>>167
でもチェッカーズってすごい沢山テレビに出てたから、ずっとヒットしてるかのような印象があるけど、一番売れたのがジュリアに傷心の70万枚で、
Song for U.S.A以降はONE NIGHT GIGOLOや素直にI’m Sorryの知られてる曲でも10万枚台、夜明けのブレスですら20万枚台だった
そのセールスが30万枚届かない解散までの数年間、あの大所帯だからスタッフも相当抱えてたと思うし、プロ作家を拒絶した手前、台所事情はなかなかだったと想像できる
楽曲制作に関わってなくて手も空いてるし精神的余裕のあったボーロは、
ドラマやバラエティにだいぶ出ててラジオも始まってたしCMも出てて、タレントとして1人食っていけそうな下地ができてた
実際ボーロ本までは仕事続いてたし
だから食っていけない云々は書いた段階では本当にユージやクロベエのことを浮かべて出た台詞だと思うよ
ユージも役者業が結構入ってたから、どちらかと言えばクロベエかな
亡くなったクロベエはチェッカーズ解散後に自分でバンド作ったけど上手くいかず事務所決定で解散して引退状態でトラックの運転してたから
その段階では鶴久だけがクロベエに声掛けて自分のレコーディングに参加させて音楽が途切れないようにしてた
で、ボーロ本の数ヶ月後に鶴久抜いた楽器隊がアブラーズ活動を始めてクロベエを呼び寄せて、その翌年に実際に芸能離れてたクロベエが亡くなってしまう
ボーロの性格がクソだとしても、ボーロ本は痛いとこを突いた内容だったんだなって側面はあると思うわ