先に断っておけば、今回取り上げるシンガー/ユニットは、実際に覆面をしているわけではない。「顔出し」していないシンガーやユニットが、ここ最近、増えてきており、そこに私は、新しい音楽シーンへの芽を見るのである(顔出ししないことを「覆面」と表現したくなるのは、昭和プロレス世代の性(さが)だ)。

 代表はAdo(アド)。『うっせぇわ』を歌う女子高生シンガーとして、2020年にブレイク。22年は映画『ONE PIECE FILM RED』の関連楽曲がチャートを席巻した。

 また「ずっと真夜中でいいのに。」という名の「覆面ユニット」も話題である。「ずっと〜」がユニット名、通称「ずとまよ」。他にも、目隠しをしたシンガー=yamaや、男女2人組のヨルシカも定評を得ている。

 ちなみに性別について、Ado、ずとまよのボーカル=ACAね、ヨルシカのボーカル=suisは全員女性。yamaは未公表(なので、以下「彼女ら」とくくることにする)。

「顔出しだけはしない」という戦略

 では、なぜ顔出ししないのだろう。まず前提として、先の「覆面シンガー」たちの音楽性、特にボーカルの実力はおしなべて高水準である。特にAdoの声量は素晴らしく、昭和プロレス世代的に言えば、あの頃の岩崎宏美や、デビュー直後の松田聖子を彷彿とさせる。

 加えて、彼女らは、「覆面」にもかかわらずライブ活動も活発で、またインタビューも積極的に受けている。つまり「実在性」は十分に担保しつつも、ただ顔出しだけはしていないという戦略であり、いわゆる「バーチャル・アイドル」とは根本的に異なることを確認する。

 話を戻すと、顔出ししない理由として、まずは話題性獲得があろう。このあたり、同様に当初、顔出ししないことで、一定の話題性を獲得しながら、突然、メディアに姿を見せることで、一気にブレイクしたYOASOBIの影響が強いはずだ。

「顔バレ」は強烈なストレスの種になる

 面白いのは、「覆面シンガー」たちの顔の流出画像を掲示したサイトがやたらと多いこと(「顔バレ」という)。もちろん、そのほとんどはデマだと思うのだが、重要なのは、「隠されると見たくなる」という心理が、彼女らの話題性獲得に、大きく影響しているだろうということだ(なお、Adoについては、22年4月のライブで顔出しをしたと報道があったことを付記しておく)。

 次に「顔出しするといろいろ面倒」という消極的理由も、もちろん考えられよう。日本はツイッターの匿名率が高いと聞くが、アカウントを匿名にしていても、妙な言いがかりにげんなりしたことがある読者も多いはず。そんな日本において、「顔バレシンガー」として、街角で指をさされ、サインをねだられ、場合によっては白い目で見られ……というのは、強烈なストレスの種になるだろう。

 ちなみにAdoはサイト「Real Sound」のインタビュー(21年10月19日)において「私の歌がバンバン流れてる薬局とかで、『すいません、これください』って普通に生活用品買ってる」と答えているので、「覆面」の効果は絶大のようだ。

 3つ目の理由として、そもそもがネット発、つまり匿名メディア発のシンガー/ユニットだということ。多少の違いはあれど、彼女らは、アマチュア時代、顔出しをせずにネットに上げた作品が話題を呼び、その流れで、メジャーレーベルと契約しブレイクというルートを辿っている。

 逆に言えば、顔出しが前提の、リアルな場としてのオーディションやライブを経由しない、言わば「純粋覆面性」を、音楽活動の端緒から保ち続けていることになる。

「リアルよりリアリティ」は、ハイロウズの『十四才』(01年)という曲の歌詞だが、「リアル」を一切経由せず、言わば「リアリティ」だけで勝ち残ってきたのだから、そもそもが顔出しをする必然性など、どこにもないだろうという気分でいるはずだ。

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https://bunshun.jp/articles/-/59251?page=3