「日本のヒップホップクイーンに」 沖縄生まれのAwich
10/2(日) 12:02 AFP=時事
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千葉県の蘇我スポーツ公園で開催された「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2022」でステージに立つAwich(2022年8月11日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News
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【AFP=時事】私が日本のヒップホップクイーンになる──そう表明する沖縄出身のヒップホップシンガー、Awich(エイウィッチ、35)。反抗的だった10代でラップと出会い、米国で結婚し、その夫が銃で撃たれて死亡するなど、波乱万丈の人生を送ってきた。

 ファンに伝えたいのは「自分自身のストーリーを受け入れる」こと。「そうやって私自身も世の中と向き合う強さを身に付けたから」だと言う。

 ステージネームのAwichは、本名「亜希子」の漢字の意味を英語で並べた「Asian wish child」の略だ。10代の頃からラップを始め、沖縄のアンダーグラウンドのクラブで活動を開始した。

 今年、アルバム「Queendom」でメジャーデビュー。ファッション誌ヴォーグ(Vogue)日本版で取り上げられ、東京・日本武道館で初の単独ライブを行うなど飛躍の一年を迎えている。

 しかし過去には、活動を続けるのは難しいのではないかと思ったこともあるとAFPに語る。「自分が(ヒップホップ)クイーンだなんて、ずっと言えなかった」

「今チャンスに恵まれて、私の音楽、私の歌、私の言葉にこんなに共感してもらえて…すごいことだと思う」

 メジャーアルバムのタイトルソングになっている「Queendom」では、19歳で米ジョージア州アトランタ(Atlanta)に移り住んだこと、そこで夫となる人と出会い、その人の死を経験したこと、日本で娘を育てるようになったことなどを歌っている。「私の人生を数分に凝縮したような曲」と言う。「だから歌うたびに、まるでジェットコースターみたいに感情の起伏がある」

 ステージ上のAwichは、束ねた長い黒髪を大きく揺らし、あふれんばかりの自信をみなぎらせる。これまでの日本の音楽シーンとは「異質のエネルギー」でオーディエンスを挑発する。

 自分にとって大切だと思うテーマについて発言することに躊躇(ちゅうちょ)はしない。反人種差別を唱える「Black Lives Matter(黒人の命は大切)」運動に参加し、また日本の女性は「かわいい」存在であるべきだという考え

■2パックとの出会い

 教師の父と料理人の母の間に「浦崎亜希子」として生まれた。墓地に囲まれた、沖縄の大きな古い家で育った。

「沖縄はとてもスピリチュアルな場所」だと言う。「毎晩寝ようとすると、部屋の中に何か気配を感じて…それで一晩中、いろいろなことを書いていた」

 14歳の時、米国の伝説的ラッパー、2パック(2Pac、本名:Tupac Shakur)のCDを聴き、夢中になった。そのリリック(歌詞)を勉強しながら自分の日記や詩に韻をつけていった。

 5年後、アトランタの大学に留学する。在日米軍基地の約70%が集中している沖縄で「米国文化に囲まれて育った」影響もあったという。

 戦争で大きく傷ついた沖縄。親戚には第2次世界大戦(World War II)で戦死した人もいる。祖父からは、米軍基地に忍び込んでスープの缶詰を盗み、貧しい近所の人たちと分け合ったという話を聞いたこともある。

「でも子どもにとってみれば、フェンス越しにアメリカの子どもたちの遊ぶ声が聞こえたり、遊んでいる場所が見えたりする。いろいろなものがカラフルで大きくて。みんなとてもフレンドリーなんだ」

「私たちはそういうことに複雑な気持ちを抱いている。それが、沖縄」とAwichは言う。「すべてが矛盾している」

■「怒りと悲しみ」

 Awichはアトランタでアフリカ系米国人男性と結婚。曲のリリックにあるように「刑務所を出たり入ったり」を繰り返していた夫は、銃で撃たれて命を落とした。

 まだ小さかった娘を連れて日本へ戻ったが、最初の2年間は「孤独で、途方に暮れていた」と話す。ただ「怒りと悲しみに向き合うため」に詩を書き続けた。