取材しがたい人だった。旧知のベテラン記者ならいざしらず、若造の質問になどおいそれと答えてはくれない。「ああ」とか「いや」とか、一言でも反応が返ってくればまだまし。何を聞いても無言で歩き去ることがしばしばあった。南海からダイエー入りを拒んでオリックスに移籍。移籍当初は平和台球場のスタンドから「帰れコール」が浴びせられた。91年にホークスに出戻っても容赦ないヤジは残っていた。そんな空気が、なおさら気持ちを硬くさせていたのかもしれない。