【音楽】坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏という3人の奇跡 プロデューサー川添象郎さんが語る「YMOはなぜ大ヒットしたのか」 [muffin★]
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https://bunshun.jp/articles/-/60350
電子音楽の先駆けとなった伝説的バンド「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」は、なぜ大ヒットしたのか。音楽プロデューサーの川添象郎さんは「当初は奇抜すぎるといわれてうまくいかなかったが、米国でのコンサートが大成功した。そのとき心がけたのが、アメリカ人が日本人に対して抱いている典型的なイメージを逆手にとることだった」という――。
1978年、僕の企画事務所であるシロ・プランニングはキャンティの3階を拠点にしていた。そのとき事務所で村井邦彦と話をしていると細野晴臣がやってきた。〈イエロー・マジック・オーケストラ〉という新しいプロジェクトを構想しているという。
ニューミュージック系のセッションミュージシャンの親分である細野がオーケストラというのだから、僕たちはてっきり大勢のミュージシャンを集めて演奏するのだろうと想像した。村井邦彦は「細野に全部任せる!」と言って細かいことは気にしていない様子だった。
数カ月後、村井邦彦から電話が来た。電話口の村井はなにやら困ったような声音で「細野に任せた例のアルバムが完成したんだけど、ちょっと聞いてくれないかな」と言う。さっそく村井の事務所へ赴くと、「これなんだよ」と彼がかけたテープから聞こえてきたのは「ピッ、ボッ、ブー」といった調子の奇妙な電子音だった。あとでわかったことだが、あれはYMOのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』に収録されたイントロダクションの電子音だったようだ。
細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏というたった3名のメンバーで録音されたこのアルバムは、コンピューターを駆使して創られた。
細野晴臣は、当時からミュージシャンのあいだでは名を知られていたものの、ヒットアーティストとは呼べず、なにやら面白いことをやっているらしいと一部の音楽専門誌が取り上げたこともあるが、反響は皆無だった。誰も聞いたことのない、奇妙で前衛的な電子音から始まるインストゥルメンタルの音楽なのだから、放っておいても売れるはずがないことはわかっていた。
兎にも角にも打開策を見つけなければいけない。ラジオは、どこの局でも扱ってもらえなかった。当時のラジオ局の番組編成では音楽はすべてジャンル分けされていたのだが、YMOの音楽はどれにも当てはまらず、またサウンドが奇抜すぎるということで断られてしまう。当時TBSで、飛ぶ鳥を落とす勢いの例の音楽番組プロデューサー・渡辺正文のところに持って行き、テレビに出してくれと頼んだが、「ショウタロウ、これは無理だよ。テレビでなにを撮ったらいいんだ?」と言う。
プロモーションが成り立たず、案の定まったく売れる見込みのないま時間が過ぎていく。
続きはソースをご覧下さい
https://bunshun.jp/mwimgs/a/b/-/img_8e9ecdadd21ec312b01212c02f0ee7a875638.jpg 3人とも目が死んでますがw
ttps://www.youtube.com/watch?v=24bRSUeITXc 大麻とかシャブとか監禁とか暴行とか逮捕歴はんぱないよなこいつ 新しいものは最初はまず拒絶されるのは世の常
その中から次の世代が生まれてくる >>1
>音楽プロデューサーの川添象郎さん
この人自身も、けっこうな有名人だねw
飯倉のキャンティのおぼっちゃんで風吹ジュンの元夫
婚歴すごい仕事の経歴もすごいし逮捕歴もすごいw >>6
そんなことより成し遂げた偉業のほうがすげいからな
このおっさんやおっさんの実家のキャンティや財産・人脈がなかったら、YMOもユーミンもここまでの成功はなかった
それくらいすごいおっさんなんだよ >>9
いちばん最近のプロデュースヒット作だと
15年ぐらい前の、
青山テルマ『そばにいるね』だな こういう逸話を40年越しで知らされる身としてはどうなんだろうか
おじさんたち萎えないの?
自分の優れたアンテナがキャッチしたと思っていたYMOも
こういったおぼっちゃま権力たちに提供された消費財だったってことが 高橋幸宏は秀才だが
その両脇に天才と鬼才が居たのは仕方ない これらの映像をまあ一度見てみ
川添のすごさがわかる
YMO初期の有名なLAグリークシアターのライブ映像も、川添が「これは記録しておいたほうがいい」と急遽現地で機材を集め録画させたもの
その映像がパイオニア音楽館って番組や全国のレコード屋店頭で流されて、YMOの大ブームにつながった
川添は天才的なエグゼクティブプロデューサーであり興業師だよ
↓
川添と村井のYMO対談
https○://youtu.be/1ATI9A0sDzA
https○://youtu.be/PcVBpJ6uYMY
川添が語るYMOヒットの技術
https○://youtu.be/t3EiFBTTtRE
https○://youtu.be/Yl2z3loac9k
https○://youtu.be/sABYyAVWI3A
https○://youtu.be/qiB1lA8gfoU
YMO大ヒット時に11PMに出た川添細野
https○://youtu.be/5i1_ibys7Zk
川添が急遽撮影させた1979年のYMOグリークシアターライブ
https○://youtu.be/QUn6V49PG00 音楽が良かったからだろ
俺が仕掛けたみたいに語る奴多いけど 「川添象郎のやってきた仕事は、すべてメジャー中のメジャーなのに、
存在はアングラそのものです。表に出しちゃいけない人。
フィクサーのような制作者。
だって、表に出したらすぐ逮捕されちゃうんだから」 >>1
アメリカに帰ったトミー・リピューマは、酒の酔いも覚め果て頭を抱えていたらしい。オフィスのスピーカーでYMOの音源を聴きながら「いったいこれをどうやって売れというのだ!」と。
そこへたまたま〈チューブス〉という人気ロックバンドのマネージャーがやってきて、聞こえてくる音に興味を示してきた。
トミーから日本のユニークなバンドだと説明を受けるとますます気に入った様子で「今年の夏に行うチューブスの3夜連続コンサートに出演させたい!」と言う。
↑
これでLAグリークシアターでチューブスの前座を3夜やることになったわけだが、第一夜目で肝心のチューブスを食うくらい客の反応がよかった
それで次の日に急遽映像を撮影することになった
ちなみにチューブスのキーボードプレーヤーのマイク・コットンはステージ脇からYMOの演奏をずっと見ていて、坂本に対して「君は僕のグル(師)だ」と言うくらい感銘を受けたのは有名な話
高橋は演奏してテンションが上がって、楽屋でガムテープで体をぐるぐる巻にした有名な写真を残した この記事を読んで一つ分かることはラリってYMOを聞くと気持ちが良いらしいということだな トミー・リピューマにワインをしこたま飲ませてYMOを売り込んだ話 >>22
というかミュージシャンにハゲは少ないな
音楽が髪の毛に良い作用をあたえるのかもな アメリカでウケた理由は、アジアンエスニックな音楽と、ユキヒロのぶっ飛んだファッションセンスと、渡辺香津美のギターテクニックだわな ジョンレノン・ポールマッカートニー・リンゴスターみたいなもんか リアルでは聴いてないけど、3人の実力はよく分かる
あっさり言えば、この御三方はメロディメーカーとして優秀だったということでしょう
テクノロジーが二の次なのは、当時最先端のコンピュータなどスマホの1/10も満たないスペックで証明 今年1月の頭に文化放送でこの人の特番やってたな
中々面白かった 好きなら好っきとー
言えないこっこぉろーに
人はいつもくるしーむのー
コレは破壊力あったな 79年にあの赤の人民服姿で家路ママドントクライに出てる >>1
川添さんはいろいろお騒がせな人だけど
このymoと村井さんの間に立って上手く立ち回って仕掛けてくれたから売れたんだよな この人の話面白いよ
僕らはいわゆる「歌謡界」ってところに所属してなかったから
寧ろそこからは嫌われてたから、どうやってプロモーションをかけるか頭を捻った
っていう 浮気なぼくらのLPの帯が細野さんに被っててそこだけ白黒で細野さん死んだみたいになってるんだよw プロデューサー、川添なのかよw
(「アッコちゃんの時代」で話題になったボンボン)
こないだ、夫婦でテレビ出てたけどなw ゴダイゴとかYMO出る前からシンセ使ってテレビ出てたし 細野晴臣を叩いてるレスがずーっとあったような気がする
あれは誹謗中傷? 同じ叩きをずっと繰り返すとキチガイにしか見られないのに頭悪いよね 海外でのファイヤークラッカーのヒットまでは林立夫でも同じだったと思う YMOの3人も奇跡なんだけど、SOFT BALLETの3人も奇跡だと思う
シンセがメインのバンドでもここまでサウンドが違うのかと驚愕した 最初に坂本を発掘してきたのがティンパンアレーのマネージャーだった長門芳郎だから
細野と坂本の出会いは偶然だけというわけでもない 知らない名前だなと思ってwikipedia見たら、捕まりすぎ笑
華麗なバックアップだな >>14
それ知らんかっとってんちんとんしゃん
だと思ってた >>28
テクノとお薬は親和性があるからなw
電気グルーヴみたいなのもいる訳だしwww >>3
はんで押したように必ずクラフトワークというやつが現れるけど
木を見て森を見ずの典型で恥ずかしい
ほんとうに音楽聴くセンスがないと思う YMOに最初に飛び付いたのは
当時インベーダーやブロックくずしなどの初期TVゲームに嵌っていた小学生
70年代のロック世代だった大人は拒絶してた アメリカ初お披露目で現地音響スタッフにカネ握らせて爆音セッティングにしてもらってなかったらここまで成功しなかったかもだと >>53
バンドは特にそうだけど偶然の様に見えて後から見ると
実は必然的に必要な事が必然的なタイミングで起こる
っていう様な事が良くあるからきっとそういう事が起こってたんだろうね
結果としてYOMも林さんも佐藤さんもその後それぞれの活動で上手くいったし
もし林さんと佐藤さんだったら随分音楽も変ってただろうね >>68
これは分かる
新しくて新鮮に聴こえたけど違和感は無かったんだよね
だからすんなり入って行けた >>70
林がドラマーだったら、YMOがヒットすることもなかったし、林がアムウェイのクラウン・アンバサダーDDになることもなかっただろうな 今YMOを認めている古株の音楽評論家たちは当時初めて聴いたとき受け入れたんだろうか
例えば小林克也とか >>21
グリークシアターLIVE今きくとチープなシンセ音でバンドもスカスカの音だなw
この程度の音楽で当時はカリスマと持ち上げられたのか >>19
アホか。知ってたわ。キャンティという文化のるつぼを背景に、天才達をイカれたプロデューサーが見つけてマトをついたプロデュースをして跳ねる。サイコー。
会議やマーケティングでは絶対出てこない。 YMOがなければユキヒロも細野さんも
坂本龍一でさえ売れてなかったかもな
坂本龍一なんて一生大衆に迎合しない変な音楽だけやってたろうという気がする >>77
おじいちゃん
5ちゃんねるで句読点を使うと
お客さんだとバレてからかわれるよ >>1
※哀悼ハラスメント自粛のお願い
共働製作を中心に故人の交友関係の広さから
「あの人は追悼コメントを出した・出てない」というレスがあります。
こうした動きの無い人に対して'追悼警察'とも揶揄されるような勘ぐりをしたり、
追悼コメントの件数を背景にして
有名名無しを問わず、他の方に哀悼の意思を求めるような同調圧力は控えましょう。
その気持ちは故人の作品に末永くアクセス出来るような
環境作りを求めること(リイシュー等要望)に振り替えれば良いのではないでしょうか。 >>82
横並びが何より大事なthe大衆なオマエにはそれが重要なんだろうなw >>17
今、聞いてみると大したことないな
もの珍しかっただけだな
平成や令和のグループの方が巧いわ >>10
ある意味バブルの時代を象徴する人でもあるよね
金と女まみれ >>74
>>86
こういうマウント取るやつ…
キモい >>86 胸キュンのときはもう解散話がでていて、CM依頼で歌謡曲風シングルを作った
YMOの活動としては、オマケみたいなもんだw >>68
当時厨房だったが水魚のポーズやりながら聴いたっけ >>73
関係無いけど小林克也のお母さんが
高校時代担任だった >>92
スネークマンショウみたいなのもやってたな >>79
ディスコとテクノがしのぎを削っていた時代だったな この川添さんって麻布台飯倉キャンティの?
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