0001Ailuropoda melanoleuca ★
2023/01/30(月) 19:31:32.92ID:EPRZ1YzH9「こんばんは~。星見える? 声、聞こえてる?」「キャンプに来てるよ!」
1月26日の夜、突如として始まったInstagramのライブ配信でキャンプ場から元気な声を届けたのは滝沢秀明(40)。その日は、なぜか屋外で自らの髪を染める“セルフカラーリング”の様子もストーリーズでアップしていた。
タッキーこと滝沢秀明がジャニーズを去って3カ月が経った。
「10月末日にジャニーズからの退所と、ジャニーズ事務所副社長及びジャニーズアイランド社長退任を発表し、いったい今後どうするのかと思われていました。11月にはTwitterとInstagramに肩書『冒険家』としてアカウントを開設、1月にはTikTokもスタートしてジャニーズ時代とは一変した自由な発信を続けています。先日のインスタライブは10分足らずでしたが、10万人以上の人が観ていました。
あの赤西仁や山下智久などの“辞めジャニ”とのSNS上のやりとりも活発で、長年のファンは大喜びです」(芸能デスク)
貧しい幼少期「家族の生活をラクにしたい」
1995年、13歳でジャニーズ事務所に応募し数週間後にはKinki Kidsのバックで踊っていた滝沢。だがジャニーズの一員となるまでには紆余曲折もあった。
「幼い頃に父が家を出て、シングルマザーとなった母が3人の子を育てていたそうで、裕福とはかけ離れた環境で育った。冬でも半ズボンにTシャツの薄着で過ごしたり、文房具は同級生から借りたり、子供たちで作る夕食は小麦粉を水で溶いたものを焼いて食べたりという日々だった。
そんななかどうにか家族の生活をラクにしたいと思いついたのは大好きだったプロレス団体に入って活躍すること。でも体格が小さくて断られてしまったといいます」(同前)
それならば、といくつかの芸能事務所に履歴書を送ったところ最初に電話をかけてきたのが、ジャニー喜多川氏本人だった。
「ダンゴ鼻が愛くるしい13歳」に見た“スター性”
「どこかチャラチャラとしていたり、アイドルにただ漠然と憧れている少年たちとは違い、『家族を食べさせたい』と強く願う滝沢少年に、ジャニー氏は心を掴まれたんです。当時はまだダンゴ鼻が愛くるしい13歳でしたが、少年から青年へと凛々しく成長したのはジャニーさんという第二の父に出会えたから」(同前)
滝沢の入所で大きく変わったことがある。「ジャニーズJr.」の人気確立だ。ただの「デビュー組のバックダンサーたち」に留まらず、多くのファンがつきジュニアだけでのステージやテレビ番組が大人気となったのだ。
その立役者は滝沢だと、多くの関係者は口を揃える。
「苦労人だったというのが大きいかもしれませんが、彼は天性のタレントであるのに、常に努力を続ける人なんです。番組の企画を相談したときに、瞬時に『こういうのどうでしょう』って出てくるのに、さらに翌日『昨日の夜また考えてたら、こういうのも思いつきました』なんてわざわざ連絡をくれる。芸能人でそんな人ほかにいませんよ」(テレビ局プロデューサー)
ジュニアのリーダー的役割で、小学生からハタチを超えた面々を取りまとめた。年上で入所年次が上のジュニアとの確執もあったという。
しかし「タッキー&翼」やソロアイドルとして活躍をしながらも、後輩の面倒見がいい滝沢をしっかりと見つめ続けていたのが、亡くなったジャニー氏だった。2018年9月。タッキー&翼の活動を終了し、同年末をもって芸能活動から退き後進の指導に専念すると発表したときのジャニー氏のコメントにはこうあった。
【今般、滝沢秀明がタレントとしての経験と知識を生かし、『ジャニーズJr.たちの育成で、ジャニーさんを手伝いたい。』と言ってくれた時、私は驚きと共に嬉しくて涙がこぼれそうでした。このような決断をしてくれた滝沢には心より感謝しています。
私の頼もしい後継者達が今後も切磋琢磨して皆様が求めるエンターテイメントをお届けする為に頑張ってくれることに期待しています】
第二の父の「後継者」となった瞬間――。
それ以前にも、以降にも滝沢は常に「恩返し」という言葉をよく口にしていた。
https://bunshun.jp/articles/-/60429