【訃報】YMO高橋幸宏さん死去 70歳 20年脳腫瘍摘出 懸命リハビリも 伝説のテクノサウンド ドラムで支え ★6 [Ailuropoda melanoleuca★]
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1980年代にテクノブームを巻き起こした伝説のバンド「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーで日本を代表するドラマーの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが亡くなったことが14日、分かった。70歳。東京都出身。死因や日時は明らかになっていない。2020年8月に脳腫瘍の摘出手術を受け、闘病中だった。高橋さんはYMOの音楽面だけでなく、赤い人民服など独特のファッションを打ち出すことで世界に衝撃を与えた。
関係者によると、高橋さんは静養先の長野県軽井沢町で年明けに肺炎を患い、容体が悪化した。亡くなったのは今週とみられ、仕事仲間や親しかった人たちへの報告が始まっている。
20年初夏から断続的な頭痛に悩まされ、同年8月のMRI検査で脳腫瘍と判明。摘出手術は成功し、入院治療の全工程終了を報告した同10月のツイッターで「新幸宏になって戻ると決意しました」と宣言。軽井沢の別荘で静養する一方、通院治療を続けた。
しかし、21年6月に定期検診を受け、「まんまと嫌な予感が当たり、また別の治療始めます」と投稿。再発ではないとしながらも、詳しい治療内容などは明かさなかった。
病魔と闘う原動力になっていたのが、プロデビュー50周年記念ライブへの出演。70歳となった自身の始まりの場と位置付け、何年も前から構想していたものだ。復活の舞台とするべく前を向き続け、懸命に治療とリハビリに取り組んでいた。公演自体は開催されたが、本人は出演できなかった。
78年に坂本龍一(70)、細野晴臣(75)と「YMO」を結成。シンセサイザーを大胆に使った演奏で80年代にテクノブームを巻き起こした。80年発売の代表曲「ライディーン」は高橋さんの作曲。日本のポップスシーンに与えた影響は計り知れず、正確なリズムのタイトなドラミングでYMOを支えたのが高橋さんだった。
その評価は日本にとどまらず、結成翌年から2年連続で世界ツアーを敢行。83年に“散開”するまでわずか5年の活動ながら、全世界でレコードの売り上げは500万枚以上に達した。高橋さんはファッション面でも斬新なグループイメージを構築。もみ上げをそり落としたテクノカットや赤い人民服などで世界に衝撃を与えた。
YMOはその後、“再生”と称して再結成を繰り返した。19年12月に開かれた細野の音楽活動50周年記念公演では、事前収録された坂本の映像に合わせる形で高橋さんらが演奏、「YMO復活」と大きな話題を呼んだ。その坂本は現在、最も重いステージ4のがんを公表して闘病中だ。 ソロ活動やプロデューサーとしても実績を上げるなど、第一線に立ち続けた高橋さん。ミュージックシーンにとどまらず、サブカルチャーなどにも大きな足跡を残し、国内外に与えた影響は計り知れない。
≪72年「サディスティック・ミカ・バンド」加入しプロデビュー≫
高橋 幸宏(たかはし・ゆきひろ)1952年(昭27)6月6日生まれ、東京都出身。72年に「サディスティック・ミカ・バンド」に加入しプロデビュー。78年に「YMO」を結成。02年に細野と「スケッチ・ショウ」、14年には小山田圭吾らと「高橋幸宏&METAFIVE」を組んだ。主なソロ曲に「前兆」や「1%の関係」など。兄は音楽プロデューサーの高橋信之氏。
https://news.yahoo.co.jp/articles/05091066608a45c66fe19bfa314bb99969bc5e3f
★1 2023/01/15(日) 02:07:58.43
前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1673779797/
関連スレ
高橋幸宏さんが誤嚥性肺炎で死去 [少考さん★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1673773856/ ライディーンとテクノポリスくらいしか知らんけどその2曲は好き ジェフペック チャーリーワッツが亡くなって
日本のチャーリーワッツだな
ハゲ具合もチャーリーワッツだし リンゴスターは長生きしてるな
加藤茶も長生きしている 前スレのつづき
当時小〜中学生で増殖スネークマンB2UnitBGMテクノデリックで脱落どころか
また凄いのキターって感じで周りみんなますますハマっていってたよ
そんな少年たちも胸キュンでみんな脱落w
その後浮気なぼくらとサービスで少し持ち直した
増殖やテクノデリックで脱落したのはもっと上の世代かも? >>10
うん半ズボンでWINTER LIVE行ったw 竹中直人の番組にときどき御出演なさり最初のうちは竹中さんがギター弾きながら即興で唄う芸を傍らでおもしろがっていたのに、そのうち一緒に流しを演ずるようになったプロセス楽しみにしながら観ておりました
単に洒脱なだけでなく、剽軽で人間味溢れる方だったようにおもいます
こちらこそありがとうございました
どうかやすらかに スパークスやロキシーミュージックの公式アカウントが追悼ツイートしている 稲垣潤一と年齢一緒でもデビューが早いのか
ドラマーには30歳近いデビューのイメージが強い 80年はYMOの年だったけど81年は大滝詠一の年だった 高橋 幸宏(1952年6月6日 - 2023年1月11日)
>武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン学科在学中の1972年(昭和47年)、
>加藤和彦の誘いを受け、脱退した角田ひろ(現:つのだ☆ひろ)の後任として「サディスティック・ミカ・バンド」に加入
つのだ☆ひろ
生誕:1949年8月1日(73歳)
>また、1971年には歌手として「メリー・ジェーン」をロングヒットさせ、そのソウルフルな歌声で一躍脚光を浴びる。
>1972年には結成当初のサディスティック・ミカ・バンドに参加したが、短期間で脱退し高橋幸宏が後任となった。 >>10
だろうね ダンスミュージックとして聴いてた層と言うか
確かに胸キュンのタイトルやら衣装やらカクッと来たけど後期のサウンドはアレはアレでシャープでイイね >>24
つのだひろの実兄は 恐怖新聞のつのだじろう >>26 BGMでリア充が離れて大滝詠一や達郎に流れたね。 >>27
たった正味5年の活動で初期中期後期に分類できるくらい音楽性が変わったバンドてYMOくらいだろうな 鎮魂歌として
ピエール・バルーの『花粉(ル・ポレン)』を送りたいね。
バルーと幸宏とあと多分デヴィッド・シルヴィアンがジャン・コクトーとかマン・レイとかアーティストの名を挙げてゆく >>24
つのだ☆ひろはたしか渡辺貞夫のバンドにもいたことあって、たしかナベサダが日経新聞の「私の履歴書」でモントルーの話をしていたとおもう
あの人も人気があってあちこちのバンドから引っ張りだこだったとか >>32
誰に贈るねん
まさか作った本人に?
あなたの作った曲をあなたに贈りますとか >>20
TVのニュースで取り上げられるほどの有名人だけどな つまんない曲なのにタックスマンが頭のなかで流れてる YMOはテクノと言いながら生ドラムだったのか
エクセルがないから手作業でひたすら電卓打ってる感じ
昔は新幹線がなかったから東京大阪を歩いたのと変わらんね 最近より40年前にヒット曲が有るなんて
過去の人になり掛けた >>31
ポリスとかジャパンとか
そういう時代だったのかもね 親戚の高橋世織さんが
近代文学の研究者で、近所の文学館に講演に来たが残念ながら、終わってて、他の人を聴講する後ろ姿しか見えなかったけど、似てたね。
飛び入り参加した詩人・小説家の松浦寿輝と一緒に座ってた。 >>42
ドラムを自動演奏させる手段はあった
クラフトワークがやってた 素晴らしい音楽をライヴをありがとうございます
このまえCD買いました
ご冥福をお祈りします。 まりんはLEO今井とMETAFIVEとは違うバンドやり始めてるよね METAFIVEの派生ではあるけど >>37
鎮魂歌=レクイエムなんだから
死んだ人=幸宏氏に贈るに決まってるじゃん。
魂を鎮める歌なんだから。 ゴダイゴのタケカワユキヒデと同じで
青汁のコマーシャルとか似合いそう 少し前、NHKのノーナレ808特集で
マシンにユキヒロさんの指紋が〜とか話してたと思う >>49
幸宏の病気と五輪の小山田騒動で
メタファイブが強制終了になってしまったからな 江口がサイン会やってたがずっとスマホから幸宏の曲流してた >>54
まあでもあの普段クールな印象のまりんが先導してあんな感じでやるとは思わんかった >>57
久々にバンド活動やってモチベーションが上がったんだろうな 俺はLPのユキヒロの変な歌声の曲もよく聴いて覚えて歌ってたキモい中学生だった
キモカッコいいYMOの中で一番普通っぽくて好きだった
ポップだったね
ありがとう
RIP 中学生のとき、幸宏さんのヴォーカルでいちばん衝撃を受けたのがDay Tripperでした 中学のころ幸宏さんのオールナイトニッポン聞いてましたよ
散開コンサートのアルバム今でもたまに聴く
R.I.P >>63
変な歌声←褒めてるよ^^
ずっと曲に合わせて歌ってたんだから sketch showを聴くと細野さんの低声とは違う中性的な声で上手く調和してる部分があるのは分かる こんなに色気のある声ってそうそうないとおもう
ヴォーカリストとしてももっと評価されてもいいだろうな テックッノー
テクノライディーンー
ぐらいしか知らないが惜しい人を亡くした >>46
>終わってて
世織さんが来たので見に行ったら、終わってて、という意味ね。
https://m.youtube.com/watch?v=LEqRLBIsZdA
↑これがル・ポレンbyピエール・バルーです
編曲はユキヒロ。 去年の6月の最後のツィッターがもう辞世の句レベルなので、去年秋には亡くなってて今公表したのかな? >>52
それ聞いてもう一回見ようと
中華サイトで探して来たw >>71
LEO今井と何か飲んでたのを投稿されてた時には死を感じてる気はした 小山田が過去の発言でやらかした時 あの辺からまりんと二人で活動し始めたし LEO今井 そもそもMETAFIVEのセカンドアルバムの最後の方かなり死を感じされる作風なんだよなー… おやすみなさい
爆笑動画 野々村RYDEEN太郎
tps://www.youtube.com/watch?v=72euBcNJCZo 浅野ゆう子のシングル「サマーチャンピオン」のドラムって高橋氏なのかな?オカズの入り方とかそれっぽいんだけど… >>81
聞いてみたけど幸宏はこういうハイハットは叩かないし
スネアの音も違う 『ボク、大丈夫』のサヨナラが好きで
トリビュートアルバムが出たときに
好きですと本人にツイートしたら
宮沢りえちゃんが素晴らしいナレーション入れてくれてますと返信してくれた。
バルーの『花粉』に参加したミュージシャンでは、鈴木慶一と清水靖晃ともやりとり出来たのが自慢(*ノω・*)テヘ 一体何人殺せば気がすむんだ?
英国営放送BBC「超過死亡が増加した原因はワクチン」とする専門家インタビューを放映「深刻な有害事象発生リスクは800人に1人」★5 [Stargazer★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1673792296/ とうとうYMOのメンバーが亡くなってしまったか
もう二度と3人で揃って演奏する姿が見れないと思うと悲しい
SOFT BALLETの森岡賢が2016年に心不全で亡くなった時と同じように悲しい気持ちになった
YMOとSOFT BALLETは青春だった
ご冥福をお祈りします 小5でドラムをたたき始め、中学時代に早くも兄・信之のバンド「ザ・フィンガーズ」で代演を務める早熟ぶり。
音楽仲間には細野晴臣、小原礼、松任谷由実らがおり、高校時代には東郷昌和(後にBUZZ)らとバンド「ブッダズ・ナルシーシー」を組んだ。
ガロやブレッド&バターのバックで頭角を現し72年、ミカバンドに加入。加藤和彦さんからは「筋肉隆々としている必要なんてない」と言われたという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/67db8e52a9108a18d2cf22f2ed60fce28f748a56 お金あってもガンは勝てんのな。
ワイの父親も原発不明の悪性の全身ガンで脳の侵食が1番ヤバかったから手術で取り除ける部分だけ取った。余命はその次点で5ヶ月だったけど寿命巻いて3ヶ月で亡くなった。
安らかにとしか言えんわ。 >>15
海外で追悼しているのそれだけ?
Big in Japan バンドYMO
の悲しさやね。
Loudness 以下でっせ。
Metallica なんかBlack Albumだけで
3500万枚以上売り上げ
セールス記録更新中。 克美しげる
と同じ扱いになるバンドだから
追悼ツイートすら
躊躇されてるんやろ。 スパークスとかまだ全然生きてるのにな まあロキシーミュージックのブライアンも元ロシキーのブライアンもそうか >>52
>>82
見直したけど幸宏の話は出て来なかったな~ >>90
全然違うジャンルのバンドでマウント取ろうとするのはハズいぞ
LOUDNESSの功績はすごいけどそれを訃報スレでマウントをとる材料にするなよ
というかそもそも訃報スレでマウントを取ろうとするな >>90
普通Big in japan てそういう使い方はしないなw >>98
日本のバンドなのにBig in japanなんておかしいよなw
メタル至上主義の狭量なアホだから仕方ないが >>90
YMOもラウドネスも好きなおれれから言わせると
お前は愚かで糞恥ずかしい奴
樋口っつぁんが泣いてるわ 二度とラウドネスの名を出すなボケ >>99
中学生の時YMOに入れ込んでたが高校でバンド始めたらテクノポップから遠く離れてメタルを聴く様になったw
そんな俺でもここで無関係なメタル上げとか考えもしなかったし 人間として変 中原理恵と噂あったひと?
お洒落な人だったよね
RYDERN久しぶりに聴いたら全身雷に打たれたような衝撃 YMOのトータルセールス
500万枚って
450万枚が日本市場だけ
でっしゃろ🤣🤣🤣 >>104
幸宏さんをご本尊にしていた
Metafiveとかいうしょーもない
糞バンドも終了でっせ。 >>106
売れてる=スゴい!の人間か
お前はマイケル・ジャクソンだけ聴いとけよ
めちゃくちゃ売れてるぞ?w
お前の薄っぺらい人間性にMJは勿体ないけどな あまり海外で騒がれてない所を見ると
アルファ商法ってやっぱり誇大広告みたいな物だったのかな >>111
教授が譲らなかった
提供じゃなくて名義ごとくれって言われたんじゃなかったかな? >>88
ぶっちゃけドラマーという印象は無かったw 脳幹にできる悪性脳腫瘍ってなったら絶対治らないの? >>113
スリラーに入る予定だったんだっけ
もの凄い印税が入っただろうになw
このPVも死後に作られたものか ジョン・レノンみたいな死に方しないとニュース性があんまりないよ >>117
買い取られちゃったら入らないから譲らなかったんだよ
確か クラフトワークとか言うののパクリで
まだそんなのやってんのwってバカにしてるゴミクズの仲間だろ ビハインドザマスクも最初は幸宏のクレジットも入ってたんだよね
SSSのセカンドプレスでは名前が消えてる >>121
Wikiではこんな感じ
版権の50%(当初は100%)を求めてきたため、(作詞者のモズデルは同意したものの)怒った坂本側との折り合いがつかず、収録には至らなかった[2][6][7]。後に、坂本は自身のラジオ番組で「許可すれば良かったかもしれない、と後から冗談で幸宏と言ってます。」と語っている[8][9]。 >>24
幸宏の兄貴がいたバンドのフィンガーズに成毛滋がいた
成毛滋はつのだひろとストロベリーパスを作ってアルバムを1枚だけ残してる、いろんなとこで繋がってるな
このアルバムには誰でも知ってる超有名曲のメリージェーンが入ってる >>124
50%なら凄かっただろうね
ただYMO版の方もMJに50%行っちゃってはどうしようも無いかもw 追悼で何聴くか悩ましいけど
ハイテックノークライムをチョイス
僕はキッズだからこれくらいにならないと分からない >>120
当時記憶が上塗りされてて着てるシャツがYMOシャツだと思い込んでたなw
大人になってからシャツ白いやんって思った
このキャンペーンで当選したした紙のYMOシャツ持ってる >>127
クインシーと一緒にまっさらから作曲に参加すれば良かったのにね
ビハインドマスクよりマイケルに合う曲作れただろうにな >>124
「収録」はちょっと曖昧だな
録音はしてたが
アルバム入れなかった
収録にはどっちの意味もある >>127
MJ版だけの話
ボーカルアレンジして作曲クレジット
歌詞足して作詞クレジット
常套手段 >>130
あの頃の教授のスケジュール的にそれどころじゃ無かったんだろうね
MJはその他にも808をBeat itで使う等
クインシーが何処かでYMOのライブを見てた可能性があるような節があったりと面白い >>132
それだったほんとやっても良かっただろうにね
当日の教授は若過ぎたかw スリラーの40周年記念盤CDに「Behind The Mask (オリジナル・デモ)」入ってる
なんかFMで流れてて聴いたことある まあ異論あるのは当然だけどね
あの世代はJリーグ黎明期のカズ、ラモス、武田的なとこがあって
「たまたま、そこにいた」的なごっちゃんゴール的な過去の栄光に縋り過ぎた感はある
教授のアカデミー賞、エナジーフロウ100万枚は運とか関係ない実力だけど
ソロで武道館を埋められたのも教授だけだからな 朝刊見たら、幸宏さんの死因は脳腫瘍に併発した誤嚥性肺炎となっていた。 >>104
METAFIVEの有人ライブが流れたのはコロナの拡大だし
配信ライブに参加しなかったのも治療に専念するためだから
いうほど小山田が思いつめる要素なくね >>140
まあ今の小山田君は丸くはなったし そこまではね 思わなくてもいいけど
デザインあなんかも あれの影響でなくされたからな 輝くネオンが やけに悲しい
ガラス越しの街を 僕は見ている >>120
磁世紀いいなあ 曲もドラムもなにもかもが狂ってる
スネークマンショーではモノラルだった
だいぶ後のワールドツアー1980のアナログ3枚組でやっとステレオ版が収録された >>95
NHKオンデマンド@nhk_ondemand
【追悼 高橋幸宏さん】
世界的に人気を集めた音楽グループ「YMO」などで活躍した ミュージシャンの高橋幸宏さんが亡くなりました。70歳でした。
世界中のミュージシャンが愛用するリズムマシン
「808」に迫った番組ではYMOや高橋さんのエピソードも登場します。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2022124707SA000/
松武さんがマシンのここに指紋が〜とかいうシーン >>137
っていうか売れたのfirecracker だから
ライディーンやテクノポリスは外れ曲
YMOとか大瀧辺りが過剰評価すぎるんだよな
まあレコ屋の宣伝なんだけど
GSとかの辺をきちんと再評価した上で聞いていかないとねえ >>138
咽頭の感覚野か運動野がやられてたのかな >>145
インストは曲良ければ売れるってもんじゃない
既存の著名曲の方が売れたというだけ 坂本龍一がずっとガンだー大変だーってやってたから、まさか高橋幸宏が先に逝くとは思わなかったわ…
ご冥福をお祈りします 誤嚥性肺炎は食事の飲み込みで消化気管が詰まって咳き込んだり肺に菌が増えておこる
適切な食事管理をしてれば防げるのではないのか? 教授のツイッターで哀悼のグレーだけの投稿したと思ったら
一日たたずに次は新譜の宣伝ツイートしてたwそういうとこやぞw カウントダウンで毎日ツイートしてるやつだから許したれ。
投稿も実際はスタッフだろうし。 METAFIVEはケチがついちゃったが、Don't Move聞いたときは衝撃だったな。これ自体だいぶ前とは言え全く過去の人じゃなかった。 70にもなりゃそりゃ死ぬだろ
なんでこんな伸びてんの 男は70くらいで死ぬ人はまあけっこういるなあ
やっぱり女の方が長生きかな >>155
あれはでもそれこそ小山田の音楽性も強かった気はするな >>85
やり取り?
誰もお前のこと知らんだろ老いぼれ CCBってグループのドラムも亡くなったみたいだけどどっちが格上なん? マルイのCMでかかってたな
この人の曲が
ヤマがないまま2番に行っちゃうような曲だったな >>153
坂本も追悼で活動自粛する時間の余裕はない >>158
教授はがんのステージ4
余命宣告されてるだろう立場
幸宏の死はもはや悲しむ対象ではないのよ
すぐ後を追うという覚悟せざるをえない時期だから
生きてる間にあと何が出来るか、頭にあるのはそれだけだと思う 前スレだけど
>681 名前:新規スレ立て人募集
>SpotifyにはSaravah!と音楽殺人だけ無い
>キングレコードさん頼みます
どちらも高橋ユキヒロ名義で置いてあったよ ドラムの演奏は好きだったが
この人のソロは嫌いだった
けどHASはこの人のポップな音楽性の影響も強く好きだったな
よくYMOに第二の活躍の場を与えたものだと思う フラットな状態でYMO直撃世代は私と同じ1974(昭和46年)以降ではないかな
小学校でRYDEENを強制的に浴びせられる
友達の兄にYMOのレコードを聴かせられる
その中の一部が興味を持つ >>31
ムーンライダーズも音楽性コロコロ変わるけどさすがにニューウェーブからテクノ期はそんなにぶれなかったなw
しかし今はテレビの音楽番組も元気ないから、国民的なバンドとかなかなかいなくて寂しいね 音楽的基礎がなくても四つ打ちベードラに上物とシンセを
適当な被せればそれっぽく完成してしまうのがテクノ。
YMOはメチャクチャ音楽的基礎がある3人が
楽器としてたまたま電子楽器を選んだだけ。 >>42
マシンビートのリズムも流れてるの
そこは口パクドラムじゃなくて
マシン+人力のツインドラムみたいなもんなのそのズレのフェイズズレ感がでるのね
それは他のパートも同じ
ベースやキーボードも同じ
マシンとやる
だから片方だけにもなる
マシンだけ
人だけ
そういった全部
今のJ-POPもほぼそれ
見た目やクレジットで勘違いしないように 音楽室でS君の尻撫でながらリコーダーでライディーンの練習した放課後が切ない(´・ω・`) テクノ丼のカセットテープあるけどつまんなくて1回しか聴いてない記憶w だからギター持ってできたりするでしょ
今でも
細野大好きな星野源なんてそのままじゃん
大ヒットなった恋なんてマシンで録音した音テンポアップしてたりするけどビデオでバンド見るとみんな手でやってると思わせられるだろ チビッ子たちはライディーンと勇者ライディーンの区別ができなかった >>176
国民的とかまだいってんの?
主要メディアが持ち上げたら
それを国民的と思わせられてただけなのに
なんか流行ってそれを国民的なんて北朝鮮や中国みたいだろよく考えれば YMOのグリークシアターライブをBlu-rayDVDで発売してほしい YMOやミカバンドのキャリアばかり語られるけど、晩年ソロ期のBLUE MOON BLUEがバランス良くて一番好きかも YMOってテクノだけどリズムマシンってあんま使われてないんだよな
BGMあたりから808と幸宏の生ドラムを合わせて使うようになった
幸宏は何が凄いかと言うと、ドラマーだけど、ドラムだけにこだわらず
シンセとかガンガン使って曲書くところだよね
この辺りはもう少し前に逝ったかしぶち哲郎と共通するものがある
今頃2人でセッションしてるでしょう( ; ; ) たぶん東京モード学園のCMがテクノポリスだったの観たのが
最初の出会いだろうな
当時8歳ぐらいかな~?
地方都市だとCMぐらいからの情報しかなかったなあ
大学生の知り合いにこれなに?って聞いたらYMOっていうなんかすごい話題のやつ
バンドというよりも映画におけるスターウォーズの到来みたいに
新しい軸になるものが始まった、みたいな説明だったなあ
あるいは劇団四季におけるキャッツぐらいのモードチェンジャー的な
漫画における大友克洋的な >>173
オレは直撃ではなくて
細野とか坂本とかユキヒロって人たちがこういうことやってると知った後のYMO
直撃ってのが不思議な表現だと感じる
YMOだけじゃなくてそれ以外の彼らがあってYMOもその中の一つと思うから
しかしYMO神ってやつは確かにいた
それは1965年くらいのやつだった
その時
ああこういうアイドル的に心酔するやつの対象なんだなYMOはとはじめて思った記憶は鮮明
ロジカルな流れとしての捉え方じゃない
エモーショナルで神的に扱ってた
心酔してた
それでシンセはじめてバンドもやってましたといってて
へーと思った
1965年ごろの生まれのやつ 中期YMOがキャッチーじゃない、既存ファンを裏切ったみたいな評価で
売り上げも下がったらしいけど、
買って聴いて見ないと評価もできないし増殖までは売れてたんだから、
継続してBGMを買う人はいただろうにいきなり大きく売り上げ落とすってのは疑問だったな。
BGMを買ってこんなのYMOじゃない→テクノデリック売れず
ならわかるけど。
その前段階の増殖が評判悪かったか、ベスト盤のマルチプレイズ?
発売したからそこで区切りがついて次が下がったのか。
リアルタイムでのこと知らないから不思議に思う >>190
リズムマシンじゃなくてシーケンサーの音列がそのままビートなんだよ 石野卓球が中学生で聴きまくってから初めてテレビで見たら生ドラム叩いててガックリしたらしい なんでジェフベックより伸びてるんだ?
変な時に死ぬんじゃねえよ 1枚目2枚目はいいけど、
増殖でガックリ来る
なんだよあのつまんねえ寸劇は
レコードにするもんじゃねえよ YMOどストライク世代だけど、YMOは飽きる
時間置いて聴くとまた再発見もあるんだけど >>191
https://reminder.top/401038337/
自分は1980年NHK向田邦子ドラマ『阿修羅のごとく』
で使われてたTechnopolisが初めてだった 一歳上の三宅裕司がお仕事していて元気そうなのに
YMOのアルバムに劇団のSETが出演後、高橋ユキヒロのオールナイトニッポンに劇団の4人ぐらい
呼ばれてレギュラーになり、ラジオのお仕事を
するようになった大恩人だって >>193
そういう風に売上や人気度合いでYMO的な人格評価してるの見ると
オレなんかは
彼らの一部であって同時期別のこともしてる中でのこれなんだから
そんなのいろいろあって当然じゃん
人間がプロジェクトやってんだからと思う
おもしろいなら何度も聞けばいいし
つまらないなら聴かなければ
だって本人たちはYMO一度売れたらその後続けろとかいうAKBとかそういうプロジェクトじゃなくそまそも細野やりたいことやってた中の一面でしかないから
そのあとこの3人でYMOブランドの商品なんか出してよ
といわれれば
好き勝手にやるでしょう
他にもできるんだし
お金もあるんだし
3人ならじゃこれでやってみるか的な
特に有名ブランドになったから
こんなんでもおまえらかねだす?みたいに実験したいよな >>198
YMO神ではないおれは
増殖はエンタメ的に好きな一枚だせ
おもしれーよ
その間の統一教会の二世を教会長にして
改革します!会見がまさにあのジャケット
笑った笑った
YMOが1981年くらいに予言してんだよ2022年を
ははは >>184
チビッ子じゃないがアニソンやってた人なのかと思った >>186
ある程度の世代が知ってる歌とかないと寂しくない?
一昨年くらいにUSAのアメリカバンザイみたいな曲が流行って、久々に幅広い世代が歌える曲ができたとか
誰か言ってたよ
YMOは全盛期でも国民的とは言い難く、ごく一部だろうて
サザンとかキャロルとか寺尾聡とかオフコースも演歌もいたわけだし >>197
ドメスティックだからだよ
なに言ってんだよ
オレは同じくらいジェフも好きだ
アホ突っ込むな 自分たちがやりたいことしたいから評価下がること想定して
当初から出荷枚数抑えたのかと思った>BGM
BGMとテクノデリックこそ最高という意見もあるから
それはファン続けた人、後追いや再評価によるものなのかなって思ったりして。
増殖→BGMのあたりでYMOはオワコンとか、もう飽きたとか
そういう流れがあったのかな。
玄人受けはいいけど流行の一つとして大衆に消費されすぎた結果なのか 本人たちは好きなことできる環境ができたわけで
その頃は遊びよ >>198
たしかに増殖はあの時代の空気感知らないと面白さわからないと思う
わからなくて当然 てか、本人たちが飽きてた。
特にアレンジ面をほぼ全て請け負ってた
教授のヤル気がなくなって
(「自分は単なるイエローの技術屋」発言)
細野さんと険悪になり、
打ち合わせとかレコーディングに来なくなった。
だから2nd路線がやりにくくなって
バラバラに作って行く事になり、
せめてバランス取るために
高いシンセを使わないであんな路線になった。 >>208
考え過ぎ
単純に世間が求めてるYMOはライディーンとかテクノポリス
そういうのやらないから離れるだけ >>210
リアタイならわかるなんて無謀な擁護
当時でもあんなの批判されただろ 申し遅れましたが>>1おつ
夜の夜中でもすぐ次スレ立ててくださり感謝
>>180
じゃなきゃ30秒単位ぴったしで終わる曲がアルバムにずらっと並ぶわけないよね
今ならコンピュータが最も得意な仕事だって直観的に判るけど >>195
想像以上にバカ売れしちゃったから、プレッシャーとかも凄かったんだろうて
写楽イベントで怒り狂ってそのまま演奏に反映してたというのは今思うと凄いよね 大衆消費って
レコード会社的視点は売上の継続だけど
ミュージシャンの視点は大金持ちになることじゃあ
彼らの場合そうじゃないだろ
その後社員雇って全国に5000店舗YMOフランチャイズ展開しますじゃないだろ
それはレコード会社が全国販売するだけの話
世界展開しますもトヨタ的にやるわけじゃない
大量消費とか言ってるのはそういう視点
本人たちはスタジオミュージシャンでも一流でひくてあまた
食っていくのにはYMOである必要なかったんだから ワイM男の代表曲ライディーンを作ったドラムがうまいハゲ親父のイメージしかないわ >>206 キャロルは1975年に解散だから年代が違うよ
オフコースは売れた時は歌番組で基本、見かけないスタイルになってたしな
演歌はもっと上の年代が支持層 寺尾聰は俳優が本業で、歌で有名なのはルビーぐらいだろうし
ちょっと大げさにいうと、世界にまで演奏に行ったり聴かれ
国内外でのセールスも伴ったユニークで稀有なバンドという感じ >>217
それで合っている
他にもいい仕事たくさんしたけどバカ売れしたわけではないから >>215
プレッシャーなんて村井邦彦っていう翼をくださいや虹と雪のバラードとかいろんなのヒットさせた慶應出のエリート的作曲家がポンと作った会社だから
そんなのない
ユーミンデビューさせていい感じだった時代ユーミンもその前から作家であって作家として既に一流だったし
YMOは村井自伝でも彼らのおかげでアルファレコードのビル建ちましたの感謝よ 村井自伝には大滝詠一とか山下達郎も隅っこでちょっとだけ感謝してる
その前にいろんな人の話が出てくる >>202
>だって本人たちはYMO一度売れたらその後続けろとかいうAKBとかそういうプロジェクトじゃなくそまそも細野やりたいことやってた中の一面でしかないから
存在があんまり世代に膾炙しなくなって以降はそんな感じあったね
B.イーノのことが大好きなのを複数のメンバーがラジオ番組で公言したりしてたから、そのセン濃い曲増やしたのかなっておもわされたり 事務所ヨロシタミュージックについて詳しい人いたら聞きたい事ある ちなみにその村井自伝で反省してるのが
そうやって急成長したアルファレコードが誰に載せられた話か知らんけどアメリカ進出してそれに失敗して財政破綻させて
村井は会社を破綻させたんだよ
会社を売ると言っても二束三文だったろうな
もしかして会社は一度廃業して
ブランド名だけアルファという
それを売ったのかもしれない
それは誰か書いてくれ
それは反省してた
YMOは感謝しかなかった そして村井さんはその後よく知るロスアンゼルスに移住
そして村井の息子ヒロムライが数年前にはビデオアーティストとしてグラミー賞受賞したのは日本のメディアがテレビでもやったろ? >>206
オリコンの歴代年間トータルセールス1位アーティスト
1978年:ピンク・レディー(2度目)[4]
1979年:アリス[5]
1980年:イエロー・マジック・オーケストラ[6]
1981年:寺尾聰[7]
1982年:オフコース[8]
1983年:中森明菜[9]
1984年:松田聖子[10]
YMOは一世を風靡したと言っていい >>217
ワイも
ググったらYMOって生まれる前やし知らんがな >>221 アルバムランキングでは売れまくりだったけどね
ちょっと見たら、1980年のオリコン年間アルバムランキング、2位9位10位がYMOだったわw 動画や番組で知ったことを自分の手柄のように長々と書き込んでる人なんなの >>230
他のいい仕事ってYMO関連以外の事
ソロやミカバンドやビートニクスなど 前スレに坊ちゃん嬢ちゃん育ちの人が多い界隈だから、どうもあんまり馴染めないなんて人がいたけど、そういや「大佐」ことなぎら健壱も「トノヴァン」こと加藤和彦の歌唱法をなんとなく生理的に気に入らなさそうなこと言ってたのをふとおもいだした
他意はないのかもしれないけど、でもまあそういう自分も個人的には「葛飾にバッタを見た」とか、あと業績としては「ヴァイオリン演歌」演者へのインタビュー織り交ぜたアルバム出したり、比較できるもんじゃないけど大佐は好きだ アルファレコードの懐事情みたいな、穿った視点で見てしまうところがあって
後期の君に胸キュンは確かに売れたしYMO人脈プロデュースの曲が席巻してたから
確かに散開までは全然オワコンでもないのよね。
ファンの間では歌謡曲路線の後期はそれほど評価は高くない気がするけど
まあBGMとテクノデリックでどれをアピールするするか先行シングル売るとすれば
どれが売れるかを考えたら正解は思いつかないよな、飛び抜けて代表曲になるのがないって感じ >>219
演歌をそういう年代で分けるなよ
いま森進一が歌うのは大滝詠一の冬のリビエラ
それから小林旭復活のきっかけとなった熱き心にはもっと若い歌手が熱唱する
たまには五木ひろしとかも
五木ひろしは70年代にユーキープミーハンギンオンわライブレコーディングしてるし
そもそも日本のメインストリームだから
これをら70年代の大滝詠一や山下達郎はダメだしされてCMだけやってろと言われてこんちくしょうだった
大滝詠一もその仲間に加われたし
森進一は山下達郎のYour Eyesも出したんだよ
ワンオクのTAKAとそれほど違わないんだよ >>235
先に出したほうの「千のナイフ」、ボコーダー使って毛沢東の詩詠んでるもんね
たまたまそういう時代を生きた人だ、ぐらいの解釈しかしてませんけど >>237
森進一はナベプロと喧嘩別れして干されたので新路線を選択した >>239
毛沢東はビートルズのホワイトアルバムレボリューションNo.9でもはじまるだろ
時代がそうだったんだよ
時代がわからないとな
そもそもジョンレノンは
レボリューションで革命をバカにしてる上で取り上げる
でイマジンとか歌う
だからおまえみたいにマジとりしてるよーな短絡なやつには向かない >>17
流行りものに引っかかった教授を許してくれ
ファン向けにパヨク活動はしてなかった >>208
本人たちが飽きたのでは?
ライディーンの類いと戦場のクリスマスとでは音楽的に対極にあるし >>241
ナベプロ本も読んだ
で森進一がいちばん稼いでたのに最低給料だった
だから独立を考えて当然だったが掟は許されず罰を喰らった的な書き方よ
そんなナベプロも最初はバンドマンベース弾きなのにな >>245
何かで読んだんだがファンの予想と違う方向のを出したとか ゴダールが毛沢東大好きじゃん
教授は曲名にゴダールの作品名を使うぐらいファンだったし
その辺はあると思う >>245
スネークマンショーのメンツまで勘定に入れて言うけど引き出し多いしやりたいことがいっぱいあったような感じはうけてた
スネークマンショーの「黒い羽根運動」展開したほうのアルバムに東南アジアの大衆音楽に分類できる曲入ってたり YMOのことばかり書かれてるけど、ソロの歌の方が好きだったよ。 そんな話は年明け挟んで前川清盛り上げすごいんだけど
見た?
カラオケバトルで娘が歌ってすげーデブのドラムンベースに歌載せるよーなベースボーカル二人組のインディーズやってんだって
ところが見た目と違ってオヤジの歌歌って歌好評
オレもきにいったくらいの
その話じゃなく
前川清が別の年明けで話してたの
10年間給料上がらなかった
10年経って内田さんに呼ばれて給料上げてやるから40万円に
これ他の奴らには黙っているよーに
はい!
他の人たちもっと安いのかこれはかわいそうだなあ
そして内田が死んでみんなであつまって前川が思い出話としてその話言ったらみんなから
えっオレたち100万もらってたー YMOは中国ぽかったり、ナチスぽかったりする衣装やジャケットのデザインは確かに好みが分かれたかもしれない面はあった
ファンの人もナチス風衣装ていってるのをネットでも見た事ある
日本では当時はあんまりタブー視されていなかったんだろうな、むしろかつての同盟国の党としてとらえている人らもいたし
だから沢田研二もめっちゃナチス風衣装だった事もあったり、全国のスポーツ教育イベントでもまだ
開会式でナチス風に右手上げポーズとかしてた気がする >>253
「雪列車」は不朽の名曲
ヒスノイズやワウフラやダイナミックレンジの劣悪さと比較的無縁な環境になって、あらためておもう ガロ → ミカバンド → サディスティックス → YMO
正直凄すぎ >>254
それが短絡っていうもんなのね
学生運動華やかりし頃
学生運動がアイドル追っかけコスプレレベルだった時代
それが泡沫の夢だったと悟らされたあと10年後だ
おまえ短絡 >>256
ガロはね
業界的には失敗なの
あの大なんとかいうやつ
いつ発ヒットでふんぞり返って
堺正章とか先輩を顎であしらってたのに
あと続けられず終わった >>256
ガロの「ロマンス」なんて調べてみたらレコーディングメンバーではないみたいだけど、やれと言われたら全くおんなじフレーズステージで簡単に繰り出す感じあるもんね >>238
同じく
Twitterとかsnsでいつも犬の写真とか上げてくれてたから、、
ふっと時々、昨日から寂しくなる時があるわ
>>236
浮気なぼくらって今聞くとかなり良いよね
音が全体的に豪華で、当時かなり作り込んであれがその後数年の歌謡曲に反映されてたんだろうなって思う >>252
何度も書かれてるけど
オレはビートニクスが
どんな歌よりもほっこりきて今でも好きだな
ソロよりこの2人が不思議なくらいにあって >>83
詳しい人?
ユーミンのこの雨音は~のドラムが幸宏さんっぽくて好きなんだけど違う人かな?林さん?
https://youtu.be/e67cIcpX6GM >>260
アーティストは多かれ少なかれ女好きか同性好きだろうけど、YMOの場合は教授が凄過ぎて目立たないよなw >>258
おととしくらいのカラオケバトルに出てきて
その時平謝りしてて
堺から「ね わかったでしょう」とかいわれて >>200
このドラマ最近も再放送されてたよね
OPの変な民族音楽がおどろおどろしいっていう
そういやよくNHKとかのあの頃の日本的な映像で
ライディーンをバックにインベーダーブームの映像とか作られるけど
まさにインベーダーブームの到来ともシンクロするなあ
駄菓子でちびちび使ってた100円がインベーダーにあっという間に吸い込まれたが
当時はアレを体感しとかなきゃいけない義務感すらあった
YMOへの接し方もそれに近い >>257
フォークでいうと「自衛隊に入ろう」なんて曲歌ってた人も今世紀に入って大震災後の作業に従事する隊員たちへの感謝の辞が飛び交う空気になったあたりで「あれはああいう時代だったから」みたいなことを言ってたぐらいで、簡単に割り切れる話でもなさそうだね
作られたときのクリエイターのおもいがどうであろうと、後世の人も、そう簡単には“文理解釈”してはいけないメッセージ性を帯びるというか >>266
みんなすごいなぁと思う
オレその一回の100円がだせなかった
友達がやってるのをみるのが精一杯だった 楽器の練習をしなくてもいいのがこいつらの売りでしょ?
いつまでありがたがってんの?
インベーダーゲーム最高!!!って言ってるみたいな時代錯誤を感じるが >>267
その書き方も短絡野郎には逆で取られかねないわな
自衛隊にはいろうってオレ去年はじめてまともに聞いてわらったわ ファンがオタク気質のいいとこの子ばっかり
漫画家の植芝理一がYMO好きで、ページの余白やおまけページで小さい字でズラーと語りまくってるのが「いかにも」って感じする >>270
それは違う
テクノポップ3バンド絵描きですプラスティックスや演劇やってますヒカシューとかなんか知らんけどPモデルとかそっちの売り出しコピーだ
YMOじゃないのがわからないのがやっぱり短絡おおいんかなー >>272
それだけ見ればそう見えるんだよ世の中は >>273
テグスぎらぎら釣り針極太なのに、よく食いつけますね >>268
駄菓子屋に設置された時
みんな交代で恐る恐るやったなあ
そのうち下級生から100円まきあげる悪い子供まで発生したw >>266
そもそもインベーダーブームに触発されてYMO作った
ただ3人ともコンピューター音痴なので松武くんがフォローした >>277
AFN聴いてると、未だにごくごく稀にだけど「コンピューターゲーム」かける人いたりする >>277
そんなネタを再配布するなよYMOは細野3部作からの流れの細野プロジェクトだっただけ最初は
受けたから固定化しただけ およそ55年前からの一番付き合いの古いユーミンはコメント出してないけど元々あまり追悼コメント出さない人だね。
でもラジオでは語ると思う。 YMO一枚目があんなに「歌もの」あるのに
どこでインベーダーゲームに触発されたを信じるんだよ >>20
なんでお前はこのスレにいるんだ?
そんなに気になって仕方ないか?w >>279
細野「僕は策略家みたいに思われているけど売り込みや企画は別の人」 最初にウケた東風には歌こそない
メロディが中華風とはいえあれが古風でうけてたのがうちのばあさま
インベーダーゲームじゃない
島倉千代子だった >>285
だからリズムってのはドラムだけが作るんじゃないのね
クラフトワークも普通にメロディのシーケンスでできる
なんならホワイトノイズで音程なくせばそれこそパーカッシブにドラム的になるだけ
古い知識で見た目で分析する時代じゃないのねもうあの時代 >>253
いかにも老いぼれな文体マジで気持ちわりい
消えとけや独居老人w >>285
だからその機械があったからどーこーじゃなくてムーグ敢えてムーグでできるのねリズムなんて
ドラムの必要はないわけ
バッハのインベンションはなにで乗り出してると思う?
オルガンだけ
ピアノだけだよ >>289
アホ
なんもわからないんだなおまえさすが短絡 >>289
とーゆー書き方特に女の短絡野郎なんだよな
男じゃないんだよな
どーして女は視界が狭いんだろーな
広いやつもいるよ
しかしこーゆー反応するやつは決まって女だ >>270
むしろ練習の産物がYMOだよ
幸宏も音楽理論ちゃんと勉強してない
ドラムも独学だから基礎からみっちりやった人ではない
細野さんはYMO結成時でも楽譜が書けない人で教授に驚かれた >>291
しかしYMOは安全地帯とかCCBの裏方やってる側の人達の遊びだったんだからな >>292
誰に絡んでやがる魯鈍
痴呆で脳も記憶も腐れてんだろw >>294
風狂でいいじゃないですか
初期の2ちゃんを彷彿する
気に入らないなら黙ってあぼ~んすりゃいいし >>294
メスがお前に絡むかよw
しかも女で野郎?マジでイカれてんだろお前、クソ食って首吊れバーカ >>172
6個下だけど、小学校で強制的にライディーンを浴びせられたクチだわ
掃除の時間を思い出す
高学年でバンドブームが来てからは掃除の音楽がリクエスト方式になったけど そもそも細野さんって売れないプロジェクトを始めては壊す人で
はっぴいえんどもソロも全然売れてない
YMOも当初の目標は「海外でファイアークラッカーを300万」という本気なのか冗談なのか分からないもので
日本国内でヒットするのは全く想定していなかった しかも細野が楽譜読めないって坂本が言ってるレベルは
おまえらが楽譜読めないレベルじゃないから >>304
楽譜って読める読めない以外に何かあるの? >>304
だって飯食うのは別にあるから
好きなのやりたいんだもん >>300
譜面ダメでも売れるジャンルはある
ただバブルガム・ポップ扱いで評価はされないんだよ
ビートルズだってジョージ・マーティンがいて弦やホーンなど手配してくれたからああなれたし
モータウンなんかもクラシック畑のアレンジャーが手掛けたストリングスが売りだった
YMOも坂本龍一のアレンジ力、綿密に組み立てられた和音がメロディを引き立ててようやく形になるのであって
幸宏や細野さんは基本的には鼻歌メロディしか書けない
RYDEENも幸宏の鼻歌に教授が和音を付けてアレンジして、ああいう曲に仕上がった 伸びてるな〜と思ったら
マニアが何レスもしてるだけかwww >>312
楽譜読める時点でなんらかの解釈もあるでしょ >>308
書ける書けない
そもそも細野晴臣の作品は洋楽の日本語訳、パクリの産物でオリジナリティは皆無
耳コピの達人がプロになったタイプで、日本には結構多い(小室哲哉も全く同じで楽譜が書けなかった)
でもそれだけじゃインディーズ止まりなんだよ
小室哲哉もアレンジは結構スタッフに頼ってた
実は音楽って昔から作曲家よりアレンジャーの技量の方が重要で、売れる売れないもアレンジで決まる部分の方が多いのよ >>36
それ初耳
ユーミンはお兄さんの追っかけ
学校から帰ってくるといつも家にユーミンがいた
ってのは何度も聞いたけど、追っかけの家に行けるユーミンスゲ~ >>311
ジャンルじゃないよ
譜面てのはコミュニケーションツールの一つ
西洋クラシック的な
だからクラシックで音楽やってきたやつらの共通の絵ってだけ
それ以外の人たちにはまた別のコミュニケーションがある
それを理解しないと
だからあんたが「鼻歌メロディしか書けない」と表現するそれがなぜ「しか」なのか?
歌は歌自身が本物
楽譜はそれを西洋クラシック技法で書き記しただけ
その時点で歌の色々な要素はなくなり簡略化される
昔はそれしかリモートで時間差で伝える手段がなかった
いまは録音すればそれはそのままホンモノ
録画すれば表情までわかる
譜面にしていろいろの要素をなくしてしまう意味がどこにあるのか?
ない! >>296 CCBは年代がちょっとあと、YMOブレイクの数年後ぐらいに
はやりのテクノポップサウンドを取り入れ、作詞作曲はプロ作家が作った曲でヒットした感じだったな
CCBで一般人にとって斬新だったのは多分、ドラマーがマイケル・ジャクソンとかみたいな?
ヘッドセット型のマイクをつけて叩きながら歌う事
ユキヒロさんも叩きながらも歌えただろうけど、当時子どもであんまり記憶がない
横においたスタンドマイクで歌っていた映像は見られた 20年のオリンピックでは開会式出る予定だったのにコロナで残念 コンピュータができていまや音がそのまま記録される
なぜ譜面にするのか?
さまざまな要素がなくなって抽象化されてしまう
意味ない >>318
ドラム歌は
その直近なら
イーグルス
カーペンターズ
その前にザ・バンド
別に特別じゃないよ 日本ならその後稲垣潤一はそのタイプ
でも日本は前に立って歌うよう言われる
ハーモニーも小さくされる
主旋律だけ音と映像で目立つように >>319 そうなんだ
メンバー3人とも東京出身で、解散後も結構何度も再結成してライブしていたようだからぴったりだったのにな…
10数年前にまたロンドン公演とかもしてたのね ライディーンやテクノポリスが運動会で流れた80年代だけど、
俺はもっと特別な体感を覚えてる
なんかその日は小学校で夜のイベントがあり、暗くなってきた前段階でテクノポリスが流れた
「TOKIO」って声が機械音だし暗くなってきたしやけに爆音だし子供の俺には感覚として「怖い」と感じた
あの時体感した「怖さ」がそのままYMOのイメージとなった
ああいう体験ってロックの原初体験みたいなもんはんだと思う YMOのリズム講座の動画あるけど、あれを正しいと思ってる奴がいるってのが日本の音楽観の現状を表してるんだよなあ >>315
音楽は言葉
言葉は継承
みんなが同じことを理解してのコミュニケーション
音楽も前の言葉を話すからこそみんなが聴いてくれてる
みんながわかる言葉で話してくれるから受け入れてくれる
それをパクリというのはその前に似たものを聞いたと言ってるだけ
その前の前があったことは知らないから言えるだけ
じゃあ聞くが
これはパクリでは絶対にないというのがあったら一つでいいからあげてみ?
それも絶対パクってるから >>323
植田芳暁とかアイ高野とかマモルマヌーとか >>322
YouTubeが始まって間もない時期カレンのドラム動画漁って堪能しましたけどね
スレ的にはほとんど関係ないもんで恐縮ですけどS.Gaddのこんなの見つけたときは感動した
Steve Gadd: Cissy Strut (The Studio Band Of The US Army Field Band, around 1970)
http://y2u.be/yzFWSYFX4J8 >>322 日本だと石原裕次郎の映画の印象がある、自分はリアルタイムではないけど
ただ、当時の歌番組に普通に出てきて生歌でドラムもって人があまりいなかったかも
ライブとかでは見られたかもしれないけどね
ゴダイゴのドラマー、トミーも歌えるが、バンドのリードボーカルではなかったし… 紅白で林立夫がユーミンのバックでドラム叩いててのにね >>111
この版権エピソードは何度も聞いたわ
コメントでエリッククラプトンのこぴーだから、って書いてる外人いるなぁ 『…Only when I laugh』を聞いたときは
本気でファンやめようかと思った 譜面も読めずDJ感覚で音楽を作る人は
型にはまらない自由でとっ散らかった面白いの作るな。
音楽理論バッチリ頭に叩き込んでいる人は
カチッと型にはまった素晴らしい音楽しか作れない。 髭男の藤原聡はすんげードラマーなんだよ
ミックスナッツはその片鱗がでてる
あれレコーディングでは叩いてるんだよ
他2人計3人がアディショナルドラマークレジットでそのアディショナルの筆頭が聡
アディショナルなんだが実はあれこそ髭男結成前の聡だよ
髭男好きなんだよな
ジェフベックのブルーウインドもヤンハマーの叩くドラムを聡はやってたんだよ
還暦オヤジたちのバンドのドラマーとして
米子島根界隈見過ごせねー ジェフベック追悼スレでも“JB”と表記する人がいるけど、どうしても先に思い浮かぶのはジェームズ・ブラウンだ >>315
作詞作曲は誰でも出来るが編曲は専門家じゃないと無理だからね 何をしてもかっこよくて優しい眼差しのユキヒロさんが大好きだった
悲しい スタジオミュージシャン時代の参加作品
矢沢永吉「時間よ止まれ」他
作曲の代表曲 ライディーン他
メインボーカルの代表曲 君に胸キュン、以心電信他
海外ツアー ミカバンド、YMOで多数
勝手にまとめるとこんな感じか
詳しい人はもっと追加するだろうけど >>338
そのバッチリってのが認識間違いで
音楽理論てのはそもそも
文法と同じで
世の中で定石なものを後付けでまとめたもの
後付けだから遅い
流行りなんてのはそんな中からは生まれない
昔流行ったものを経験なくても早く知るための道具が理論
理論とかいう呼び方が偉そーなだけで
定石集でしかない
しかも西洋音楽の譜面は鍵盤
だから白鍵以外が#♭
これ鍵盤以外じゃ関係ない
しかし鍵盤中心
かのショパンも初心者はBから始めろといってる
全黒鍵だよ
しかしそのほうがカンタンなんだ
ねこふんじやっただ
黒鍵のエチュードだ
楽譜から教えると本当の音楽を見失う
それ以前に嫌いになる
楽譜は害多し >>343 ピンクレディー、中原理恵、ラジ、伊藤つかさ、スーザンなどなど >>1
幸宏さんの隠れた?名演と言えば、ピピ&コットの「野菜が食べたい」
https://youtu.be/pCB-GsNzv40 多才で軽妙洒脱な一面もあって、あと空気次第だったけどYMOは三人とも周囲からいじられると反応がおもしろかった >>343
時代って認識がおかしいんじゃね?
それはミカバンドをどう位置付けてんのよ >>3
中国女は最高だぞ
高橋がボーカルで歌ってる >>341
その編曲がクラシック演奏家に対する指示ならその通り
そうでないこともおおいから全体的にはそうではない >>238
去年の誕生日写真から嫌な予感はしてたけど、実際に聞くと力が抜ける
昨日はサンストのユキヒロがゲストの回を聴いてた
What me worry?リリースのときの >>260
そうか?
打ち上げでも女はステ坊のグルーピーしかおらんかったぞ >>343
NOKKOの「やさしい雨」も是非追加してくれ >>347 ありがとう へー、ピンクレディもやってたの
そういえば前のスレで、山下久美子のヒット曲、赤道小町ドキッも上がってたな
作曲が細野さんなんだね >>343
時代じゃなくてスタジオミュージシャン仕事にすればいいね 直接の死因は誤嚥性肺炎だとして、この半年は何に患っていたんだ?
脳腫瘍は手術完了してたんでしょ?去年6月に。
(´・ω・`)??? >>341
最近はコンピューターで編集出来るので、譜面も読めないピアノも弾けない編曲家もいるらしいね >>357 あー、YMOを結成してブレイクしてからも、ほかのアーティストのバック演奏をする事もあったからって事か、なるほど >>350
お前いちいちうるさい
なんで全部自分が正しい前提なの?
一つにまとめて書けや 音楽殺人
what me worry?
薔薇色の明日
Wild and moody
までが好き
once a foolからは買ってもあんまり聞かなくなったわ
英語でお手軽に歌ってるユキヒロのほうが好きって近田春夫が考えるヒットで書いてたけど,その通り >>361
なんでミカバンドがスタジオミュージシャン時代なの?
???? >>359
関係ないよ
昔からコード指定して演者のスキルに任せるのがコンピュータに置き換わっただけ
スキルある演者がコンピュータのリフ貼り付けに変わった
ピアノ弾けないとか昔から
だってピアノ必要がないならいらないじゃん 誰も言わないけどなんだかんだいって、
タバコが原因だろうな
若い時から吸ってると70ぐらいで死ぬのはめっちゃパターン >>358
そういう病気だよ
摘出しても殆どが一年程度で亡くなってしまう
身体の麻痺が進み認知機能も低下していく
誤嚥したのも嚥下能力が低下していたから >>362
だいたいおんなじで今世紀に入ってiTunesが始まったときBLUE MOON BLUE見つけて買ったぐらいかな
とっても気に入りましたけど
近田春夫は、あの人の話も楽しいよね
ANN2部やってたときから好きだった >>363
だからそれ譜面中心の視点だろ
分析ってのはそれぞれ違うの
西洋クラシックだと譜面用語に持っていく発想だからそういう視点になっちゃう
カルチャーが違う
じゃそーだなー帰ってきたよっぱらいを
アナリーゼしてみ? 景山民夫とやってたオールナイトニッポンよく聞いてた
これで二人とも亡くなっちゃったな >>367
そうか。それはつらかっただろうなあ。。。(´;ω;`)
R.I.P. ユーミン、山下達郎、細野晴臣
の追悼コメント出た? 教授がすぐ後を追いそうでこわい
細野は長生きしそう >>376
達郎は来週のサンソンだね。今日明日に録音だろう ボクはゆで卵の殻の剥き方一つで
その人の性格が判る!とか言って
笑わしてくれてたなw
そのビデオのエンディングでは自転車漕いで
枯れすすき?を刈に行くw >>379
日曜日の放送聴いてたらジェフ・ベックの追悼してた >>381
坂本龍一の追悼にならないように選曲するのが難しい ロックやってたやつらがどんどん亡くなってるな。
やっぱロックは身体に悪い。 >>384
長生きしてるじゃん。ドラッグやタバコやってるやつが健康体。 >>264
確かにYMOは3人とも婚姻関係外の恋愛がお盛んだよね。
細野さんとコシミハルずっと続いてるんでしょ? >>386
ずっとってんなら恋愛じゃないな
事実上だ >>371
景山民夫って50才で亡くなってたんだね
追い越してしまった >>386
細かいこと言うと法律縛りってのはカネの喧嘩になって骨肉の争いとかにならないよう事前に申告させて裁判とかで第三者の判断をしやすくするためのものでしかないんだよ
かねもってていくらでも子供からせびられても困らないなら関係ないわけ
伊藤博文含めて日本の実力者ほど姻戚外は当たり前だったろ
江戸以前からも
そんな法律だけど下流には神からの啓示のように言い聞かせて税金取られる手段なだけよ
倫理とかほんとはカンケーねーとか法律作ってる側の方こそ思ってるから好き勝手できてんだよ
あんたが公務員ならそうじゃないと言うだろうが 誤嚥性肺炎は体力なくなった人の最期という感じ。教授に筋肉とまでいわれたあのユキヒロさんが
どうぞ安らかに >>371
ニッポン放送アーカイ部@JOLF_archive
元・YMOの #高橋幸宏 さんが亡くなられました。#ニッポン放送 では1983年4月から12月まで火曜深夜に「高橋ユキヒロのオールナイトニッポン」として、
#オールナイトニッポン 55年間の1ページを彩られたパーソナリティでした。
謹んでご冥福をお祈りします。 #ANN55
https://pbs.twimg.com/media/FmgBa-qakAAasj3.jpg
午後5:37 ・ 2023年1月15日 >>390
おじいちゃんと暮らしたことないでしょ
あなたw >>390
91年のコシミハルの「父とピストル」ってアルバムに「正式な愛人」って曲が収録されてるよw
ミハルさん31歳、細野さん44歳の時だな
あれだけ長年、もう40年ずーっと身近で緊密に一緒に仕事し続けてるし、ミハルさんは実は細野さんのスタイリストもしてる
愛人やら何やらを乗り越えた家族以上の関係だろう
ただ遺産相続問題があるからそこはきっちりしといたほうがいいな 高橋幸宏の最初の妻は友人東郷の妹 恵美子(エータン)な訳だが、
中原理恵との不倫発覚で離婚した後どうなったかと思い調べたら、
なんとこれまた高橋幸宏のイギリスの友人ビル・ネルソンと
再婚してたとは知らなかった。近いところで融通しすぎやろ。。 考えてみたらアルバムで好きなのサラヴァだけだわ
恐らくファンのメイン層だろうテクノおじさん達とは俺合わないな >>398
そんなに年齢差ないんだね。40才近く離れてたイメージww >>386
ラジオのゲストに出てたぞ
あなた腰が痛いとか言ってるでしょって
年寄り扱いしてた >>400
なんやかんやでサラヴァが一番聞きやすいし
どの曲もムードがあっていいよね >>399
ジョージハリスンの妻だった美人モデルのパティだっけ?
ジョージのお友だちのエリック
遊びに来てたからね
そんなの世の中当たり前に >>396
友部正人さんの1975年のアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」のジャケットらしい タイタニック号生還者である細野さんの祖父って鉄ヲタ夢の学府で教鞭とっていたのな >>399
エータンの再婚は離婚からかなり経ってたはずだけど、親交ある海外ミュージシャンと再婚ってクリス・トーマスとミカを彷彿とさせるね。 >>392
https://www.uk-charts.co.uk/index.php/charts/1980-s/204-1983
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002768.000005875.html
ぎゃあwwwwどんだけ懐かしいタイムテーブル!
当時幸宏さんは全英チャートヒットをよくOAしてたわ
Howard Jones、Kaka Goo Goo、Spandau Balletなどなど
自分をYMO散開後全英チャート沼に沈めたのは紛れもなく幸宏さんだった
あと、当時YMOのジャケ写とか撮ってた『トシ矢嶋のロンドンレポート』とか『鶴亀フィッシングクラブコーナー』とか好きだった >>400
テクノおじさんとは合わないとは思うけど
Sravah!の音はYMOと直結しているよ
細野のコチンムーンも坂本の千のナイフもね >>408
そうだ、エータンという愛称の前妻だったね。
ところでユキヒロ、幸福の科学信者って本当なの?
高橋幸宏 幸福の科学で検索すると、景山民夫や桑原茂一の名前も出てくるのだけど…
ただ単に冊子に寄稿しただけなのか、信者なのか… >>411
老衰かもね
頭の大病やっちゃうと一気にくるから 「大きなスピーカーからふわっと空気の圧を感じますよね、あれが音圧です」
ってトンデモ説明を昔どこかでみた気がする
確かYMOの人 >>403
あれ本当にいいですよね
俺ボーカルとオケを新たにリミックスしたサラヴァサラヴァも購入しましたから 意外とその天才ぶりは認めてる人が多かったとおもう
合掌です。 >>213
俺はスネークマンショーや小林克也も好きだった
批判はあまり聞いたことない
今聴いても面白くないのはわかるよ そもそも当時も批判されていたんならあんなに売れんだろ >>420
俺の祖父もそれで逝った
頭ボケると免疫力も著しく低下するからあっという間に肺炎になる >>413
まったくの独断と偏見だけど桑原茂一にそんなイメージ無いな
影山民夫もあの人は警察官僚の息子だったかな、うろおぼえだけど、しかしあんな時代だったから軍事的なものに反感があったらしく防衛庁前でプラクティカルジョーク仕掛けたりする様子がエッセイにある
もし存命だとしてもここ10年あまりの幸福の科学に同調してたかどうか そっか景山民夫もANNに入ってたか。
テコ入れで三宅裕司率いるSETが入ってきたのは覚えてる。
ちょうど受験生だったから聴いてたんだけどね。 マルチプライズって急激に盛り上がったYMO人気に対応するため
次のLPリリースまでの場繋ぎとして半ば臨時に作られた企画アルバムだからな。
曲も足りないのでLP化できず、あのサイズに落ち着くという。 >>415
音の大きさには「音圧」や「音の強さ」、音の高さは「基本周波数」、音色は「周波数特性」という物理的な音の特徴におおまかに対応づけることができますが、じつは、これらの関係はかならずしも単純ではありません。人間の聴覚によって知覚される心理的な音の特徴は一種のバイアスがかかったものになっており、機械によって測定される物理的な音の特徴とは完全に一致しないことが知られています。
人間の聴覚は周波数によって感度が異なります。振幅が同じでも感度が低い帯域の音は小さく、高い帯域は大きく聞こえます。音の大きさとはこうした人間の聴覚の特性を考慮することが重要です。 >>311
> 細野さんは基本的には鼻歌メロディしか書けない
嘘をつくなよバカ 当時セガのスーパーロコモーティブってゲームが好きで、メインテーマのライディーンを死ぬ程聴いたわ。テンションがスゲー上がる。 >>413
それは勝手に降霊とか名前使われただけで抗議したとか記事あったね
仲良しの影山民夫はガチ信者だったけど、、、 SSSから増殖までの間に坂本と高橋がソロアルバムをリリース
それらのアルバムはおそらくYMOほどは売れなかっただろうがよくアルファは許したな >>407
鉄オタというが実は鉄道と音楽は密接な関係にある
MITの工学部に留学してたのがのちNHKの前進やらでアメリカンポップスを日本語語詞つけて流行らせた日本流行歌の父の一人堀内敬三
蒸気機関が音楽の動力だった時代があるんよね >>337
あれは酷かったな。坂本がまったく関わらなくなった途端に >>431
そうそう、民夫はガチみたい
ユキヒロと茂一さんはそうでないと思いたい >>432
アルファはYMOで自社ビル建てたんだよ >>395
ユキヒロタカハシとかアパレル何個か立ち上げてやってたよ あー、だから誤嚥性肺炎で亡くなってしまったのか
合掌 前スレのこれ読んでアフターサービスの赤盤が人気がなく
プレミアが付かない理由がわかった
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1673779797/172
ライブ盤の中では一番盛り上がっていていいライブなのに残念だな
>>182
テクノドン名盤なのにもったいない
自分後追い(かなり遅い)でテクノドンが
最初に聞いたYMOで思い入れもあって好きなんだよ ローリングストーンアメリカ
ピッチフォーク
海外大手音楽メディアも高橋幸宏訃報を報道
あと意外なとこではハンス・ジマーが幸宏を意識していたとの証言が
前島秀国氏
「ずいぶん前にハンス・ジマーに取材した時、「ユキヒロさんに会うことがあれば、感謝を伝えなければいけないなあ。『ブラック・レイン』の音楽は、幸宏さんの衝撃的なドラムにインスパイアされたから」と言っていた。我々が考える以上に、偉大な存在だったと思う。
#RIP #高橋幸宏 #YukihiroTakahashi」 今日から俺もユキヒロにあやかってファーストネームだけカタカナにするわ >>435
景山民夫は有名だろ
笑っていいともとかでも旧知のタモリ相手に幸福の科学の話をずっとしてた >>439
だから「弾いてるふり」ってのは誤認だって一杯レスがついてたのを読んでないのかい?
坂本がマイナスワンテープを作ってそれを再生しながらも各メンバーは各曲何かを生で弾いてはいたよ
幸宏はボーカル専念曲もあったりしたけど
↓
220 新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで 2023/01/15(日) 21:16:38.19 ID:92gKFu6Y0
>>187
テープ使用というなら1981年のウインターライブからそうだよ
1980年まではステージ上でリアルタイムでローランドMC-8という最初期のシーケンサーを動かしてたが当時の機材では安定度が低く
(というかメーカーのローランド自身がスタジオ以外のライブでの使用方法なんか想定していなかったので熱暴走などの問題があった)、
ウインターライブからはシーケンスフレーズをやバックトラックの一部をテープに事前録音し再生するようになった
1983年の散開ツアーでは各メンバーが生演奏するパート以外の音を入れたライブ用トラックを坂本が事前に作って、それを再生してそれに合わせて生演奏した
>>172の言うような弾いてるふりなんかは別にしてないぞw
坂本は主にコードバッキングやソロを、細野は生ベースと時々バッキングトラックを、高橋はシンドラ以外にキーボードをたまに弾いてた(邂逅のイントロのベルみたいなフレーズとか) >>432
YMO活動期と並行してリリースされた御三方のソロアルバムはどれも好きで今でも聴いてる。 テクノデリックのアナログ盤のジャケットコルホースの女だったら超絶名盤になってただろうにもったいない >>426
パブリックプレッシャーも似たようなものでは。
既存のライブ音源を継ぎ接ぎして、ギターをカットして、キーボードー音源を被せてる。声も被せてるらしいし。 >>192
65年だけどいま思えば厨坊の時に出会うモノと言うのは人生にとってデカい
中3の春の公的抑圧は忘れない おいおっさんども
YMOの音楽界への功績とやらを教えろい >>440
ハンス・ジマーは映画のサウンドトラックで有名になる前はスタジオミュージシャンだった。
テクノポッブ風味の大ヒット曲バグルスの『ラジオスターの悲劇』PVで、演奏してる姿が映ってる。 >>425
本編の内容はほぼ覚えてないが本編と本編の間にテクノデリックの曲を流してたので曲はかなりの頻度で聴いてたと思う。 新時代のサウンドは完全にYMOだね
特にドラムのノリが >>452
音楽だけじゃなくて幅広いカルチャーを生み出したことが一番大きいと思う
昔、カルチャー雑誌のスタジオボイスが「YMO環境以前・以後」っていう有名な特集を組んだけど、音楽だけでなく、アート、クリエイティブ、出版、ファッション、テレビ、映画、DTM、思想、あらゆるジャンルの人脈にYMOシンパみたいなのが生まれて、ジャンル横断型のパルコ西武カルチャーみたいなのが生まれたのもYMOがトリガーといえる
だからメンバー本人たちも扱いきれない巨大な存在になってしまったわけだけども
小室哲哉がTMNリニューアル宣言を記者会見した時に「自分たちはYMOみたいに時代のカルチャーになりたいんだ」と力説してたが結局そうはならなかった
それで小室はTMを解散してとにかくひたすら枚数を売って時代に名前を残すという方向性にいったと思う
彼なりのYMOに対するコンプレックスの昇華だよね
事程左様に、YMOは単なる音楽バンドではなく、様々な先端カルチャーのクリエイターが交錯するカルチャーの触媒のような存在だった
そこが単なる凡百のヒット曲音楽バンドとの違いだろう once a foolは、中学校の時にに買って死ぬほど聞いた。
あれから30年以上経ってるけど、全然古さを感じさせないよなあ…
名盤だわ テクノポリス 大好きや
グリオーマだったか
赤外線治療やウィルス、遺伝子治療の迅速な実用化、応用が待たれる JAPANのスティーブ・ジャンセンtwitterでも追悼しとった
yukihiro takahashiという文字は無くともおそらく剣道着でのツーショット画像とともに 勇者ライディーンを見ることに決めた
最近富野アニメをザンボット3からZガンダムまでUNEXTで見てきたんだが
ライディーンを見ていないことがずっと後ろめたかったのだ >>192
「昭和40年男」という雑誌まで出ているくらいで
1965年生まれ前後は日本の一番輝いていた時代と
ぴったりシンクロしてるんだよ YMOで幸宏が1番金に困窮してたと聞いたことがある
バブル期かそれ以前にアパレルや親の会社がらみでお金借り過ぎたのかな、、 >>39
うん
あと3人の声が重なったときの破壊力 >>457 つのだひろ 1949年生まれ 73歳
大口広司 1950-2009 58歳没
ユキヒロ 1952-2023
1番年長のつのだが踏ん張ってる状況か >>315
友達、音楽仲間として付き合ってただけだよ。 >>462
スティーブが少年時代、ロンドンのハマースミスオデオンで、ロキシーミュージックの前座でイギリスをツアーしていたサディスティックミカバンドを生で見て、その時の幸宏のドラミングに憧れて彼はプロドラマーになったわけだからな
歳は7歳離れてたけど、前世で兄弟だったんじゃないかというくらい気が合ったソウルブラザーがスティーブ
二人の歴史を知る者から見ると泣けて仕方がない >>452
電子楽器と多重録音を一般化した
メンバー自身でカルチャーやファッションまで深く言及するバンドだった
YMO以前にそういうバンドって日本にあったのかな WINTER LIVE行った人とか若くても還暦だろうな。1970年生まれだが散解前には生で見れなかった。 >>466
2009年に自殺した
加藤和彦も見栄っ張りで
億円単位の負債抱えても
生活レベル落とせず
ブランド品買いまくり
贅沢三昧した挙句
軽井沢で首吊り。 多重録音の一般化は1979年にTEACが世界初のカセットMTR「144」を発売して
それが大ヒット商品になったことが大きい >>462
スティーブ・ジャンセン
I have no words but I am so lucky to have a lifetime of incredible memories courtesy of this one special man whose radiance filled my life with only wonderful things
~love forever
言葉もありませんが、私の人生を素晴らしいものだけで満たしてくれた特別な彼のおかげで、一生分の素晴らしい思い出を持つことができ、とても幸せです。
~永遠の愛
https://i.imgur.com/7gtjS83.jpg 高橋幸宏は携帯の着メロ印税で
10億円は稼いでるよ Twitterのタイムラインまだ幸宏さんだらけ愛されてたんだな >>479
NECの500シリーズとかにプリインストールされてたもんな
一体全国の携帯でどれだけ再生されたのやら
あれの印税はすごかったと本人も言ってた
子供もいないしトノバンほど派手な暮らしでもないし、金は十分あっただろう >>458
そういう評価の仕方嫌い
幅広いカルチャー云々は同意はするけど
YMO がすごかったのはやっぱりあの音を残したことだと思う
音楽家として優れていたからこそだ >>484
わかる、ほんとアルバムごとに違うし曲がすごい >>477
だけどあれ使えば使うほどS/N比どんどん劣化していくんだよね
教授と中田ヤスタカがあれはStereo Soundだったかな
対談したときもそういう話をしていた >>484
音楽自体が良かったのはもちろん大前提でしょ
その上でカルチャーになったのがやはりでかかった
洒落だけどYMO神社とかあったしなw
カルチャー環境への影響に言及しないとYMOを多面的に捉えたことにならない やっぱYMOのイメージが強いか、サディステックとかソロもあるけど ymoって後藤象二郎の末裔の
川添象郎がスポンサーよね >>476
加藤和彦の事を言えば
安井かずみと2人
そういう贅沢な生活で満たされたいたから
後半あの音楽を生み出せたとも言えるので
あれはそういう暮らしをしていないと作れない音 >>487訂正
Sound Recordingだった 海外のアーティスト並みの追悼の多さよ、愛されてたなユキヒロ >>477
いやいや
多重録音ってのが流行ってたからTEACがそれ目当てで出したわけで
144が大ヒットしたことが多重録音の一般化をさせたわけじゃないよ
多重録音がやりやすくなっただけだ 当時は英語ボーカルってあんまいないから尚更強烈だった。すげぇなって思ったね。 顔と名前一致する程度
どういう歌手かは全くしらない >>452 世界の中での音楽ってものを意識して、海外にも影響を与えられたり、アルバム作って聴かれる音楽を作ることができた感じかなぁ
マイケル・ジャクソンがカバーしようとしたり(権利関係で販売されなかったそうだが)
インスト曲が多めで、最新機材を使い、熱くガンガンねちこく泥臭く盛り上がるんじゃなくて
クール気味でオサレ感のあるサウンドを作ってた(当時の印象ね)
そんで、当時もう大人のメンバーがさらに後年、歳食っても演奏できる曲でもあったりで
一度解散(散開)したあとの再結成も結構やれて、ファンを喜ばせていた
再結成で、おじさんになっても海外ツアーできたバンドとか日本では珍しいかと?
売り込みかけるためにまず一回なら結構あるけど。 >>492
海援隊 節子への手紙
編曲 演奏・加藤和彦とサディスティックス
https://youtu.be/6aNpeF-55g4 >>500
ゴダイゴから復活してるよ
75ねんくらいかな
60年代にはたくさんあったから
それほどのじゃない
J-POPはアメリカの訳詞からだから
他にフランスのシャンソンもありーの
ラテンもありーの
たくさんあったらしいよ みなさんどうやってこんなマイナーな歌手の情報仕入れてたのよ >>507
川添象郎
エグゼクティブディレクター
有名じゃん >>494
上流階級が文化のパトロンになるという古き良き習慣の成功例だよね
川添さんもYMOやユーミンとの関係は
今はあまりそういう話は聞かないな >>487追加訂正
二重に記憶ちがいあったかもしれない
たしかあれは単なるダビングの話だったとおもう
あの雑誌捨てるんじゃなかったな >>502
それは日本がバブルで経済的に世界をリードできてたと言う背景はでかいよ
ちょっと前の中国みたいなもの
日本と付き合うとカネになった時代だから
そんな時代背景があってのカルチャーまでいったからそれこそPOPカルチャーだけどね
日本史に刻まれるくらいの現象のなかに彼らはいた
幸運にも >>509
後藤象二郎って日本で初めてルイヴィトンの顧客になったとかで
徳川慶喜と >>491
YMO神社あったねえ
あとYMO を聴いて自殺するのをやめたっていう都市伝説みたいのあったじゃん
あれあながちデマでもないんじゃないかと思う
多面性じゃなくて本質はあの音楽だというのは同意するよね
それならいいよ 日本のバンドで初めて欧米にまで圧倒的洪水をもたらした。
世界を熱狂させた歴史的快挙。
ymo
Yukihito
sakaMoto
hOsOnO >>495
トノバン、安井かずみに先立たれて彼女の印税や遺産だってあっただろうに。
中丸三千絵と離婚してからも世話をする女性が最期までいたそうだから、見栄っ張りだったんだろうな。 良い音楽。良い文化を作るには金と時間がかかるんですよ
商業音楽の世界的な衰退はその辺に原因がある レコードを漁ってたらパリコレ用のアルバム、La Penseeを発掘した。 幸宏で思い出したけど川崎徹は元気してるのだろうか? >>510
アナログはそれあたりまえだから144とかの話じゃなくて
ビートルズだって同じやり方の4chだった YMOはメンバー全員が重病を経験してるよな、テクノサウンドは身体に悪いんだよ ABCのデイビッドパーマーがYMOと仕事するためにABCやめてきたのは凄いと思った。 メンバーの坂本は、ピンでもその後、映画音楽などで世界進出、アカデミー賞までとってるしな
バルセロナ五輪の開会式だか閉会式?の音楽監督に招かれたり
YMOやりながら世界のサカモトになってしまった
だからバンドの形としては短いのはそうなんだけど、その割に作品はインパクトがあった
ドラムについてはあんまり語るほど知識がないけどw やっぱりちょっと複雑でオサレ感あるのは
アレンジが凝ってるんだろうね
いわゆる普通のJpopで、キャッチーなヒット曲はたくさんあるが、YMOサウンドは地味にオサレ感あったイメージ
サポートメンバーも豪華 >>172-173
自分の生年を間違える人っているんだ >>516
吉田拓郎がラジオで言ってたけど、晩年の加藤和彦は俺の知ってる加藤和彦ではなくなってたとか言ってたな
具体的にはどういう部分か分からないけど >>520
そのうちサンクス
キャンティはげーのーじんいろいろ行ってた聞くが
その中で安井かずみの話を思い出す
ウーマンリブの筆頭だとか
ものすごい金もちになって
漣けんじが安井かずみはフランス語科の学生でうちでバイトで訳詞してたんだよとかいってたよね大滝のラジオで
そこから大作詞家で
だから上に加藤和彦が金遣い荒いと書いてる人いたがそもそも安井かずみと比べたらご主人様とその主夫だったというレベルの稼ぎで
アルバム評価とは違って業界的にはお仕えみたいな
かわいそう
で安井かずみの身の回りから何から世話して食事の支度から部屋までまあ雇ってたんだろうが
そして安井かずみ死んでもそれはやめられなかった
うんかわいそう
そんなことキャンティの文字で思い出しちゃう >>521
うん
ところでカセットは近年リバイバルしててメタルテープの未使用品があるとそれがものすごい値段で売られててびっくり
郷愁以上のものを感じてる人もいるみたいであんまり想像してなかった状況だ >>531
尾崎豊の奥様になったひとよね
あれ実話なんだよ 加藤和彦はもうお姫様とその王子を演じる一生だったんだよね
私生活で >>462
>>478
今見たら、去年12月から突然 高橋の写真を上げまくってるね
仲間うちでは、長くないのを知られてたんだろうな >>458
なんか昔ラジオで聞いた話でうる覚えだけど
YMOデビュー時にそもそもどんなライブ形式にしていいのかも不明なところ
セゾン堤清二が場所とアイデア提供して池袋でプロモーション演奏が実現した
だから実質の初ライブは池袋とかいう話をきいたがほんまかな >>534
カセットどころかオープンリールを使いもしないのにほらみんなMVで飾ってる
おれ8トラ
フォステクス捨てたんだよ
をを! >>539
当時Forbesトップの堤清二でたね
時代だね
そしてバブルが弾け西武もバラバラに
その頂点に偶然なのか知らんけどいた! >>535
象さんの人生のことw
あの界隈スゴイよ。
むっしゅとかwww >>541
で8トラ用8chミキサーだけ使えるなと思ってまだあるという 1981年に世界初のテクノ曲「U.T.」を生み出した本当のテクノのオリジネイター
この頃のホアンはまだテクノどころか湿っぽいエレクトロ演歌どっぷりだった >>543
氏に近しい人()に、聴いたら
アメリカでツアー中ついてってた川添氏がクスリで飛びすぎて
NYにヘリ飛ばして自身の太ももの血管を心臓の移植する手術受けたとか
幸宏氏は全く関係ない 飯倉キャンティって、一般人でもいけるの?
グーグルでみると田舎にもある喫茶店みたいにみえる
東京見物で一度行ってみたい >>546
本当のとか違うぞ
そっちはテクノ
こっちはテクノポップ
別ジャンル
念のため業界ジャンルわけで言うとね >>548
行けるよ
伝説のイタリアンレストランだぞ
著名人の社交場としての歴史が凄いから YMO結成の切欠は、マナとか言う変な女性シンガーが変な声で歌うイエローマジックカーニバルという >>539
堤清二氏、あがた森魚がセゾンカードのCMソングに抜擢されて池袋西武でインストアライヴやった時、後ろの関係者席で観てた。
終わったらささっと抜けて、駆け足でエスカレーター降りてった。お付きの人とかいなくて、独りで興味あるから観に来たというテイだったのが印象的だった。 >>475
WINTERも散開も生で観たよ@1970生まれ 堤清二と堤義明は全然ベクトル違うぞ
義明のほうが100倍金もってたけどな
バブル期 まさかユキヒロさんスレで
Majic JUANを勘違いして引っ張り出す輩おるとはw
彼は全くの別ルートから現れた。
ジョン・フォックス、クラフトワーク。
そこにパーラメントのファンクネス加味。 >>554
ほう、なんかさりげなくてかっこええな。堤さんの本でも読もうかな ヨシフ・ポローリンのエロスパムの時はもう9年前か
糸井重里とかと一緒に引っかかってたのを見て
微笑ましくて和んでたわ。 選民思想の強い連中が多かったからな
文化ってそういうもんだ >>34,174
ギリ30代だけど俺も全く知らん。
おっさんばっかなのかこのスレ...。 >>552
BREAD&BUTTERの兄貴のほうの嫁さんな >>550
>>551
俺もジジイだから、冥土の土産に行ってみたい
創業当時とは、建物違うのかな?
昨日初めてグーグルでみて、フツーさに驚いた
ディスコみたいな大きな建物かと思ってた
加賀まりこや石坂浩二に会えないかしらん >>566
建物や内装も基本昔と変わってないと思うよ >>563
音楽が好きで
日本の音楽史というものをある程度知っていれば
YMOの3人の名前は必ず出てくると思うのだが? あんまテクノ系に興味なかったら若い人はYMO知らんて 40代だけど
YMOは後追いで一通り聴いたがライディーンだけでもいいかなって印象
あと卓球が推していた細野さんのマッドピエロ
細野氏はソロ作品、坂本教授はアレンジャーとして思い入れはあるけれど幸宏氏は後追いだからかとっつきにくい印象が強い >>556
へ~、WINTERなんて11歳で凄いな。でもその頃は強烈なYMOブームだったから行ってる人は子供でも行ってるんだな。 >>556
え、散会はわたし15歳だったけどいま54だよ
あなたいくつ >>573
バンド名を冠した事実上のテーマソングは「東風」だけどな
Yellow Magic Orchestra ? Yellow Magic (Tong Poo) (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=K3DSwl3gMTc
再結成時の東京ドームでもこれだけは忠実なアレンジでフル演奏したから
YMO - Tong Poo_東風 (live at 1993 TOKYO DOME)[1080p]
https://www.youtube.com/watch?v=lvLIvBN33iY
やっぱ3人の中でも東風がYMOの象徴なのだと思う お姉ちゃんとお姉ちゃんの友達に連れてってもらったなあ >>574
WINTERの時は半ズボンw
アンコールまでは呆然と見てただけって感じだったけど
家帰ってからあのステージが忘れられないものになってしまい
今に至るって感じw
会場には親と一緒に来てる小学生が数人居たけど
殆どが大学生っぽい人や大人 >>580
散開の武道館の時は長ズボンw
2日目に行ったよ YMOは後追いで聴いた40代前半だけど
90年代には坂本はもちろんのこと
はっぴいえんどやYMO前のトロピカル作の再評価もあって細野も聴かれてる感じがあったけど
一番現役感があるような幸宏がイマイチ評価されてる感じが無かったな WINTERライブは高校生の時だったな
ライブ自体より新作テクノデリックを聴いた時の方が衝撃強かった >>583
高校受験(中3)、早生まれ
散開の年、年内は毎日のようにテレビで彼らを目にしていましたね >>576
東風は私は矢野顕子から入ってるから
矢野さん作詞による歌詞がついてるw
矢野さんも近年新しいバージョンを作ってるからこの曲は特別なのかもね
まあタイトルはゴダールだけど 仲がいいUK SOULミュージシャンの何人かが「Legend! R.I.P.」と追悼してた
それを見てまた泣いてしまった
国境やジャンルを超えて尊敬されてたんだなと… >>573
40代だとバブル崩壊後の日本だから
もう時代も音のトレンドも変わってたよね
ライディーンだけでいいと思えるのも無理ない
自分も20くらいからは完全洋楽に移行してたし 子供の頃、8歳くらいだったかな、任天堂の「銀河の3人」というFCソフトをやってて、後で知ったけどこの人の作曲かな。 ミカバンドのファーストアルバムはまだ、つのだひろがドラムなのかな。ドラムがすごいなと思ってたけど。 70歳と71歳どっちなの?
ニュースはどっちもある。 >>590
90年代はクラブミュージック全盛期でYMOはずっとひきずってたように記憶するが
YMO みたいな曲ではないけど >>597
満年齢だと70歳、享年は数え年だから71歳 >>597
71歳は享年よね。享年には0歳という概念がないため、生れた年を1歳として数えます
だから実年齢より+1歳になっているのかな >>582 ドラムってどこでもだいたい、縁の下の力持ち的な部分があるし
ユキヒロさんは作曲もしていたけど、基本が鼻歌メロみたいな感じだっただろうからね
バンマスかつ、松田聖子ら、他アーティストへの提供曲にもヒットが多い細野さん
(日本語ロック黎明期のレジェンドバンドの1つ、はっぴいえんどの元メンでもある)
映画音楽などで世界進出もした坂本教授に比べたら比較的地味
でもバンド時代は、その個性の強い2人をつなげる緩衝材みたいな役割を担っていたらしいからその意味でも重要だったりしたようだし
ファッションに造詣があり、YMOのビジュアルイメージにも貢献していたみたいだな
教授は、映画音楽好きな人にとったら、海外でアカデミー賞など、主要な賞をバンバンとったり
(米アカデミー作曲賞は日本人初らしい)
最近もディカプリオが米アカデミー主演男優賞をやっと取れたときの音楽担当者の1人だったり
日本人で世界で通用している人のひとり。
昨年、フィギュアスケートのグランプリファイナルで女子は日本の三原舞依が優勝したが
ショートの曲が戦メリで、わかる人には懐かしかったかも。
紅白にザ・ラスト・ロックスターズのギターの1人ででた、ルナシーのsugizoがYMOチルドレンと言われるぐらいのファンだそう 長文失礼 >>603
SUGIZO、大槻ケンジはけっこうオタクw
YMO系のイベントにも来たりしてた
2人も背が高くて顔も小さいのでカッコ良い
あと布袋がYMO好きで80年代は松武さんとよく仕事してる >>594
違う。つのだがドラムなのは「サイクリングブギ」だけ >>603
いちいち長い。どうでもいい無駄なことを書きすぎ センスの塊みたいな人って印象
あのエゴの強い二人の間で大変だったろうな 脳腫瘍の末期って本人はどれほど辛いの?
どのくらい意識がはっきりしてるのか >>610
人による
痛覚もわからなくなって安らかに逝く場合もあれば最後まで苦しんで最終的に息ができなくなって死ぬこともある >>611
そうなんだ…
幸宏さんに限らず穏やかな最期を迎えられるといいのにね >>364
YMOの結成当時、スタジオミュージシャンが結成したバンド
みたいな言い方で紹介されてたよ。 >>603
おまえ
テレビでユキヒロ訃報のテロップはどの局も
大きく
「YMOドラムでライディーン作曲」
だ
引っ込んでろ >>614
その瞬間そうだったとしてもそれが間違いだからな
はっぴいえんどティンパンアレイサディステックス
当時歌謡曲の影に隠れていたバンドがJ-POPの始まりとして尊敬されてる今
その括りは時代錯誤
歴史を知らない無知 伊藤つかさのアルバムに信之作詞幸宏作曲の曲入ってたわ
音はBGM系だけど曲はそんなに良くなかった なんかミュージシャンに脳の病気多い気が・・
過去にL⇔Rの黒沢さん脳腫瘍で逝去、ミスチルの桜井さんは元気だけど小脳梗塞を経験したよね
ほかにもいたような >>615 1ミリもマスコミ情報の域を出てないレスをわざわざくれなくていいよ >>621
YMOの無料のライブで「静かにしないと演奏してあげないよ」と言ったのは坂本だったか細野だったか。 >>448
出したタイミングのことは知らんが、
ライブアルバムを作る場合、
複数会場のつぎはぎもオーバーダビングも珍しいことではない。
香津美のギターが抜かれたのは権利関係だなと思ったけど、
違うのかね? >>616
70年代前半を中心としたその界隈の動きを時系列で纏めたブログを漁って閲覧してると知らなかったことが多くてたのしい
ああ、このあたりの人たちアグネス・チャンや南沙織と絡んでたんだ、とか
その中でも、たとえばはちみつぱいに参加したある人物などハイエンドオーディオ展示会の講演聴講したりして御自身の音楽活動に言及することがごくたまにあったりするけど感慨もひとしおだ >>572
最近だったらテクノ系よりもむしろシティポップの文脈で絶対細野さんの名前出てくるしそうなるとYMOの名前も出てくると思うけど。あと星野源とかハマオカモトとかのんとかReiとか水原希子とか若い人でもテクノじゃなくてもきっかけはゴロゴロしてそうだけど。 >>614 それは技術がしっかりしているから、あちこちから声がかかるんだよね
ライブのバックだけでなく、録音メンになる人はやっぱり上手くないといけないから
そんなんで、細野氏のおめがねにもかなったんだろうなと
ゴダイゴのギターだった故浅野氏は、ゴダイゴ参加前に細野さんに一緒にやらないかと声をかけられた事があったと言っていたが
浅野はゴダイゴの前、エム時代にはっぴいえんどに何回かギター貸してって言われたとかで、面白くなかったみたい
(お互い20才とか前後で、若い頃か)
当時ははっぴい…は学生バンドで、もうプロとしてローンがっつり組んで高いギター買ってた浅野の機材を
学生の鈴木さんが借りてみたかったのかな 知らんけど
タイプは違うけど、ゴダイゴもYMOも世界に爪跡残したバンド ただもちろん年代的に知らない人が増えただろうな
何十年も前だし >>624
そうだよ。コロンビアがアルバムに収録するのを拒否した >>621
うん、竹中直人の追悼コメントどっかで見かけたけど、あの人の表現で饒舌にお人柄を偲んでいらした。あらためて合掌。 >>630
ありがとう。
このスレでもYMOのメンバーが嫌がったとかいう、
噂を書くやつがいたもんでね。 >>623,628
幸宏だよ
教授は客に向かって五月蝿えぞ!この野郎!と言った伝説の写楽祭 >>634
YMOのライブが観たい人達が
余りに前座や余興が長過ぎて騒ぎ出しちゃったんだよね >>676
ただアメリカの批評サイトだと80年代の「SFX」や「フィルハーモニー」の方が点数が高い
エレクトロニック・ミュージックの先駆者としての評価をちゃんとしてる
JPOPとして評価の高い「ホソノハウス」よりアンビエントテクノ路線の「オムニ・サイト・シーイング」の方が上
Haruomi Hosono
S・F・X 8.4
Philharmony 8.4
Cochin Moon 8.3
omni Sight Seeing 8.0
Paraiso 7.8
Hosono House 7.6
国内でされてるのは所詮「ロック」としての評価でしかなく
ヒップ・ホップやテクノを通過した今の海外評価に比べてやっぱ感覚が遅れてる YMOといえばスネークマンショー
警察だ!開けろ!
だ~れ~?
警察だ!開けろ?
ここは警察じゃないよ~
みたいなくだりのコントは未だに覚えてる >>193
確かにベスト盤で一区切り感はあったし、
YMOは変わるというのは噂であったし、
「君に、胸キュン。」でこれからはボーカル主体になるんだな、
というのもあったね。 俺も昔からホソノハウスは大して好きじゃない
細野の本当の凄さはトロピカルダンディでごちゃ混ぜ音楽を作り始めてからだと思う
そしてHOSONOVA以後はアメリカ音楽オタクに戻ってしまって退化 ポールマッカートニーのキャリーアップはYMOの影響あると言われてたね
ちなみにベイブのギミーアップはキャリーアップが元ネタだろうね
そんなYMOはビートルズのポール作、デイトリッパーをカバーしてるね >>632
嫌がるどころか、渡辺香津美がどうしても出したいって言えば出せたはず、って坂本龍一は憤っていたらしい。 細野さんとか教授のフォロワーを自称する連中にはイラッと来るな
彼らの前衛性もちゃんと引き継げたのはコーネリアスと卓球まりんぐらいだろと
幸宏は敢えてJPOPのフィールドに残ったみたいなとこあるからいいんだけど
細野さんはあの世代だからアメリカのロックに思い入れがあるのであって(ロックが尖ってた時代だから)
令和の今ロックなんぞやってる時代遅れの連中にYMOフォロワー自称する資格ねえよ meta five好きだったのに小山田のせいで、あまり公言できなくなった >>638
おれは、中国?でやった落語を覚えてるな。
「和尚が2人でお正月(おしょうがつー)」
現地人が意味を理解するためにヒソヒソ話をした後、「うわぁっはっはww」
って盛り上がる奴 >>624
あれはギターをカットして大正解だったよ
当時FMでギター有りも流れたけど新しい音楽感が半減しててつまらなかったもん
あれでは俺たち少年には響かない
後に大人になってフェイカーホリック聴く分には興味深かったけどね >>647
それ元ネタは林家三平だなあ、今の三平のお父さんや、若い人知らねえか >>641
別におまえに好きになってもらおうと思って作ってるわけじゃないからな >>159
個人的に小山田の過去のことなんてどうでもよかった(デザインあ も好き)
もっとMETAFIVEやってほしかった スネークマンショーはいっぱいすごいのあったな
お好み焼き屋でゲ〇焼いて「う~ん、こりゃいけますね」とか オリジナル盤、ベスト盤、更にはライブのセトリでも中盤に据え置かれるFlashbackはまるで休憩前の一戦を締める木戸勇の如き存在 >>649
禿同
ギターカットして坂本がスタジオでオーバーダブしたおかげで、あの素晴らしいシンセサウンドになった 洞窟だかに閉じ込められて閉所恐怖症の幸弘が「こわいよ~」ってのも好き ジャパニーズ・アンビエントでも細野さん、教授は海外で評価されてるし
数年前は次に来るのはジャパニーズ・アンビントだと言われてたけど
まだシティポップ(ジャパニーズ・ファンク)熱が続いてるね
この文脈で最も評価されてる日本人はヨコタススムさん
「日本人はなぜレディオヘッドを聴いて、ヨコタを聴かないんだ」と揶揄されるくらい海外ではめちゃ評価されてる >>624
>>448
アルファ設立者の村井氏の自伝にロスのスタジオででメロディいじってるエンジニアにそこまでやらなくていいだろと言ったらいやこれでもズレてるとか言ってくるんですよ徹底的にやらないとと言われたと言う話が出てくる
そしてアメリカのスタジオで昔のアナログレコードのミックスを見た時「あの」カラヤンでもというかこそと言うかオーケストラのテープが切り貼りすごいんでびっくりした
アメリカは昔から徹底的にやってるんだと言う話
日本人なら騙されたーとかいうだろー
そうじゃなくて
徹底的に顔を化粧するあの感じなんかねー
それしないと街歩けないわけよ
リリースしちゃいけないわけよね >>383
達郎なら幸宏のソロ作品からか
達郎の曲で幸宏がドラム叩いている曲を選ぶんじゃないかな テクノ以前の細野さんを評価してるのって
海外だとヴァン・ダイク・パークスくらいじゃないか
対外的にはやっぱりテクノとアンビエントの人 >>659
グレン・グールドもそんな感じだったね。 ところでみんなが1番好きなYMOのアルバムってなんぞ? >>661
そう言う海外がー評価ガーってのやめた方がいい
オレはなんもできません
ジャイアンが評価してます
見ただから
いつまでもノーベル賞すごい
オータニさんすごい
で
自分たちの評価は下級としてる世界の奴隷日本最低国意識プンプンだから >>664
なんで1番を決めるんだよ
YMOが好きでいいだろ
アホか >>661
ハリー・スタイルズがホソノハウスが好きでハリーズハウスってタイトルのアルバム出してめちゃ売れしてるじゃん
あとはトロピカル三部作リスペクトのマック・デマルコ経由の再評価とかさ
そういう再評価の動きの流れを無視するのはバランスが悪いぜ YMOは小5くらいで聴くのが一番度肝抜かれるんだよ
ときおーときおー >>648
ブンブンサテライツの川島さんの脳腫瘍は遺伝的なものじゃないかな?
大洋→近鉄の盛田幸妃投手も同じく脳腫瘍の再発を繰り返して早逝してしまったけど
盛田投手は弟を幼いうちに脳腫瘍で亡くしていたそう >>645
言ってることがよくわからんな、細野は君が言うようにロックの人だろ
ワールドミュージックの人でもあるし、テクノも細野が手がけた一分野じゃないの?
そりゃ日本のロックは海外には評価されにくいだろうが、海外の評価を基準にしなきゃいけないわけじゃないし
ロックファンに細野好きがいて当然だろ? ただロック的な細野が好きな人はYMOは別にして語ると思うけど >>113
最近のベストヒットUSAで、クリスモスデルが詳しく話している。
マイケルバージョンはYMOの曲に、
ボーカル用のオリジナルのメロディーと歌詞を新たに作って追加したもの。
そのボーカルのメロディと歌詞はマイケルの権利なので、
版権も50%をマイケルが欲しいと言った。
坂本はそれに了承したが、レコード会社?だかの反対でお流れに。
確かそんな流れ。 >>669
ブンブンの娘の出てるあのMVはすげ〜気持ちいい感じだけに見るたび泣ける >>649
あの頃のYMOの音楽性はダンサナブルなフュージョンだから
ギターを差し替えた時点でライブ盤のドキュメント性はゼロになったよな。 >>664
1枚目と2枚目以外は飽きちゃうなあw
ポール=マッカトニーのマッカートニーIIの方が面白ね >>645
> 令和の今ロックなんぞやってる時代遅れの連中にYMOフォロワー自称する資格ねえよ
令和どころか平成の頃から、細野さんはカントリーに回帰したけれどなw >>671
このスレの前の前のほーで
その最後の部分が
マイケル側に対していじったの聴きたいから送ってくれって返したところで音沙汰なくなったと
音沙汰なく立ち消えたと
でそれがフィリンゲイズからどーこーと遡って検索してみ 1980年発売のライディーンは当時の小中学生を直撃
つまり1965年から1974年 昭和40年から昭和49年生まれがもっともコアってこと?
あとその下の世代が保育園や小学校の運動会の定番になったんか >>677
なんだ
テレビかなんかのリサーチみたいだな
つまんねーぞ >>624
権利問題
カツミはアルファでなく別のレコード会社の契約していたから
あと、カツミが弾きまくりなのは細野さんの指示
アメリカ人は古くてテクノを理解できないから、
アメリカ人にわかるようにギターソロを弾きまくれと >>677
へんな人気だったな
ヲタも不良も聞いてた ガキの頃ジョンが死んでもう2度とビートルズが見れないと大人達が嘆いていて、それをフーンと眺めていたが、自分なりの喪失感を初めてユキヒロさんで実感した。もうYMOは2度と見れないんだと >>680
すぐ上に出てるだろ
コロンビア
香津美が助っ人としても素晴らしいのはジャコのライブでもこの目で見た
ジャコが適当にやっちゃうのに合わせられたのはレギュラーメンバーよりもゲスト香津美だった 「僕の大好きな○○○○○○」問題
は結論出たんだっけ? >>559
小林信彦が「ハリウッド女優はデビュー前に徹底的に整形する」とかかいてたな。
マリリンモンローもそうだし、リタヘイワースとか生え際の毛を抜いて額の形まで整えた。
アメリカは人工的に作り込んで商品化するのね。 YMOってソリッドステートサバイバーがヒットした時、他のアルバムも釣られてアルバムランキングbest10に三枚くらいチャートインしたことあったよね。 >>671
坂本龍一本人がラジオで喋っていたのを自分が聴いた記憶では、
・権利を半分寄越せと言って来た。
・いくら売れてる凄い人だからといって聴かずにOKするわけにはいかない。
・だから聴かせろと言ったが漏洩するのを警戒したのかテープを送ってこなかった。
・なので結局NGということになってしまった。
ということだったな。
同じラジオかどうかは覚えてないが、NGを出したのは坂本と高橋の両人と言っていた記憶もある。
また雑誌の小さなコラムでクリスモスデルがマイケルがカバーを作っていると聞きつけて
追加の歌詞を書いて送ったがなにも反応がなかった、と本人が書いていた記憶もある。 >>644
高橋幸宏は古い発言では
フュージョンっぽくて香津美のギターを気にいってなかったような事言った事あるね
大人だから繰り返しては言ってないけど
高橋はジャズやフュージョンを敵視してるようなところがあった
それ聞いて自分のドラムはどうなんだよと思ったね
初期のYMOライブは高橋の怒涛のドラミイングありきのようなところがあった
抑えてもライブ成立させる自信出たのは中期以降かと >>662
マイルス・デイビスのビッチズ・ブリューも >>673
坂本のシンセソロはまんまフュージョン作法だな 小学校高学年で中国女聴いて、その30年後ぐらいにゴダールの中国女観た >>683
渡辺香津美は細野の当時のノートにゲストと書いてあるのを後年見て感激してた
1人前に見てもらっていたと バカ本と違って反日左翼じゃないから大好きだった。。合掌 みんなの話が難しいな
特に当時の他の人たちの関連とか >>688
初期ライブのドラムは中期に比べるとまだ肉感的だね
それでもサディスティックスよりは抑えてるようだが
ギターに関してはやはりユキヒロはそう思ってたんだなさすがのセンス
そもそもこの人いないとライディーンないし人民服などファッションセンスもないし
おれら小中学生人気は出なかったかも
ソロも細野教授より音楽殺人が一番人気だったな当時 昔バイトしてた映画館のオーナーだった
来たかも、という噂で店の偉い人が右往左往してたなあ
叙情と闘争とか、ぜひお読みください
清二さんは、いろんなことに立ち会ってたんだな、と セカンドのレコーディング時期にはもう細野がイニシアチブ取れなくなっててムカついて、
細野と坂本の間に確執が生まれた
細野ってバンドに向いてないよ はっぴいえんどでもそうだけど自分中心ではなくなったらすぐ潰すやん
増殖以降はもうバンドマジックなんかないし 高橋が間に入ってたのと才能の惰性で数年続けただけ
周りに煽られ始動した再結成は本人らも酷いと認めてるし >>696
音楽殺人聴いてYMOの楽曲が大衆受けしたのは幸宏がキーだったんだなと思ったよ >>254
加藤和彦はYMO散会ツアーのナチス風の衣装や舞台装置を批判していたよ。 >>698
それまんま加藤和彦では?
「天晴」じゃ1人で足引っ張てた >>698 はっぴいえんどは、続けられるだけのビッグセールスにつながらなかったんじゃ 細野さんだけがどうっていうより
まだロックはアングラ気味という時代もあった
学生やディスコ好きには支持されていたようだけど。
教授は前スレにもちょっと書いたけど、若い頃は特に尖っていて、通りがかった店が小汚いのにキレて
いきなり襲撃してタイホされたとか
マネージャー殴った事もあるとか
人格面が独特
むしろ、いったん解散後もよくお互い人生を通じて交流できたな、って感じ
バンドが解散する事自体は珍しくなかったよ >>691
当時高校生だったが教授のソロは適当過ぎてほんまに笑った
教授にアドリブソロやらせちゃ駄目 >>661
> テクノ以前の細野さんを評価してるのって
海外だとヴァン・ダイク・パークスくらいじゃないか
ストーンズのビルワイマンは細野の大ファンで、
来日した時も細野に会っている。
ビルワイマンのソロは少しテクノっぽかったな。
あと、ザ・バンドはライブ前に細野の曲を流していたり。
エイモスギャレットも細野を天才と呼んでいる。
YMO以前にロンドンのレコード店には細野のコーナーがあった。 >>704
NHKのドキュメンタリーでもやってたけど、細野と大滝が仲悪くなって
松本が「これからは茂の曲以外には作詞しない」とか言いだしたんだとか 細野観光って書籍を買って放置してあるのだが去年、展覧会があったんだな。今頃気がついた ローリングストーン
Yukihiro Takahashi, Drummer and Lead Vocalist of Yellow Magic Orchestra, Dead at 70
www.rollingstone.com/music/music-news/yukihiro-takahashi-yellow-magic-orchestra-dead-obit-1234661542/ 昔はネクラ今は陰キャのおっさんども
まだYMOカルチャーの思い出語り止まらんのか >>688
その時期の渡辺香津美はのちにスティングのブルータートルにも参加するケニー・カークランドあたりと連んで大ヒットしたアルバム出してるしな
今となってはだいたい全部味わい深く聴ける コンピューターゲーム YMO
https://youtu.be/i8EjK2TrM9c
子供の頃、親にファミコン脳とか言われた自分には懐かしいサウンドだ。 >>709 細野さん 大瀧さん 教授
みんな曲も書くし、こたわりも強いメンバーだもんね しかも若い時に知り合ったメンバー同士ってぶつかりやすい
普通の楽器隊メンバーていうよりクリエイターなんだろうね
オフコースの小田さん鈴木さんは、鈴木脱退後基本的に再結成もコラボもなかったみたいだし
それに比べたらYMOはほんわかしてる方w
はっぴい…も、解散後色々なお仕事コラボなとはあったのかな
大瀧さんは大瀧さんで自信家的なトークだもんなぁ
ラジオのトークの録音を後から聞いた事あるけど… 東京と地方出身じゃ人間が違うんだよ
特に東京のボンボンの恵まれた環境で出てきたミュージシャンは
性格悪そうなのばっかり。またそういうのが日本の音楽の土台をかなり作ってきたのも事実
細野と大瀧は似てるようでそこが決定的に違う >>688
そもそもが坂本龍一、矢野顕子、渡辺香津美は初期YMOとKYLYNのかけ持ち。 >>618
マリスミゼルのドラムはくも膜下出血だったっけか 誤嚥性肺炎て苦しいんだよな
言わば窒息だもん
最後はモルヒネ打って安らかに亡くなったんだろう 渡辺は根がジャズの人でフュージョンブームで名前は売れたが
日本では根付かなかった
キリンにしてもトチカにしても、玄人向け
YMOでも細野はああ見えて大衆化を望んだ人なんじゃないかな
歌謡曲とのかかわりや曲に表れている >>618
長期間大音量を浴びてたら脳もおかしくなるだろ >>719
香津美は本当にテンポラリ
そこに入れるのは反対 >>724
そもそも、
日本のバンドが海外でも売れるためには、
インストのダンスミュージックしかない、
というのが細野のアイデア。
日本人は英語下手だからね。 >>724
あの人はわりとずっと見てきたほうだけどMOBOとか勉強トリオとか、あとはにわオールスターズにも参加したり色々やってて見応えあったほうだとおもう >>724
トチカはCMで人気だったよなんだっけカセットのデッキかテープか
ブルーラグーン的に >>618
ダブルっていうR&Bの姉妹デュオの姉がくも膜下で夭折したな >>724
KYKYNの曲はYMOが演奏してもおかしくない曲も多いのに、なぜかYMOが演奏したのは在広東少年のみなんだよね。 >>728
渡辺貞夫に次いでアメリカで名前が知られてたのが渡辺香津美
80年代末でもニューヨークのレコード店に独立して区分されて置かれてた
他はYMOもなかった >>729
かなり売れたアルバムだけどポップではなかった
だからそれ以後はみんなカシオペアとか高中に行ってしまった スレ違いだが、
「スポーツで水を飲んではいけない」
という間違った教育のおかげで、
脳梗塞とか多いんじゃないだろうか。
西城秀樹なんかは、その渇く感じが気持ちいい、
というレベルまでいってしまった。 >>729
トチカとKYLYNライブは個人的に好きでない。
KYLYNの曲は好きな曲も多いが在広東少年は苦手。 >>733
プロモーションのデモ演奏して回ってたりしてたもんね 高野寛は幸宏の直系のフォロワーだとして
他に誰かいるっけ?
歌い方とかは福山雅治がパクってるけど >>732
和製リーリトナー的な感じが多かった
あくまでニューヨークとかあっち向きで日本向きではなかった >>732
違うと思うわオレは
みんな松武秀樹の役割全く忘れてんじゃね? >>741
それも日本を下に見てるわ
香津美は天才少年として高校生のときからライブやってんだから 中原理恵は研ナオコがなんか都市伝説があったけどな
一度オールナイトフジで木梨が
「中原理恵さんは研ナオコさんと飲んでます」って言ったら
松本伊代がマジ顔で「何でそういうこと言うの?生放送だよ!」って怒ったのを覚えてる
当時はさっぱり意味が分からなかった >>740
そもそもユキヒロの歌い方はミカバンドで一緒にやったロキシーのブライアンフェリー
フォロワーとかナンセンス >>741
リーリトナーなんて思ったこと一度もないわ >>734
「うるせいぞこの野郎」はワンモアYMOに収録されてたはず。 >>746
当時のニューヨークの流行り、
70年代後半からリーリトナーとかボブジェームス、アールクルーとかが流行った >>735
カシオペアはそれ以降というか別よ
かなりポップなインストだからジャズじゃない >>748
そのボブジェームスとからGRPがナベさだだよ >>649
https://www.discogs.com/release/13333849-Yellow-Magic-Orchestra-Public-Pressure
https://www.discogs.com/release/14553293-Yellow-Magic-Orchestra-Faker-Holic-YMO-World-Tour-Live
あれパブリックプレッシャーのインサートライナー下の方に
『日本コロムビア(株)の意向によりギターのチャンネルを
カットさせていただきました』とガッツリ書いてある
香津美さんは個人的に出して欲しかったみたい
『Faker Holic』は'93頃のアルファの販売元が日本コロムビア
に移ったのと散開10周年がたまたま重なってリリースされた偶然の産物、いろいろ物議を醸し出したけど意義はあると思います
自分は両方とも大好き! >>750
Tommy LiPumaのセンでも括れる領域
ジョージ・ベンソンとかあのあたりも入る >>750
ラテン系よ
ナベさだは日本にボサノバ流行らせた張本人だし
日本にジャズ理論紹介したあの分厚い本も紹介したそれこそ生きるレジェンドよね >>751
個人的に一番好きな東風と千のナイフのバージョンはグリークシアター版で渡辺香津美のギター入り。 >>753
本人の本読むとチャーリーパーカーそっくりに吹けたのがアメリカでジャズミュージシャン仲間に受け入れられた最初のきっかけと書いてあった YMOの前にポップコーン 冨田勲 ELP クラフトワークやらフュージュンを経ていたか、いないかで受け止め方違う訳だ >>695
妙に狭い世界だったようだったし
いろんなグループで活動してたしね。
有名は話かと。
ユーミンが高橋幸弘の兄ちゃんのバンドの追っかけしていて家にも遊びに来ていた。って話もどっかで聞いたような。当時ユーミンは高校生だろうか?
坂本龍一と高橋幸弘を合わせたのが山下達郎だっけな。
山下達郎の元カノが吉田美奈子説もあった。
まあ、みなビックアーチストなのになんか狭いんよなw >>152
脳腫瘍による併発てのは普通に考えて変だよねぇ
現場でもそんなの聞いたことないわ
普通に自分の唾液で誤嚥性肺炎になっちゃう人もいるし、脳腫瘍からつなげるのは無理がある
報道も変 前提としてオーディオブームがあって、1950年代のアメリカ同様インストの軽音楽ニーズが高まり
日本のフュージョンが家電業界主導で企画・成立したわけ
YMOのファーストも様々な企画盤 PacificやNewyork、ギターワークショップと同様の企画盤
テクノポップ路線はDEVOとクラフトワークの人間解体の影響で生まれたものだからねぇ >>760
このスレの前スレのどこかで
脳が麻痺すると喉の神経が動けないような話書いてる人いた
納得するけどな >>758
Appleミュージックとかで調べてみたら?
電気グルーブとかカバーしてるし、一度は耳にしたことあると思う ニール・ヤングですら一時期テクノポップやってたな。
ポール・マッカートニーの「ワンダフル・クリスマス・ナイト」はテクノポップを遊び倒してる感じが好きだった。 マーティンデニーもステレオ、ハイファイがアメリカで普及し始めた頃にヒットしたわけで
日本のオーディオメーカーがYMOやフュージョンのミュージシャンをCMに使ったのと同じ >>757
クラフトワークの初期はymoが売れてからチェックしました
ポップコーンのあの曲は有名だったから普通に耳にしてましたけど、あと冨田勲もそう
冨田勲はS.ワンダーにシンセの扱い方伝授して以降のアルバムにハービー・ハンコックもいてカメレオンやった直後あたりの時期だったか
たまたまカメレオンもほぼリアルタイムで知ってましたけど >>762
日本のフュージョンが家電業界主導で企画・成立したわけ
こじつけだな
それぞれが独立してだ
日本はバブル直前でいちばん世界的に幅広げてたのが電気だ
そう言う関係なだけ
電気がフュージョンとかこじつけはなはだしい >>768
たびたびわりー
ポップコーンが全くわからない >>763
脳は全身の運動神経を司るからね
喉の筋肉を動かす指令を出す部分がダメになったらね パシフィックってエキゾチカのレコードみたいな感じはするな >>770
YouTubeで、「ポップコーン ホットバター」で検索してみ? >>765
わかった
よく聴いてた
なるほどね
んでなになにそんなに画期的なのこれ? >>682
まったく同感
もう3人揃ってステージに立ったり、メディアに出たりすることは無いのが信じられないよ
ある意味散開の時よりしんどい >>769
窪田晴夫いわく、日本のレコードメーカーはほとんどが家電メーカーの子会社で、
オーディオ装置を売るためのソフトとしてレコードを出している。
レコードや音楽が産業として独立性を持ったことは日本ではまだない。
みたいなことを昔言ってたな。
YMOも高中もフジカセットやパイオニアの協賛で武道館ライブとかやってたしな。 >>779
その歴史を繙くと矢沢永吉は権利の確立に貢献してるみたいだね >>761
美空ひばりのスレに首突っ込んで
「美空ひばりなんて知らんな」って言ってるようなもの
一体何を期待してるのか
こういう輩が案外多いんだな >>779
だからと言って家電メーカーがフュージョン作ったはありえない >>684
フライング・パン(frying pan)じゃないの? >>776
元祖テクノじゃね?
これより前のシンセミュージックはスイッチトオンバッハくらいしかないし 5chの高齢化(バブル世代?なレベル)とネットYMO爺の陰キャ感
全国区でヒットしていたからファン多いんだな ワカチコワカチコがいつの間にかジャニーズ発祥ということにされてるのがキモい ポップコーンって古いなw
電グル世代だね、YMO爺より下かと、93年頃だしな 新聞訃報記事切り取ってどう保存してくんだろうここの子らは 本当は逝去した人の話に集中すべきなのかもしれないが、ついあちこち飛んでしまう
お気に障る向きには申し訳ない 昔は上級国民息子じゃなきゃ坂本教授や小室哲哉のような曲作れなかったな
安いノートPC1台で坂本教授や小室哲哉のシンセみたいな音誰でも作れるような時代になったけど
音楽自体があまりヒットしなくなってしまった スイッチトオンバッハ 1968
ポップコーン 1969
ELP ファースト1970
冨田勲 月の光 1974
クラフトワーク アウトバーン 1974
タンジェリンドリーム フェードラ 1974
ジャンミッシェルジャール 幻想惑星 1976
ドナサマー アイフィールラブ 1977
YMO イエローマジックオーケストラ 1978
この辺りがシンセミュージックのエポックメーキングなところじゃね? 昔というか、自身音楽ハマってた若い頃30年前は機材の壁あったか、お金掛かるなみたいな
DJなんてのも金食う趣味だった
今は無料で昔ならできなかったことが誰でもできるようになったけど、規模が半減してしまったな
やっぱ音楽って坂本教授が優雅にピアノ弾いてるみたいな世界じゃないと魅力ないのかも >>785
さんきゅ
ふむふむ
今見た
1922年にらなんとワイマール共和国で生まれた
Gershon Kingsleって人が初のソロとして1969年にMusic to Moog Byと言うアルバムをニューヨークのレーベルから出した
そこにはエリーゼのためにとかビートルズのノーウェアマンペーパーバックライタースカボラフェアのカバーとオリジナルで何曲かそのうちの一つがポップコーン
1970年にファーストモーグカルテットというシンセバンドを組んだ
そのバンドの1人が1972年にホットバターとしてシングル出してヒット
その後いろんなバージョンが出た
シンセの初期ヒットって功績だ
さんきゅ >>172
まんま自分だわ、あの時の衝撃を超える楽曲に出会えない、 んでこのGershon Kingsleyさんは2019年12月に亡くなってるけど97歳かほぼ天寿 今はネットなんだね
昔は本でテクノとかのウンチク語ってたな、本だから音が出なかったw >>769
ソニーは当時レコードでマスターサウンドという高音質で高額のシリーズも
出していたから普通に連携はしていたでしょ
今だってソニーは自社の音楽売るためにアニメ製作の子会社持っているし >>792
エクイップメントの諸元が高くなり安価で普及するのと反比例で衰退するっていうのは皮肉なもんだね
テレビのプラットフォームやチャンネルが増え、情報発信する側にとってのハードルも低くなったのに斜陽化したのとどこか似ている気もする >>697
誰の話かと思ったら堤清二か。そろそろスレチですよ。 はっきりと覚えているわけではないが、当時、テクノポリス聴いた時は沢田研二のパクリ、ライディーン聴いた時はポップコーンかテレビ漫画への便乗商法と思ったな
予備校生の感想です 先レコードにした功績はあるかもだけど
ビートルズのアビーロードはシンセガンガン入ってるからね
ミックスとしては1969年でビートルズのブランドは大きかった ダイレクトカッティングのレコードとかあったな
高音質の
だいたいクラシック、フュージョン、ジャズあたりのインスト
まあオーバーダビングができないから一発録音だとそうなるか ポップコーンは曲名は知らなくてもメロディだけは知ってる人が多かったんだけどな
テレビでもバラエティからニュースまでジャンルを問わずBGMとして流れていたし
いつの間にか姿を消していたな >>803
ああなるほどね
沢田研二はYMOの歌謡曲適用事例だからね
ポップコーンは有名だったのね
おじいさん今認識しました Wiki みるとアルファ村井社長も当初はあんま乗り気じゃなかったみたいね >>806
ちなみにゲームはよく調べてみたらペンゴだった
やったこともあるアーケードゲームなんだけどゲームは耽溺しなかったからなー >>801
初めに全てありきで、初期に才能が集まってあっという間に完成させる、どのジャンルも
長くなると陳腐化して廃れる >>811
抽象的観念的に捉えると2ちゃんもそうだったもんね >>808
YMOの録音現場に来て「こういうのをやれ」と大村憲司のフュージョンアルバムを聴かせたとか
フュージョンのアルファにしたかったんだよね >>811
その逆に新しいもので新しく見せたもんが次をつくってく
エルビスビートルズZeppからヒカキンまで >>808
今もソニーの天下だからね
そこにエイベックスが風穴を開けたんだと松浦勝人が自負してた YMOはソロも含めて1981年のテクノデリックまでだな。
それ以降は蛇足。 >>804
リー・リトナー&ジェントル・ソウツのダイレクトカッティング
たしかまだ2枚持ってるはず キャプテンカリブのコピー、よくやったものです >>809
DJはミュージシャンだぞ
いや真面目に
DJというのはボーカルやドラムと同じロールの一つだ
あとらMCとか >>814
しかしそれに従わなかったYMOがアルファの自社ビルを建ててくれた >>812
フュージョンも教授も聖子ちゃんもあるよ >>816
えー世界的には
ソニー
ユニバーサル
ワーナー
がメジャー
あとはドメスティックでインディーズ >>821
そう言う意味ではなく
音質追求の最先端はクラシックという意味
CDフォーマットからなにからクラシックが基準で作られてる 絵画の印象派も実質七年間だけ
あとは模倣や惰性
どのジャンルもそんなものだ
YMOも5年で解散したのは正解 >>804
あとシンセ曲のヒットとしては1972年だからELPより後に流行った印象だろうね >>825
模倣といえばYMOの場合は、VisageのMoon Over Moscowが出たとき教授はサウンドストリートで紹介して喜んでた
その教授は現代音楽の祖はバッハだと曰い、そしてクラシック音楽は常にどのように再生されるかでオーディオ機器の性能を測るパイロット、試金石...
どっかでまた新しいものが出てくるんだろうとは期待する >>824
いや勝手に意味変えられても
クラシック聴かない人にとっては最先端とかどうでもいいの
聖子ちゃんファンで聖子ちゃんをより良い音で聴きたいと思う人も多いでしょ
実際売れたわけで >>757
1967年生まれでYMOがソリッド・ステイト・サヴァイヴァーで凱旋してきた時に知った。
当時ギターレストリオのELPにハマってたから、同じ構成でシンセサイザー多用のバンドということで興味を持った。
YMOからはっぴいえんど、サディスティックス、はちみつぱいと遡って、日本のバンドはムーンライダースで落ち着いた。 >>796
ディズニーのエレクトリカルパレードの曲もその人 昔調子こいて山本譲二の髪型イジったらブチギレられて泣いて土下座したんだよな >>807
ポップコーン検索してみた
あーこの曲か!となりました、おばぁさんも恥ずかしながら(*μ_μ) setで
暗闇に追い込まれたymo
幸宏が『暗い暗いっっ』言いながら泣きそうになってたの思い出した。 大好きだった
聴き返して今も大好きな音楽
幸宏さんカッコよかった
私の青春時代は幸宏さんから始まった
たくさんの素晴らしい音楽をどうもありがとう
これからも幸宏さんの曲は生き続けるでしょう
どうか天国で安らかにお眠りください 会社の24歳男性に
YMOって知ってる?
って聞いたら、知ってます。
って答えられた。
テクノポリス、ライディーンは世代を超えた名曲なんだな。 >>819
なんでクエストラブにDJつけてるんだって言ってるだけ
別にDJを馬鹿にしてるわけじゃないわ >>552
ドラゴンボールのエンディング歌ってたね
とびきり全開パワー 今日の仕事帰り
「6月の天使」聴いて帰ります。
この曲大好き >>845
2年前から脳腫瘍というニュースは流れてたから
そんなに驚きはないけどね。
悲しいけど。 >>825
印象派が実質7年なのに後期印象派なんて言葉があるの? 原田知世さんは
追悼コメント出してくれただろうか? 三人共、当時は超インテリだからな。哲学者や研究者兼ねてるミュージシャン。ymo以前に流行ってたのってゴダイゴとか西遊記、モンキーズだからね。如何に斬新だったかがわかる。 イエローマジックカーニバルはマナが歌う先にティンパンアレーのアルバム「キャラメルママ」(ややこしい)に
細野さんの歌で収録されていたな マナのバージョンとはアレンジも違っていた記憶がある >>833
バロックホウダウン
ペリー&キングスレー
そうだね
1967年だからポップコーンより前だな
こっちの方を挙げるべきなんじゃね? >>79
ジャストなリズムだな
幸宏氏も喜ぶであろう(-人-) ナムナム 1989年頃から後追いでYMOのファンになって、メンバーのソロも集め始めた
最初に買ったのがYMOのシールドっていう二枚組ベストCDで、作曲者別に高橋曲、細野曲で一枚目、坂本曲、共作曲で二枚目とただ機械的に並べた選曲なんだけど、それが逆に絶妙な曲順のコンパイルになってた
今でもあのシールドが一番好きな選曲・曲順のYMOのベスト盤だわ
昔はネットも配信もないから小遣いをためて3000円のCDを買うわけで、もったいないからそれこそ舐めるように何回も聴いた
幸宏のニウロマンティックの歌詞カードは本人自筆の神経質そうな文字の歌詞が書かれた水彩画みたいなものが折り畳まれて入っていて、アルバムの素晴らしい音像もあいまって忘れられないお気に入りの一枚だった
青春をありがとう
ご冥福をお祈りします >>852
そっちを3日前に聞いたところだったんだなあ >>698
プロデュース・バイ・ハルオミホソノにはこだわりたいと初期に話してたが
テクノデリックで坂本龍一が鬱から抜け出てやる気満々で楽曲を何曲も出してきたから
テクノデリックはプロデュース・バイ・YMO+ハルオミホソノになってる
それ以降は全てがプロデュース・バイ・YMO表記 コント終わりにいきなり曲が始まるとカッコいいのは発明だったよな。ところで桑原茂一はまだ生きてるの?何して食ってるの? >最初に買ったのがYMOのシールドっていう二枚組ベストCD
俺はスーパーダブルYMOとかいう1st2ndが入ったカセットだったなw >>830
話戻すがフュージョンが家電業界が作ったとかいうキテレツ発想からのこれなんの意味あんの? >>857
ようつべあさったらマナのもオリジナルのもいろいろ出てくるな
ついでにどてらライディーンまであった(感涙 >>854
このキングスレーがポップコーンというあの曲の人
とは今日初めて知りました
重ねて感謝だわ >>863
あったあった
みんな見てるようですぐレコメンドされた 79年生まれの俺は
カルトQ→YMOベストセレクションをレンタル→テクノバイブル購入→オリジナルコンプ >>860
「いらっしゃいませ」「これはなんですか?」の実演コントをいま
ようつべで見ているところです >>817
A&M傘下
トミー・リピューマ
のホライゾンと
契約更新されず終了 >>744
何だそれは意味がわからん
詳しく教えてくれ 煙草と酒のルーティンの
悪影響は20年30年後に
身体を蝕む。
幸宏さんお疲れ。 Drip Dry Eyes
四月の魚
はこれからも折に触れて
聴き続けますYO YMO関連で毛沢東いったら
「錻力の太鼓」もあの時代のソレ。
バンブーミュージックとかジャケにしびれたね。 >>533
学生時代、トノバンの家の別荘が軽井沢にあって、ロールスロイス乗ってて
ってユキヒロ言ってたし、家がとんでもなく金持ちだった
と思ってたよ
スノッブな人なんですよねー
って言ってたのを覚えてる >>849
別物だから
アーティストが別人
初期の印象派展は7年で終わり ymoのデビューは
気づいたら松田聖子のデビューと一致している 青い珊瑚礁
ちなみに9thwaveはymoファミリー関わっててクウォリティーハンパない >>769
こじつけとか www
当時の社会と市場を知っていれば常識なんだけどね。
こんな事実も知らず
YMOを語ってるのか やれやれ アメリカのレーベルが出したシティポップのコンピに
「Drip dry eyes」が収録されてたけど、あれシティポップか? >>877
松田聖子デビューで
YMOファーストをデビューというのは間違い
細野ソロ4作目だからしかも1978年だよ >>684
フライングパン(フライパン)意外にあんの? >>879
美空ひばりをJ-POPっていうんだからそれよりはあってるだろ >>851 ゴダイゴもリーダーのミッキー吉野は、米バークリー音大卒だそうだし
初代ベースのスティーブも一緒にバークリーに行ったはず
リードボーカルのタケカワユキヒデは上智、ワセダにも受かって東京外大の学生だった
父は東大出のクラシック音楽評論家。
プロデューサーと、妻で作詞の多くを担当した奈良橋陽子はICU卒
バンドとしちゃわりと学歴あるほうだけどね だから英語詞のモンキーマジックを、普通にイギリスや
オーストラリアで放送していたそうだし
そこそこいい家の子がロックやポップスにはまるパターン多かった
洋楽レコード色々聴いて、楽器持ってコピーしたりするのも金かかるし
charは高校中退だかだけど医者の子とか
オフコースは小田が東北大からワセダ院、鈴木が東京とか
この2人は理系だけど、私大の細野より多分難関なぐらい ミュージシャンは結構高学歴もいる
芸大引率の教授はともかく、短大中退のユキヒロ、付属から私大の細野はお坊ちゃんぽい進路よ 細野はYMOで、クラフトワークを大衆化させてポップコーンを超えそうとした
そしてこの企みは見事に成功
小学校や幼稚園の運動会お遊戯BGMとして定着するまでになった、と自分は理解しとこうw >>508
村井自伝引っ張り出して見たらこの川添氏といろいろ仕事してんのね
しかも川添氏のオヤジの関係とかで仕事助かったとか
なるほどねー タイムフリーでバラカンビート聴いたら、最後にちょっと声詰まらせて「ユキヒロ、じゃあな」って、こっちも泣くわ >>795
昭和30年代40年代にドラムの練習なんて、別荘持ってるお坊ちゃんしかできないと思ってた
実際海水浴行って、そんな別荘の前通ったし あのリズムに乗り遅れそうな歌い方と気怠い感じの声、クセになるわ。 細野の祖父は沈没したタイタニック号に乗っていて生還したらしい >>883
バークリーを学歴とは言わない
しかもプロやって麻薬捕まってからの期間だからじゃないの 松田聖子デビューは80年
ymoファーストは79年
それ以前に俺もオキニで聴いてた
コンピューターミュージックってあったよな ジャケットがシュールなヤツ 細野色強かったけど。 >>886
村井川添対談「YMO40」
https○://youtu.be/1ATI9A0sDzA
川添が語る「当てる技術」
https○://youtu.be/t3EiFBTTtRE
川添細野対談「YMO成功秘話」
https○://youtu.be/CIjmBs5b-Dc
川添象郎著「象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー」も必読 >>894
The three members were veterans of the music industry before coming together as YMO, and were inspired by eclectic sources, including the electronic music of Isao Tomita and Kraftwerk, Japanese traditional music, arcade games, funk music, and the disco productions of Giorgio Moroder. They released the surprise global hit "Computer Game" in 1978, reaching the UK Top 20 and selling 400,000 copies in the U.S インストのバンドでYMOほど売れたバンドってあるの?ボーカルのいるロックバンドじゃないからねえ。 >>883
矢野顕子だって、実家開業医
NHKファミリーストーリーでやったけど、青森から、ピアノのために青山学院高校に行かせてもらった
>>893
蔵あること自体、中の上でしょう >>879 東京芸大だって音大というくくりではあるでしょ
それに851の3人とも 超インテリ はちょっと大げさ サカモトだって音楽専攻だけのような
ユキヒロさんは学業的には美術短大中退でバンド活動みたいだし
若い頃の逮捕歴なら坂本もあるって自分で言ってたぞ 薬じゃないけど YMOはテレビに出てるのよく観てたから「伝説」というのはピントこないな ソリッドステート~を一日中聴いてる小学生だったがチョイ後のプラスチックス/トップシークレットマンの方が衝撃だったなあ~ 全世界でレコードの売り上げは500万枚以上って書いてるけど
日本で450万枚で海外で50万枚くらい? >>897
そうそう自伝にあったのが
村井が細野とあったのが川添の両親のうちだ
なにそれ?
理由とか書いてない
それでユキヒロともとあって
村井が細野のベースが大好きで
その後村井の曲にはできるだけ細野を頼んだと
そしてユキヒロもそれに合わせて叩いてもらったと >全世界でレコードの売り上げは500万枚以上に達した。
こういうデマが未だにまかり通るんだな
アメリカでは宇多田以下のチャート順位
イギリス欧州ではチャート圏外なのに
どこでそんなに売れたんだよ https://www.joqr.co.jp/qr/article/76334/
なぜか川添象郎氏は1/3の20:00〜文化放送で1hの特番が
OAされていた、かなりフガフガしていたけどお元気そうでなにより 小学生の頃はクリスマスイブの人くらいの印象しか無かったけど音楽色々聴くようになってシティポップとかにハマるようになって
50年前にこんなレベルの音楽やってたのか!って感じでやっぱり山下達郎さんや大滝さんの凄さを分かるようになってきたけど
高橋さんの凄さもいつかは分かるんだろうか。まだテクノっていうジャンルは自分は通ってないんだよな アルファ以前にアルファ出版を1969年から山上路夫とやっててそこで赤い鳥とかで大村憲司やポンタとかあと森山良子とかみんな村井チルドレン的なのね 幸宏かっこよかったよなあ。YMOで一番オシャレだった。あんな風に歳を取りたいと思ったけど…
葬儀で流れるのはエピローグか、今日の空か… >>905
おじいちゃん!それ昨日も書いたでしょ!! https://www.joqr.co.jp/qr/article/76334/
唐突に文化放送で1/3の20:00〜OAされた川添象郎氏特番
は面白かった、本人はかなりフガフガしていたけど ヤマハのアコギの安いのでも大卒初任給くらいした時代に音楽やってた人はお金持ちの家のお坊っちゃまだよ ボーカルがいないバンドは、基本的にほとんどマイナー音楽として扱われるけど、YMOだけなんか別格だよね。
ボーカロイドなんかもテクノだけど、どんなに影響があってもマイナー扱いだった。 >>533
トノバンと安井かずみについては島崎今日子の「安井かずみがいた時代」が詳しい
安井かずみがガンになってトノバンが看病に尽くしたのは事実なんだけど、安井かずみが亡くなってすぐに六本木の豪邸の前に安井かずみの私物が大量に捨てられてたと
トノバンは安井かずみの写真も全部捨てたらしい
で、たいして間も開けずオペラ歌手と再婚したけどまた離婚した
吉田拓郎の証言とかも出てくるんだけど、トノバンって孤独な人だったのかなと思った
精神的な部分が幸宏にも通じる気がしたんだけど、幸宏はせめて自●じゃなかっただけよかったと思いたい >>392
二部のエド山口とユキヒロさんとで釣りの話で仲良くなってたことにほのぼのしたなー
ユキヒロさんのANNではSETが来て変な寸劇やってたのが中学生の自分には楽しかった
二部まで聞くと怪談コーナーが始まり深夜なのもあってガチで怖かった >>915
ながら健一はベンチャーズが好きでエレキバンドをやりたかったが、
金がないのでフォークにしたと
フォークなら生ギター一本で四畳半や川原でも練習出来るし
武田鉄矢もそんなことを言ってた 78年の海外のみで発売と記してるが、これが大騒ぎになる導火線だったような。
学歴じゃないよ 作品でしょ 安井かずみは若い頃フェラーリに乗ってて、
ある日事故で廃車になったが、
「また買えばいいわ」とすぐに買い直したとか。
売れっ子作詞家で金があったのね。 教授は芸大作曲科卒でも別格なの当たり前。次元が違う。
クラシックの連中とか作曲やらしたら プッ てのばっかよ。 川添さんFacebookで友達だわ
なぜかある日向こうから友達申請が来た >>900 矢野さんの雰囲気とか好きだし、精力的な音楽活動だけど
エホバ信者という噂がありちょっと微妙
いわゆるカルトと思うから じじいがうろ覚えで適当な事を書きっぱなししにするスレになっちゃってるな。 >>751
FM東京でボトムラインで行われたライブを放送する番組があって、YMOのライブも度々再放送されてたんだよね。
それと聴き比べると、フェイカホリックもだいぶ修正加えられてるのがわかる。 >>854
ペリー&キングスレイの片割れジャン=ジャックペリーもモーグによる曲を量産、70年代日本のTVジングル等で使われていた(例:アニメ星の子ポロン)のも付け加えたい >>899
シングルでは長らくソウルドラキュラがオリコンのヒットチャート記録だったが坂本龍一のウラBTTBが抜いた アッコちゃんがエホバ関わったのって教授の浮気とかで悩んでる時じゃなかったっけ。 >>918
自分もそれ読みました
加藤和彦は、孤独もあったかもだけど
多額の借金もあって自ら、じゃなかったかしら >>927
あったあった
小林克也だったけ
でもYMOを聞いた覚えはないな >>920
フォーク世代より前の世代の人達は米軍のベース周りやっててドルで給料貰ってたから
当時の日本の水準よりは遥かに金持ってたみたいね
加部正義も「自分もベース回りしてたから外国製の楽器買えた」って自伝で書いてた >>927
今だから言える
ライブ音源を新たに発売する時は幸宏が録り直しを行ってる >>925
あっこちゃんは噂ではなくほんとにエホバだよね ファッションや色んなヴィジュアルがダサかったらこれほど売れてなかったかも ピストルズっぽい 小林克也は昔から英語はネイティブ並みと評価されてた
やはりボンボンだったんだろうか >>931
あーそうかも知れないね
教授から、子どもたちにまで暴力振るわれていたはしいからね
しかも美雨の兄の風太は坂本の子じゃないからか?坂本から暴力を振るわれていて全くメディアに出ない
仕事も音楽関連でなく航空関連??だとか、確か >>938
ああ、すまん。
コレは出ていないやつ or2 やはり幸宏のファッションセンスが無かったら、お宅ファッションだったかもしれない >>883 自己レス
元オフコースの鈴木ヤスさん 東京工大 打ち間違い、失礼
坂本は引率→院卒
>>934 フォーク勢だけど、東大、東大院の小椋佳とかいろんな人がいるわ
加藤登紀子、小沢健二も東大 >>941
大学かなんかで福山から出てきてバイトで
外国人観光客相手してマスター
でなかったかな 細野さんと教授の学生時代のファッションって貧乏学生と変わらんかったから 幸宏によってそこから脱したっぽい 邦楽グループ板ではYMOおじさんたちがクイズを出し合っている パルコのブリックスで奮発してシャツ買ったの思い出した。 >>941
FENを聞いて必死に英語を勉強したんだよ もう、家族葬で葬儀は済んだそうだが、お別れの会はやるのだろうか? 確かにそれしか生の英語に触れる環境なかったよな
でも克也さんて語学の天才でしょ
幸宏もだけど 矢野のグッドイブニングトウキョウのライナーノーツに
エボバの神に感謝する
みたいな意味の英文があったよ >>949 てか高橋さんちの父が社長で、ちょっと特殊みたいだもんね
お姉さんが服飾業界で有名な広報ウーマンかなんかで、テレビの特集をたまたま見たけど
子供の頃から着る服が基本、オーダーメイドだったとかどんだけ
教授がサヨだからって文句言う人もいるけど、都立高校に私服が多い?のは、あの時代に学生運動して
私服着用を求めたからなんだって ご本人も言ってたと思う
地方なんていまだに制服で規則が多い事も多く、普段着ぽい私服でも自由な感じはするw >>941
小林克也の発音は典型的な日本人発音だよ 男は着古しだから。ファッションに敏感な人に出会うと偉い影響受けるよ
ymoロゴのライブ用開襟シャツあったけど凄いセンスよかったな
確か幸宏のデザインだったとか聴いたことがある 日本人が聴いて「ネイティブっぽい」けれど、日本人発音 >>949
坂本の本に書いてあったな。幸宏にファッションを教わったみたいな事が >>932
加藤和彦は金欠
死亡時も六本木の自宅を売りに出したまま売れ残ってた >>960
確かピータバラカンだと思うけど、ほぼ完璧だけどたまにボロが出るって言ってた >>961
幸宏いわくYMOの衣装は学生服だと
赤い人民服は詰襟の学ラン、2回目の世界ツアーの開襟シャツは夏服バージョンだと >>960
>>968
本人も「日本語も英語もたまに訛るんだよね」とか言ってた
そりゃ仕方ないわ このスレを読んで加藤和彦という人のイメージがかなり悪くなったなw >>964
教授、後藤次利、大貫妙子は分かった。他は分からない >>527
凄い事だよな。彼だけは認められるから彼をドラムでYMO見たいけど
歌ものはユキヒロ居ないと全滅だわ。 加藤和彦はYMOが参加したヨーロッパ3部作が
最高にいいよね
加藤が亡くなったあと聞いたんだけどさ
聞くまではヨッパライのおじさん程度の認識しかなかった >>972
でもトノバンがいたから幸宏がミカバンドから連なる華麗なキャリアを築けたのは事実だからね
トノバンが幸宏を表舞台に出した
トノバンがいなかったら幸宏は器用なスタジオミュージシャンどまりで終わってた可能性もある >>935
今80代で当時米兵相手のお店でピアノを弾いてた知り合いがいるけど聞いたら
大卒初任給が7,000円の時代に毎月40万円位ギャラがあったと言ってたよ
他にも小林亞聖さんとか吉川忠英さんなんかが当時の話をしてるのを見た事があるけど
当時の米軍相手のミュージシャンはちょっと勤め人では稼げない様なギャラを貰ってたみたいだね >>15
幸宏さんのオールナイトニッポンの
オープニング曲が
ロキシーミュージックの
More than this じゃなかったっけ? >>978
1ドル360円だし
その頃の日米のGDP比も今とは比べ物にならないしな >>977
ワイがサイン貰ったことのミュージシャン3人のうち2人がユキヒロとトノバンなんだよね…RIP >>942
矢野誠に気を使ったのか、デビュー当時の美雨によると、ピアノのレッスンで教授は風太の方が美雨より才能あると誉めてたって話してた。
風太、航空会社CAやってたけど、アメリカで起訴されて裁判というのを読んだ。 >>972
加藤和彦は安井かずみが亡くなってから、
全ておかしくなった
安井かずみ死後は周りがいくら勧めても、
ソロアルバムを出さなくなったし、
浪費にも拍車がかかったみたい >>976
自分は三部作では「うたかたのオペラ」が好き。1番好きなのは「あの頃、マリー・ローランサン」三部作と言えば大貫妙子も好いかも >>959
知り合いに幸宏さんの高校の同級生だった人がいるけど良い所のおぼっちゃんだって言ってたよ
お坊ちゃんと言っても変な意味じゃなくて育ちが良いという意味ね >>719
坂本龍一がYMO引き受ける条件は
他の仕事をやった空いた時間で
じゃなかったか ミカバンドといえば今日のスッキリで音楽評論家のスージーなんとかって人がカエラの話をしてくれたのはよかった
カエラがミカバンドに入ることになってイギリス人の自分の祖父に連絡したら、「カエラ、ミカバンドでやるなんてすごいじゃないか!」とイギリス在住の祖父がミカバンドを知ってたって話ね
74年のアルバム黒船は当時から有名だったクリス・トーマスのプロデュースで英米でリリースされていて、75年にロキシーミュージックと一緒にイギリスをツアーしてテレビや新聞雑誌に出てプロモーションしたから、音楽好きなイギリス人ならミカバンドを知っていておかしくない
そしてYMOがイギリスをツアーしたときは「あのミカバンドの高橋幸宏が今やってるYMOだ」と注目されたって話
あのエピソードは一般人に幸宏の功績を説明するのにわかりやすい
https://youtu.be/hd5ztTz1564 高中正義「ユキヒロのことは高校時代から知ってたよ。
月に十万円も服を買うと有名だったよw」 >>980
そう
今とは経済的な前提条件が全く違うからね 幸宏はファッションだけでなく
教授や細野さんとの軽妙なトークの掛け合いなんかも最高だった。
ユーモアやジョーク、漫才も通じる豊かな人だったな
サウンドストリートは録音して何回も聴いてたな YMOのアルバムの中ではBGMが最も高橋幸宏っぽさが出てるというのが俺の調査で分かった >989
黒船は名盤だが、クリス・トーマスのせいで加藤和彦とミカが離婚、そしてバンド解散につながった。 >>980
ひとまず1ドル=15円
実は大戦直前は1ドル=4円25銭だった
それから比べると大幅な円安に設定された
敗戦直後のインフレで1ドル=50円
1ドル=360円となったところで、1949年4月
固定化
以後ニクソンショックまで22年間1ドル=360円
今から見るとたつたの22年間だね 加藤和彦の本によるとスティングにあったときに、
「ミカバンドのライブをイギリスで見た」と言われたとか。
ロキシーを観に行って前座のミカバンドを観たと。
前座なのに記憶に残るのがすごい。 >>976
加藤和彦もヨッパライとタイムマシーンにお願い持ってるんだから凄いよな。自殺とか持ったいない。 >>994
それがミカの方からと書いてたやついたよ
オレも女の方がより強いやつになびくだろうとは思う このスレッドは1000を超えました。
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