猪木さん死去 長州力が追悼「やっと解放されましたね」「まさに闘魂そのものでした」 [爆笑ゴリラ★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
10/1(土) 12:29配信
デイリースポーツ
猪木さん死去 長州力が追悼「やっと解放されましたね」「まさに闘魂そのものでした」
元プロレスラーで、元参議院議員の“燃える闘魂”アントニオ猪木(あんとにおいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ=)さんが1日7時40分、心不全のため死去した。79歳だった。
プロレス界からは続々と追悼する声が届いた。長州力はツイッターで「やっと解放されましたね。リングを降りても貴方は闘魂アントニオ猪木でした。まさに闘魂そのものでした。猪木さんどうか安らかにお休みになって下さい」と追悼した。
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20221001-00000062-dal-000-4-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/284795eefb4f77a12c5c38c8157d84cb826f600c 長州がジャパンプロレスで独立してライバル全日本に移籍した時に
ようやくゴミが片付けれましたみたいなことを言ったのが猪木
めっちゃ腹立ったんだろうな 解放か
最期の方は本当にキツそうだったもんな
よく頑張った 長州は丸くなったよなあ
いまじゃ地方ロケしてラーメンまで食っている 解放されましたね…か。
端からみてて、色々思うこともあったんだろうな。
猪木自身はそれが好きでやってそうだが 長州と猪木はYouTubeの動画とか見ると今じゃ普通に和やかだよな
色々あったがお互い人生の晩年だから戦友みたいな感じなんだろう
長州が武藤の車椅子押して旅行行く動画はなんかせつなかったが >>7
そこまで言われても、猪木に戻って来い!言われたら戻るんだから、やっぱりカリスマだよ 自分の記憶が確かなら、WJ設立する為に猪木のことを
人間性から否定するレベルでボロックソにこき下ろして新日辞めてったよな?
宮戸とか橋本に対する茶番紛いのと違って相当辛辣だった覚えがある 近所に猪木というやつが住んでたけど
飼ってた犬の名前がリキだった 日プロ出身の生き残りももうかなり少なくなってるよね。坂口と藤波くらい? >>22
たしか人格破綻者呼ばわりしてなかったかな。まぁそこまで言った本人も放漫経営でWJ潰したし、経営者の立場も経験したからなのかも 消臭剤からリングネームをつけるとか
お茶目な人だな 迷わず行けよ行けばわかるさ
に影響受けて方向転換したら失敗したんだが >>22
北朝鮮興行は長州は「会長(猪木)の道楽には付き合わねえ」スタンスだった
新日は興行を決めたが資金が危うくなり頼ったのが長州の個人タニマチ
「触らねえ」スタンスの長州なのに手形の裏書きを求めらる 明日のスポーツ紙みて
泣きながら紙面飾ってコラって言ってほしい >>30
アントキの猪木のツイッター見てきたらトップバナーが猪木とのツーショットだった
そして佐々木朗希のそっくりさんのツイートにリツイートしていて草 >>17
俺は長州が橋本の事を「ブッチャー(橋本)はもったいなかったな。
生きてれば色々出来たのに本当にもったいないよな。」
って言った時、涙が出た。 >>22
あれは猪木が「会見で俺のことをボロクソにこき下ろせ」と言われたから >>39
プロレスラーのセリフってどこまでガチなのか分からんのよな ドラゴン藤浪の噛ませ犬で、全日本に逃げたレスラー? >>40
ジャンボのコメントとれるやつは書き込めないだろ >>34
当時長州は韓国籍だったからだよ
北朝鮮で韓国のパスポートだと
なかなか帰してもらえないとの噂があってよ
それでイベントには協力するが自分は行けない 長州の売り出しアングルは猪木が考えたらしいし
やっぱり恩人だよね 猪木はカネが絡まなければいい人ってのはよく言われてるからな。
虐めしないし。 >>10
普通に対談までは行かなくても前田と並んだり
現場監督時代は確執のあった蝶野や武藤と仲良く自分のチャンネルでBBQしたり
高田と健介とは流石に絡らんで無いけど 長州と天龍にはピンフォールをくれてやったけど
藤波にはピンフォールを許さなかった
それくらいボンバーズを猪木は警戒していた...
なんてねwwww 長州、何言ってるか聞き取れないんだけど言ってることは深いんだよな。怖いけどかっこよくて可愛いおっさん >>37
チンタには色々言い過ぎたとも言ってたな
性格ほんと丸くなったな長州 >>54
高田は高山の見舞いに行った時Uインターのメンバーと高山と一緒に写真撮ったのがねとらぼとかで記事になってたよ >>51
何を思い込んでるか知らんが、普通に対談しとるわ。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1349718787213/
>1973年に新日本プロレスへ入門した長州力と、1980年に入門した高田延彦。キャリアにして7年の違いがある両者によるトークショーが、
>10月5日に新宿にて開催されている。 長州はやっぱコメントが秀逸だな
解放されたって、まさにこれ
多分藤波はツマンナイコメント出すから >>37
橋本はダメだよ、プロレスラーとしてもワンパターンだし、練習もしないから身体はだるだるだったしな。
摂生もせずに飲み食いしてりゃ長生きはしてない 猪木と少しでも関わった人間は感謝だけではない複雑な感情を抱いてるから、このコメントが最適 >>39
だよな
じゃなきゃ猪木の影響薄れてたと言えども新日には戻れない お前はなかなか死なないよな…
しぶといと言うか無駄に長生きするなよ >>37
正直、橋本は良いときに死んだんじゃないのかな
あのまま生きてたら悲惨な最後になってそうな気がする プロレスラーにしては長生きだったな。力士やレスラーみたいな若いうちから身体ぶつけ合ってるのはガタが来るの早くて早死多い >>80
全く同じ事書きに来たわ
病に勝てる人は無し、人はいつか死ぬもの
闘いに生きた人だったね >>7
長州
「面白い話してやろうかあれ
猪木さんが出ろって言ったんだよ」
前田「嘘でしょ!?」
そんなんなかった?
詳しくないから良く分からんけど 新日本プロレス、創設者・アントニオ猪木さんを追悼「ご冥福を心からお祈りいたします」
アントニオ猪木さん死去、格闘技界から追悼の声が続々…高田延彦氏、大仁田厚、永田裕志ら悲しみつづる
藤波辰爾、師匠・アントニオ猪木さんの訃報に「猪木さんのカバン持ちをさせてもらって幸せな男です」
新間寿氏、アントニオ猪木さんの訃報に「猪木寛至さんはお亡くなりになりました。しかしアントニオ猪木は亡くなりません」
永田裕志「信じられない…混乱してます」師匠のアントニオ猪木さん死去に悲しみつづる 長州は長生きしろよ
あんただってもうご老体なんだから >>82
武藤が全日に行ったのも猪木の命令なんだってね 今から38年前の1984(昭和59年)年9月20日、大阪府立体育会館で行われたアントニオ猪木VS〝兄錦〟アノアロ・アティサノエの異種格闘技戦(5R猪木が延髄斬りからバックドロップで勝利)を取材。
翌日、新幹線で帰京の途に就くと、しばらくして、会社の先輩記者を呼び出す車内放送が聞こえてきたのだった。携帯電話がまだない時代、専用番号107で「列車着信通話」ができた。
「Nさんもこの新幹線に乗っているのか…。会社から電話って、何かあったのだろうか」。そう思いながら、社に上がり東スポ紙面を手にすると、1面は猪木の試合詳報。そして、サイド記事の見出しを目にして仰天した。
「新日興行、長州ら5人引き抜く」
長州力、アニマル浜口、谷津嘉章、小林邦昭、寺西勇の維新軍5人が、新日本プロレスを脱退して新日本プロレス興行KK(大塚直樹社長)へ電撃移籍するという驚きのニュースだった。車内電話でN記者が呼び出された理由はこれだった。
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/239681
https://tokyo-sports.ismcdn.jp/mwimgs/3/0/880w/img_3099f037edf17bcaa754d96b8a545f53173999.jpg 話を聞くと、この日11時5分に東京・築地の東スポ本社に大塚社長から「午後3時、キャピトル東急ホテル、月光の間で緊急記者会見を行います」と連絡が入ったという。そして、「新日プロ5人の選手の当社入りが決定しました。現段階では名前は公表できません」と言って電話は切れたそうだ。
この時間は、新聞発行(通常のA版)は既に終わっている状況。しかし、業界を震撼させる事件に、急きょ版替えの〝追っかけ〟発行を決定し、これまでの取材状況を踏まえて5人を特定して原稿を執筆したという。サイド記事「血戦を斬る!」の部分を差し替え、輪転機を回したのだった。
15時からの会見にはN記者と駆けつけたが、他社の記者も心配するほど、新日プロ担当だったN記者の落胆ぶりは顕著だった。
会見が終了してからN記者は長州に単独取材。「昨夜まで噂をきっぱりと否定していたが、わずか何時間で事態が急変したのか」との〝恨み節〟とも思える問いかけに、長州は開口一番「先輩、すいません」。N記者は専修大卒で長州の先輩だったのだ。
そして、「俺の苦しい胸の内をわかってほしい。弁解をするつもりはないが、大阪大会が終わった後、大塚社長と話し、新日興行に役員として入社することを決めた」と明かした。
会見前の14時50分には、南青山の新日プロ事務所に5人の退社届が届けられ、一読した坂口征二副社長は「タヌキ5匹に騙された」と激怒する一幕もあり、寝耳に水の移籍だったことがわかった。
同月25日には永源遙、栗栖正伸、保永昇男、新倉史祐、仲野信市が追随。27日に米国から緊急帰国したキラー・カーンもこれに続いた。 さて、当時、物議を醸したのが猪木の発言だった。9月26日の会見で、「(選手大量離脱は)早めに年末の大掃除ができてすっきりした、ということです」と語ったのだ。
これに、「俺たちはゴミか」憤慨した選手もいた。
ところで、N記者は何年かして猪木に請われ、東スポを退社して新日プロ入りした。数々の仕掛けで、新日プロを盛り上げたが、02年に長州とともに新日プロを追われてしまう。
そして、長州と〝地獄の1丁目〟と揶揄されたWJプロレス設立に奔走することとなる
N記者
http://battle-news.com/news/images/100428_Nagashima.jpg 時期や相性もあんだろうが、ライガーは
「殴られたり、怒鳴られた記憶さえもない」
と言っていたな
力道山がめちゃくちゃだったからそれが反面教師になったか テーメー何をお前らが、お前らがあそこで、お前ら悔しがってんだコラ!
お前のお前だろこの野郎コラ!ふざけんじゃねぇぞコラ!
俺一人でやってんじゃねぇぞコラ!
お前ら選手会の問題だろうがコラ!この野郎テメェら!
蝶野だろうが、越中だろうが、山本でも、お前らだろうがコラ!
俺の体は、一つしかねぇんだぞコラ! >>82
それ全部長州のウソ。
全部明らかになってる
めんどくさいから詳細は書かない >>98
おまえの正体もおまえがデマばかり流してるのも
全部明らかになってる
めんどくさいから詳細は書かない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています