【訃報】「シーナ&ロケッツ」鮎川誠さん、膵臓がんのため死去 ロック魂貫き74歳まで現役…俳優としても存在感 ★2 [Ailuropoda melanoleuca★]
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1/30(月) 17:07配信 スポニチアネックス
ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のボーカルでギターの鮎川誠さんが29日5時47分、膵臓がんのため亡くなったことが分かった。30日、公式サイトで発表された。74歳。福岡県久留米市出身。「めんたいロック」草分けの1人として1970年代から活躍し、「ユー・メイ・ドリーム」などのヒット曲も飛ばした。2015年に最愛の妻シーナさんに先立たれたが、遺志を継いで「シナロケ」の活動を続けた。
公式サイトの発表によると、鮎川さんは昨年5月に膵臓がんが判明。医師から「余命5カ月程」という宣告を受けた。それでも「みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず」に全国ツアーを続行。「昨年末激しい腹痛により一時入院となるも、この1ヶ月間は医師の治療の下、ライブ復帰を目指して自宅で懸命に家族と回復に努めておりました」と伝えた。
内田裕也さんが始めた恒例の年越しライブ「ニューイヤー・ロックフェスティバル」への出演をキャンセルし、1月8日に予定した京都のライブハウス「磔磔(タクタク)」での公演も取りやめてファンを心配させていた鮎川さん。関係者によれば、高熱が続き、22年末から重篤な状態が続いていた。最期は娘たち家族に見守られ、眠るように息を引き取った。
1970年に篠山哲雄や柴山俊之らとサンハウスを結成。74年に九州大を卒業して翌75年にメジャーデビューを果たした。リードギタリスト兼作曲家を78年のバンド解散まで担当した。
サンハウス時代に演奏を聴きに来たシーナ(悦子さん)と出会い、シーナの妊娠を機に76年に結婚。双子の女児のパパとなった。78年に夫婦で上京し、シーナ&ロケッツを結成。79年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)メンバーのサポートを受けてアルバム「真空パック」を発表し、シングル「ユー・メイ・ドリーム」が日本航空のCMに起用され、一躍ブレークを果たした。
80年のYMO初の国内ツアーにはゲスト・ギタリストとして参加し、81年の武道館公演ではYMOとシーナ&ロケッツの共演が実現した。88年には米ニューヨークのCBGBでライブデビューを果たすなど、海外にもその名をとどろかせた。
15年2月にはシーナさんが子宮頸(けい)がんのため61歳で急逝。喪失感の消えないまま、シーナさんの遺志でバンド活動の継続を明言。鮎川さんがボーカルを務め、オリジナルメンバーの奈良敏博、川嶋一秀とトリオで全国を回った。
音楽だけでなく、俳優としても存在感を発揮。フジテレビ「愛情物語」(93年)、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」(01年)には那覇在住のロックの師匠役で出演。08年には「ジャージの二人」で堺雅人(49)の父親役を演じた。
長女はモデルの鮎川陽子(46)、次女の鮎川純子(46、JUNK THE RIPPER)と三女の知慧子(LUCY MIRROR)はロックバンド「DARKSIDE MIRRORS」で活躍中だ。
私生活では優しいパパの顔をのぞかせていた鮎川さん。今ごろは天国でシーナさんと再会し、娘達の活躍を祈っているに違いない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3aa6742b847136157e5465e56916253c5a9cd4ab
★1: 2023/01/30(月) 17:29:49.12
前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1675067389/ ボッチザ・ロックのギターはこの人が使ってたかららしい
作者がファンなんだって 『博多んもんは横道もん、青竹割ってへこにかく ばってんラーメン』
意味は全然分からんかったけど、その言葉のイントネーションに痺れた YMOのライブでギター弾いている映像って撮影してなくて全然なかったんだっけ? 何か知らんがいつもデカく見えたな
俺より小さかったとは >>71
そして安全地帯がヒットしたのか
BOOWYまで良かったが
グラサン 皮ジャンはいなくなった 博多んもんは王道もん
青竹割って屁こいかく
ばってんラーメン
うまかっちゃんCM、これあってますか? 大ベテランなのにずっとギターが好きなお兄ちゃんって感じでカッコよかった StonesのLiveで布袋さんが出てきた時「なんで鮎川誠じゃないの?」ってザワザワだったよ。
マコちゃん、ありがとう。お疲れ様。 >>67
はかたんもんならおうどうもん
??かけてへこにかく
ばってんラーメン グラサン 皮ジャンは布袋寅泰が継承しているからな
安心して眠ってくれ 博多もんなおうどうもん 青竹割ってへこにかく
ばってんらあめん
本州から九大に行ったのは鮎川さんのうまかっちゃんのCMの影響もある
大先輩だと知ったのはかなり後だったが >>79
安全地帯はもうちょっと後だったな
シーナ&ロケッツとほぼ同時期に出てきたのは
シャネルズとか銀蠅とかビーナスとか
50sブームでもあった NHKFM 一日YMO三昧のゲスト
探偵ナイトスクープの依頼で出演
この2つは覚えてるわ 福岡のテレビ局でやった鮎川さんとシーナのドキュメンタリードラマは面白かったなぁ。
YMO始動時の六本木ピットインゲストでやったストーンズのカモンとかサディアファクションのプレイ、写楽のイベントで坂本がブチ切れた時のソリッドステイトサヴァイバーのプレイ。
格好良すぎて痺れました。
ご冥福を祈ります。 隣の姉貴の部屋から You May Dream が洗脳するほどのリピートでかかってた小学生の思い出 レモンティーしか知らない
しかもヤードバーズの曲やん you may dreamは言うまでもなく夢というワードが掛かってるんだよな >>48
そう
福岡の番組にコメンテーターでよく出てるよ
ニュースではサンハウスのこともちゃんと伝えてて良かった 世界的にも希少な夫婦ロック
シーナ&ロケッツ 日本
アイク&ティナターナー 米国
これだけしかない メディア露出は多めだったからCharより認知度は高いのな
ロックンローラーなんて音楽知識うんたら語らないでそれでええわ >>33
喋り方が独特だよね
修学旅行で大阪に行った時
この人に似た人が
「どっから来たと?」
と似たような喋り方で聞いてきたから
福岡の人はあんな喋り方なんだなと思ったが
前スレに出てたが、博多弁とは違う方言なんだね >>88
イギリスのクラッシュが元祖で
変化球でセックスピストルズでパンクブームになった
ザ.クラッシュのロンドンコーリングは名曲で名盤 昔のロッカーは鮎川誠九大
小田和正東北
坂本芸大とエリートが多いな ロックの伝道師みたいな人でもあったな
ほんと惜しい アイドル全盛期にビートの効いた骨太バンドで活動
彼らに影響を受けたバンドの系列が今にある
日本のロック界の礎と考えていいと思う
福岡では伝説中の伝説 涙のハイウェイもレモンティーももしももオマエガホシイもあれだけど好きです すげえギタリストだった マジで >>103
クラッシュはピストルズを見て結成されたんだよ >>18
ストーンズ初来日の東京ドーム初日、
終わって外に出たら、二階席の階段から
2人がおりてくるのが見えて
ものすごくムカついた
5年後の福岡公演、現地に着いて見かけたタウン誌の記事で
「福岡のライブハウスは全店休業してでも
ストーンズを迎えいれなきゃいかん」
と語っていて、2日目の入りを見てまったくその通りだったなと思った 同級生がこのバンドのドラムの人と結婚してたな
めちゃくちゃ美人で背はちょっと低めだったけどスタイルも良かった
お悔やみ申し上げます >>95
あれカバーしようと許可取ろうとしたら断られたので、
じゃあいいよ勝手に歌詞つけてオリジナルって事で出してやる
という流れだったとか何かで見た気がする
当事は色々緩かったのか、またあのパターンって固有の曲のものではなく一般的なスリーコード的な定型化されたパターンたったのかも
モーターヘッドなんかも違うタイトルでやってるし >>71
シーナ&ロケッツはニューウェーブではない
めんたいロックだよ
サンハウス、モッズ、ルースターズ、ロッカーズ等 >>119
アナーキーのあれなんかもクラッシュ替え歌だもんな 昔、シナロケを見て『美男子と雌野獣』と思ってしまってすいません。 パクリではないけどユーメイドリームは
サディスティックミカバンドのタイムマシンにおねがいと同じ精神性を感じたな
高橋幸宏に続きまた偉大なミュージシャンのひとりが亡くなった レモンティーは完全にパクリなんだがどういう扱いになってんの? solid state suviverでギター弾いてたんだっけ。それぐらいしか知らないけど、かっこいいギタリストだったな。 >>111
クラッシュのジョーストラマーがパンクバンドで世界を変えている
ピストルズのジョニーロットンは途中加入でヒット曲を飛ばす 鮎川さんが博多のロックの帝王だった
同時期にビートロックのバンドが多くライブをやっていま
陣内孝則がロッカーズのヴォーカルだったことを知らない人も多そう 見た目がとにかくカッコよかった
トム・ヴァーレインに通じる >>136
カーズのリックオケイセックに容貌は似ていたと思う >>129
坂本龍一もちょっと危ない
YMOが終わる >>139
まさか細野晴臣がいちばん長く生きるとは思わなかった >>140
train kept a rollin
yardbirds >>138
安全地帯はパクリ
カードライブで掛けるバンドだし ジジイ同士で暗い喧嘩すんなよ
知ったかぶりも大概にしとけ >104
今みたいに日本語の情報そこまで無いから、
それなりの知識層かマニアじゃないとそもそもやる側まで行かなかった。
バカがロック出来るようになったのはもうちょい後から。
ジャズも同じ感じ。 なんかワンフレーズ拝借とかじゃなく、全編もろパクリというか
カバーという扱いじゃなかったの?あれw >>146
サディスティック ミカバンドと同じ頃だからな
高橋幸宏さんがいた >>144
ベンジャミンオールのほうがもっと早かった >>131
Train Kept A Rollin いつも九大の学祭来てくれてたよな
まだ74歳かよ、むかしっからお爺さんな見た目だったけど見た目より全然若かったな クレイジーダイヤモンズを学生の頃死ぬほど聴きまくった
未だにあんな荒々しいライブ盤聴いたことない
やらないかのザラっとした始まり方がとにかく好きだった >>131
あの時代のロックはリフやアイデアの貸し借りは普通だったので…
多分ブルース界隈の伝統なんだろうな >>150
カバーってよりコピーだよねw
あれで作曲、鮎川誠は酷いw >>150
カバーじゃなく
ライブで英語で歌え
全編英語がロックの当たり前の時代 >>141
>>143
そいつらもパクッテると言われてるのだがw シーナとミカが結構被ってしまうんだよな
ミカが歌うミカバンドもタイムマシーンしか知られてないし >>143
オリジはタイニー・ブラッドショウのジャンプブルース曲
ジョニー・バーネットのロカビリーカヴァーをヤードバーズが下敷きにした 日本語ロックはダサイの時代
グループサウンズもヒット曲以外
あのタイガースでさえ英語で歌った まだお子さんが小さかった頃下北のパチンコ屋によく連れて来ていたなあ
隣同士になったことも何回かあったけどとにかくカッコ良かった
シーナさんもそうだったけど早過ぎる
ご冥福をお祈りします >>150
こういう事を未だにいうヤツってブルースの構造とか音楽体験が物凄く少ないんだろうなと感じる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています