ・バンドに触発されたのだろうか? >>16
レット・イット・ビーでビリープレストンと共演済み JetとLive and let dieほんま好き 魔法が解けたみたいに普通のミュージシャンになってしまったもんな
ソロでも凄かったポール・サイモンとは大違い ポールマッカートニー特別捜査官の菊池さんはまだお元気なのかしら? ウイングスにリンダを入れたのはプラスチック小野バンドの対抗か? >>16
ポールはもともとアメリカの黒人音楽が大好きだからな
ビートルズ来日時の記者会見でもアイドルはモータウンって答えてる
ジミヘンも大好きだし黒人とプレイはポールには自然なこと 解散後の曲はエボニー・アンド・アイボリーしか知らない >>30
何度かポールのコンサート行ってるが、バンドオンザランのデデデデデデジャーンジャンジャジャンでいきなり涙出てくる リンダとヨーコ
ドシロウトの音楽を無理矢理聞かされるビートルズファンはたまったもんではないな ビートルズ解散後は、ジョンの方はヨーコから影響受けてプラスに働いた面は大いにあるが、リンダは… >>33
いやもうイントロのギターでグッと来ちゃうよ? イギリスに旅行に行ったらたまたまポール夫妻に出会って今からレコーディングだけど見に来るかい?って誘われて
リンダが入れてくれた紅茶を飲みながらJETのレコーディングを見たシルクは凄すぎ 前にインタビューで語ってたけど、プレスを出した辺りはセールスも芳しくなくて、自殺も考えたって言ってたな >僕が抱えていた主な問題は、ビートルズの後を継ぐかどうかということだった
公ではあんたが真っ先に脱退したんだろw パワーステーションとアケディアみたいに
別れればよかったんじゃないかな。
ビートルズは解散せず実質そのままみたいになる ポールが成功したのは自分でも言ってるように慎重だったことだな
そして他のメンバーの才能を尊重してた
もし俺がポールほどの才能があったら調子に乗ってジョージやリンゴを
毎日嘲笑ってバカにして相手にしないとかやってた可能性が高い >>41
映画のサントラは高評価だったが、映画そのもの評価は最低だったし
ま、死にたくもなる。 ポールさんが
アイルランドはアイルランド人に返してやれ
みたいな曲をウィングスで発表してた
という話を知った時は政治的なイメージはジョン・レノンだったんで
意外な気がしました 誰も覚えてないが、80年代頃なんてもう過去の人で
売れてた奴にすり寄ってたくらいだもんなぁ
プライドがあるとできない。 ウィングス、ロックの殿堂入りしてないな?
ポールが断っているのか知らないけどどう考えてもできるだけの実績あるのに ゲットバック観て意外だったのは、ポールは「自分の意見を他のメンバーが聞かない」ことじゃなくて、「自分が意見するとみんな反対意見とか出してくれない」ことに不満抱いてた、ってことだな
自分は昔みたいにみんなとワイワイやりたいのに、という。天才ゆえの孤独感があったんやなあ >>51
そもそもポールが「他人(具体的にはジョージ)の意見を聞かない」からだろ
ジョンジョージリンゴはあの時期はポール放置プレイしてた >>37
あのリンダのショボいキーボードの音も今にして思えば感慨深い めっちゃ失礼な質問に対してスパスパ応えるポールかっこいい
つーかファイアーマンよかったろ >>18
昭和一桁は爺になっても自分の事を僕って言うぞ
特にインテリ層は
昔は僕は少年限定で無かったんだよ ジョンやジョージが他のバンドなどを褒めると露骨に嫌な顔するのも笑える
まぁ、それぐらいの野心家じゃないと世界一になれないよな >>45
ジョージにはだいぶ調子こいてたとこ、あるよね? JETをリアルタイムでラジオで聴いた時にポール勝ったなと確信したわ
それまでは解散前からかなり叩かれてた 日本で大麻所持で捕まったことだろ
なんでなかったことにするんだ 大麻で捕まった時一番怒ってたのがバンドメンバーだよな
特にギターのやつ
日本で大金稼ぐはずだったのがパーになったって怒ってた
ポールの心配せずに自分のギャラのことを心配してんのかよクズだなって正直あの時おもったけど
案の定大麻所持のあとウィングスも解散したし
ウィングスは金だけで繋がってたバンドなんだなと思った >>59
俺も俺も。
ポールがやっと帰って来た!って感じだったな。エッジの効いたロックに絶妙に美メロが絡むまさにポールの真骨頂。
故松村雄策もこのイントロで大泣きしたって言ってた。 マイケルとの共演はやり過ぎだと思った
音楽性全然違うし >>58
まあジョージは少年時代から弟分みたいな間柄で
ギターを一から教えたのもポールで可愛がってた
自分の弟みたいな愛し方だから特別だよ ウイングス悪くないよ、むしろいい
幸せのノックなどはビートルズの曲でも
おかしくない。
マッカートニー2のほうが、うーんという
感じなんだよな。 90年だったか、ポールのドーム公演の時にリンダもいたわ
「ウチノカミサーン」て紹介してた そのセルフプロデュース力というか危機察知能力は流石
リスクそのものだったね
ビートルズ以降は才能は枯れていて、その後は数多居るポップミュージュシャンの一人でしかなかった 嫁をメンバーに入れたのは小野ヨーコに対抗したかったんだろうが
どっちも音楽業界出身じゃないアーティストだから
成功したとは言えないな。 >>9
八十越して僕という爺さんは洒落てるしインテリだなと思う。 結局ジョージ・マーティンが凄かっただけのにほんの桑田佳祐レベル >>71
さすがにそれはないでしょ外国人からみれば桑田の曲なんか聞いてられんでしょ 誰も幻の国立30分前に触れてないよなw
でも次の年にリベンジ来日してくれたからいいけど。 ミック・ジャガーに「俺ならど素人の自分のカミさんをバンドに入れたりしないね」と馬鹿にされてたな >>69
いや、四六時中側に居てほしかっただけだよ
リンダはポールが生涯で甘えられた唯一人の女性なわけ ウィングスよりポールのソロの曲のが知られてるよな?
それくらいウイングスの空気感はやばいよな エルビスコステロとやって終わったのが一番のリスクだろ
>>67
CDなってるあれか ポールの糞ダサさって何なんだ?
日本だと布袋レベルで糞ダサい 夢の旅人とWe are all stand togetherさえあれはポールはそれでいい、英国の騎士、国民的スター。 >>85
ポールをダサいと言っていたのなんてストーンズヲタぐらいだろ
実は手前の方がダサかったというオチ Yesterday のコード進行で Tomorrow 書いてるからな
恐ろしい才能だよ >>77
ポールは今は新しい奥さんいるで
わりと今の奥さんと円満でな >>65
ギターの腕前も月とスッポンでポールは先輩風もあって「OK僕が差し替えるよ」て平気でやっちゃったからな
しかもリンゴにもそれをしようとした
そりゃ慕われなくなるよ ポール・マッカートニーの元妻ヘザー・ミルズ、結婚を誓いながらも3度目の正直
このモデルは、元夫からの離婚調停で2430万ポンド約37億4,100万7,514円)
を得たと言われている。
オートバイ事故で左脚喪失障害者だったが、
情にほだされたポールが可哀想だったねさすがに。
娘がいるから詐欺呼ばわりもできないか。 ビートルズ解散してウイングス結成する前の、ラムっていうソロアルバムめっちゃ好き Tag of warとFlowers in the dirtが好きです >>92
その高額な慰謝料を3年で使い切ったと言われている
確かに片足喪失は気の毒だけど
人格的に難ありと言わざるを得ない >>17
今、初めて聴いた
イイ曲だね
まだまだ耳にしてない名曲が眠ってるんだなあ
この俺様の名曲探しの旅はまだまだ続くぜ ポールって、他の三人もだけど人間がいいんだわ
映画みておもうわ >>90
前の人よりいい出会いだったと思うけど、甘えるまでに至っているかどうか
あの頃のポールは明らかにリンダに甘えていた、母親に甘えた記憶がないわけだし >>17
ボールはサタデーナイトフィーバーサントラ盤の大ヒットで、
それまで続いていたビルボードアルバムチャート連続No.1記録を止められた(ロンドンタウン最高位2位)からか、
アンチディスコぽかったが、ストーンズのミスユーやロッド.スチュワートのアイム・セクシー等のロックディスコの連続ヒットで
ディスコ領域にも踏み込んだと思われる。
80年のカミング・アップのテクノサウンドもYMOのインフルエンスあると思うけどね。 >>101
老眼しか見てないから気にしなくていいぞ わいらリアルタイムではマッカートニーⅡからだわ
一番よく聴いたのは中学の頃に出たタッグオブウォー
ジョンレノンが亡くなった後から 昔、「夜のヒットスタジオ」に出たとき、芳村真理のしゃべり方を面白がって
「マーマママー」とか物まねしてたな。 >>104
黄色い猿みたらポールはスイッチ入るっぽい >>96
ちょっと待て 12インチも出てるすげえ有名曲だぞ
今までポールソロとウイングスを避けてたならこれから多くの名曲と出会うことになるだろう >>75
ど素人のカミさんをバンドに入れて全米No.1ヒット多数にワールドツアー成功にグラミー賞と結果を出して馬鹿にした人間を見返すポール
ポールはラブソングしか書けないと馬鹿にした奴にも年間ビルボードNo.1ヒットの心のラブソングを書いてやり返したポール
ポールはマジ凄いよ アイルランド系なので「アイルランドに平和を」というプロテストソングも出してた。 ビートルズ解散後、ポールはWingsベストだった。勢いも凄かったし。 3枚組の“Over America”とか擦り減るほど聴いた >>109
OverAmericaはちょっとスカスカの音作りだった前二作の曲がライブでド迫力だったのに興奮した
最初のメドレーやBeware my love Letting goは最高 最近、車のなかで「Back to the egg」を良く聴いてる。曲の構成が好き。 >>24
Live and let dieは007の主題歌だからってとこはある >>9
男性で80歳の君の親とか親戚を思い出してくれ
「わし」と言ってるか? >>94
御意
未だにいい曲書いてロックしてる爺さんとかカッコ良過ぎ Silly Love Song はポールの最高の曲ではないけど最高のベースラインの一つ 実験的なアルバム、マッカートニーとかラムあたりはオモロかったけど売れたらポップバンドになった。 >>21
マジレスするとヨーコは関係ない
ビートルズが活動しないとして
アップル在席のままソロ出しても
クソマネージャーに売上の2割を
手数料として吸われてしまうので
アナザーデイやラムはアップルとは
契約してない嫁との共作名義にして
マネージャーに払う手数料減らしてた
元々アップル抜けようとしたのに
スルーされ続けてブチ切れたのが
70/4の脱退宣言であり70/12の解散訴訟 >>47
ベトナム戦争にメンバー全員関心持ってて
ツアーの移動中にメンバーで議論してた
それが高じて平和活動家のバートラッセルに
アプローチしたのがポール ウィングス時代の曲でリンダのバックコーラスは非常に効果的だったと思う 実際リンダ本人はバンド参加に乗り気だったの???
ポールに無理やりやらされたそうな感じがするけど >>122
うん、無理やり
しかも教えてくれなかったらしく、リンダは独学で覚えたらしいw
リンダ自身も困ったらしいけど、やる気自体はあったみたい >>119
そういやアップルだったな
アップルがあったからアップルは音楽できなかったんだよな >>68
枯れたというより
ジョンとの共作でないと
ポールの音楽は
ただの軽音楽になるのよね ローリングストーンズのレコーディングに参加した時じゃないのか >>111
コンセプトに一貫性がなくてごちゃ混ぜ感がある、だがそれが良い
(幻の)来日公演記念シングル「arrow through me」が好き >>111
あのアルバムは大好きで当時かなり聴き込んだよ。アフターザボールがアメイジンググレースっぽいと思ったけど。
悪口ではないよ Back to the eggが出た年に行われた1979年12月末のカンボジア難民コンサートは後で
NHKテレビで放送されたからロケストラのテーマとかの映像で見たけど
それから2週間くらいして羽田で捕まるとは ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています