2022.10.02(Sun)

杉田 康人

 新日本プロレスのリングアナウンサーを務めていた田中ケロ氏(63)が1日、都内でよろず~ニュースの取材に応じた。数々の名勝負をコールし、リング上の最前線で猪木さんを見てきたケロ氏は
「時間が経つにつれていろいろなことを思い出し、涙が浮かんできた。こんなに早く逝くとは思わなかった。やっぱり早いですよね。もう一度、満員の東京ドームに立ってもらって、猪木会長をコールしたかった」と、突然すぎる別れを惜しんだ。


 2021年8月にコロナが重症化し、約半年間入院。何度も3カウント寸前まで追い込まれたケロ氏は退院後の3月、都内で猪木さんと対面し「お互い、生死の境をさまよった仲だからな」と声をかけられたという。
関係者から「調子があまり良くない」と近況を知らされていたが「また歩けるようになると思っていた」と、燃える闘魂の完全復活を信じてやまなかった。

 ケロ氏は大東文化大在学時、大学の卒論作成のため新日本プロレスを訪れた際「リングアナを探している」との情報を耳にし、履歴書持参で入社を直訴。1980年(昭和55)の8・22品川プリンスホテル・ゴールドホール大会で、リングアナとしてデビューした。
「新間寿さんに連れられて、あいさつした時は『おおそうか、頑張れよ』と声をかけられた。顔がでかくて、目が大きな人だと思った」と初めての出会いを述懐する。

 リングアナとして、さまざまなアイデアを提案し実践したケロ氏。猪木さんからとがめられたことは、一度もなかった。「けっこう自由にやらせていただいた。
コールに前口上を取り入れた時も『良かったな』と。身長体重のコールをセンチ、キロに変えた時も、何も言われなかった。猪木さんだったからできたこと」と懐の深さを振り返る。

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