松任谷由実、「潮が引くように人気も動員も落ち…」改名で苦悩吐露「開き直って模索しだした。荒井由実を絶対超えるんだって」 [muffin★]
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https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/09/26/kiji/20220926s00041000324000c.html
2022年9月26日 12:28
シンガー・ソングライターの松任谷由実(68)が25日放送のテレビ朝日系音楽バラエティー番組「関ジャム 完全燃SHOW」(日曜後11・00)にVTR出演。「松任谷由実特集」として、本人への独占インタビューが行われ、松任谷自身が曲や音楽にまつわる様々な質問に答えた。
コメントを寄せた人気ロックバンド「King Gnu」の常田大希から、「荒井由実から松任谷由実に変わったことでの変化はあったか」という質問が。
76年11月に4枚目のアルバム「14番目の月」をリリースし、9日後の11月29日に音楽プロデューサーの松任谷正隆と結婚。荒井由実から「松任谷由実」に改名した。
ユーミンは「自分で言うのもなんなんですけど、すごいブームだったんですよ荒井由実が。結婚した途端、潮が引くように人気も落ち、動員も落ち…逆に開き直って模索しだした。前やってたことは忘れて再出発みたいな気持ちにもなりました」と回想した。
78年に結婚後初のアルバムとなる「紅雀」をリリース。「結婚して1枚目のアルバムは渋いアルバムだったんですけど、大人の女を目指そうとして。あまり成功したとは言えないんですけど、後で聴いてみると、『なんかこの世界いいな』って思うものもけっこうあります。やっぱりショービズの世界っていうのはまず名前っていうことに気づかされた。松任谷由実になって、地方のポスターに“元”荒井由実って書いてあるんですよ。でも、それがモチベーションにもなりました。音楽的な雰囲気を含めて、荒井由実を絶対超えるんだっていうね。心の底ではずっと思ってました」と当時の心境を振り返った。
続きはソースをご覧下さい 最初から松任谷の方で認識してたから前は名字荒井だったんだーって感覚 >>3
荒井由実のファンはオタク少年たちみたいなのが中心だったとか 今の曲の評価は別にして、ちゃんと新曲を作ってるのが偉いよね
現役であることの大事さを感じる 中島みゆきとペアみたいな扱いは80年代半ば以後
荒井時代は谷山浩子イルカあたりとひとくくりの扱いだった バブル終わり頃からユーミン聴き始めて、新しい順に遡って聴いてたんだけど、荒井由実って名前も違うしどうせ古臭いんでしょ? とかなり長い間聴かずに敬遠してた
ある日駅前で売ってた非公認の荒井由実ベストを何となく買って聴いたら、まったく別の宇宙が広がってて衝撃を受けた
やっぱりこの人すげーな、と >>15
それ金子マリ
80年代以降のライブ演出は国内では米米を除けばNo.1であり続けてたでしょ
ライブビデオもヒプノシスが関わってた時期のものは
すさまじい迫力があった アイドルと違いシンガーソングライターなら改名自体は大した痛手にはならないだろ
荒井とかいう質素な名字より松任谷の方が断然いいわ 荒井由美時代は活動期間が短いのもあって捨て曲がないんよ
4枚の全アルバムがベスト盤みたいなもんだからな まるでアイドルかのような話w松任谷の方が特別感あっていいよね 荒井由実の透明な感じの青春と松任谷由実の恋愛歌、それぞれ好き >>19
同じかも。バブル崩壊後に中古レコード屋で投げ売りされていた
ちょうど孔雀らへんのLPを買ってみてからどんどん荒井由実時代に
遡って聞いた。
それまで学校でユーミンの大ヒットした楽曲は合唱で歌ってたんだけどね。
荒井由実時代を知らなかった。 アルバムは"COBALT HOUR"、シングル曲は"ナビゲイター"が好きだな >>18
そんなことなかったよ。荒井由美は頭二つ三つ抜けて人気も評価も高かった
リアル世代だから知ってる 80年代以降のシティポップなんて山下達郎かユーミンのフォロワーだらけ Valentines RADIO
という曲が最も優れているのだが、
そのように言う者は、他に誰もいない。 曲も売れなくなってバブル弾けても無駄にド派手なステージ演出して曲の世界観もクソも無いライブ続けて高額チケット乱発して飽きられた人
みゆきさんとまりやさんの足元にも及ばない 「紅雀」いいアルバムだと思う
荒井時代より初期の松任谷時代の方が好き この人デビューしてからずっと途切れず売れてるのかと思ってたわ >>44
いや、本人がそう言ってるだけで他の人に比べたら
ずっと売れているでしょ。 松任谷由実「潮が引くように人気も動員も落ち…」
他の歌手「しばくぞ」 ルージュの伝言の動画で本人が一人何役もするのがあるんだけど何の番組の動画か知ってる人いませんか?調べても分からなくて
https://youtu.be/iH32qCUowew しかも本人があまり表に出てない時期は
トップアイドルに楽曲を提供していたというw ユーミンの曲で唯一大好きなのが「情熱に届かない」キリンラガーのCMが好きだったってだけかもだけどね ユーミンみたいに長年第一線で活躍していた男性歌手は吉田拓郎くらいか 荒井由実のキャンティ時代が早熟で凄すぎる
デビューアルバム17歳だぞ
同じ年齢でデビューの尾崎豊は晩年は
才能の枯渇が言われていたのに
そんなの関係なくトップを走ってた
ユーミンがオワコンになったのは
世の中におもねりすぎたんだよな
カラオケて歌いやすいような曲を
大量生産して長期的に失敗した ボキャ天の、中央ブリーフ連盟~♪を思い出したけど、つべで探しても見つからんぽいな >>19
そういえばむかしよく非公認アルバム問題とかあったね。
非公認なのに売っているというw
最近はもう聞かなくなったけど。 おニャン子が素人だった時の有名人がユーミンか
踊りとかもなんか似てるんですけどテンポが 売れても普通ヒット曲は20代でしか出せない
何曲か売れてもアルバム3枚も出せば売れなくなる
旦那の才能もあるけど30代以降もヒット曲出し続けたんだからそこはすごいよ >>1
後追いで調べた感じだと
荒井時代はシングル「あの日にかえりたい」がプチヒットして
それ以前よりファン層が広がったんじゃなかったかな
結婚に関しては、本人も当時の世間の常識的に「家庭に入れ(仕事やめろ)」と言われるかもな、と思ってたら
そんな事言われずシングル2枚(潮風にちぎれて&遠い旅路)を松任谷由美名義で出して活動再開って流れだったと思う
本人も正隆も結婚時には、そのまま活動継続すると言明してないんで
ファンたちも単純に当時の世間の常識通りになるんだろうなぁ(=次回作に期待するのは無駄だろうなぁ)と思ってただけなんじゃないのかね >>63
んー、ゆーみんの場合、
思ひ出、思い出ノスタルジー、どれが適切やろか?
ここで悩むってことはやっぱ別格ではあったな ルージュの伝言て知名度の割に6.9万枚オリコン最高45位と売れてないのな 荒井由実の時代に自分が学生だったら邦楽にハマっただろうなあと思う
そういう面では今の時代の学生じゃなくてよかった 松任谷正隆「当時どうしても乗りたい車が3台あってね。それで神様にお願いしたんですよ『カミさんの奴隷になってもいいからどうかこの3台に乗らせてください』ってね。そしたら本当にその3台を買えたんですよ。まあその後ずっとカミさんの奴隷になったんですけど」 >>57
そんな感じ。
なんというか商業チックになりすぎた。 松任谷由実結婚後人気凋落
わかれうたの大ヒットにより中島みゆきの快進撃が始まる
提供曲あばよ、かもめはかもめ、LALALA、窓ガラス、ひとりぽっちで踊らせて、みにくいアヒルの子
しあわせ芝居、追いかけてヨコハマ、20才になれば、化粧
この空を飛べたら、すずめ、春なのに、最愛、カムフラージュ、ロンリーカナリアなどがヒット
中島みゆきのシングル曲もヒット連発
わかれうた、ひとり上手、悪女、誘惑、横恋慕など大ヒット
アルバムの売り上げも中島みゆきの圧勝
寒水魚は年間売り上げNo.1になる
女王の座を守る
松任谷由実は守ってあげたいのヒットまで砂を噛む思いで過ごす 松任谷由実と中島みゆきは聴く層(裕福な層/貧乏な層)が違うってコメント読んでなるほどなーと思った
自分貧乏だから松任谷由実の曲はいまいち響かなかった 音楽に疎い俺は松任谷由実と荒井由実とユーミンが同一人物だと知るのが相当遅かった…
ユーミンと言う芸名の歌手がいると思っていた… 結婚したから当たり前なんだけど
サウンド作りで松任谷正隆の影響力が強くなり過ぎた 歌が下手なやつ程売れたおかしな時代があったんだと?
まあそれがあの下痢壺を生み出した昭和バブル世代なんだけどね?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>75
中島みゆきは小学校の高学年のとき一部の女子が熱狂的に
支持して悪女とかまねして歌ってたよ。 今もツアーやってるけど、アリーナクラスの会場からホール会場へとダウンしてきたな。 中島みゆきど同期か
二人でコンサートとかやらないの?
接点とかないの? 「自分のコンサートに客も入らないようなミュージシャンが、何がチャリティーだって
いうね。
まず芸人として、ミュージシャンとしての市民権を全うしてから、
その余力でやるものだと思う。」
「アグネス・チャン?大っ嫌い!
貧しい、恵まれない子供たちを商売にしないでほしい。』 春よ来いから知った松任谷時代
最初から松任谷由実だった自分は
結婚したら売り上げ落ちるのはしょうがない
歌よりその人自身が好きなファンもいるし
アイドルなんかは特にそうだね
歌手とかはそんなダメージなさそうだけどあるのか 中島みゆきと対比して考えた事無いな
どっちも凄いし >>84
紅白で競演したのがいい思い出で
それが最初で最期になるとの事
お互い年もいってしまった 才能が溢れてるからどっちみち売れちゃったと思うけどな
自分でどんどんいい歌作れるんだもの >>89
それは寂しいね
両方知ってるし同期なんで何か接点あると思ったが 3つに絞ると
楓
Carry On
人生ほど素敵なショーはない 自分は主に80年代のアルバムをリアルタイムで聴いてて
90年代入ってあまり聞かなくなったけど
その頃もずっと世間的には売れてて、自分の趣味が変わっただけだと思ってた
普通は人生の一時期しかピークの才能は発揮できないもんだと思うし
なのに最近出した深海の街がものすごく良くてびっくりした
歌は確かにおばあさんの声で高音もきれいに出てなかったが
こんな経験は他のアーティストでしたことない 才能が枯渇したと言われるのは荒井由実の10代の頃が凄すぎたからだよなあ
短期間の爆発力ではいまだに彼女を超える人は出ていないと思う 「守ってあげたい」が、
起死回生の逆転ホームランだった >>98
なにか映画のタイアップ曲として使われたよなあとおもって
調べたら薬師丸ひろ子のねらわれた学園だった。
すっかり忘れていた。
個人的には卒業写真。学校でなにかとよく歌ったよ。 荒井由実→松任谷由実 成功
岩崎宏美→益田宏美 失敗
奥居香→岸谷香 なんか腹立つ 荒井由美時代知ってるのは流石に5chでも少数派だよな >>51
これは1979年の大晦日に放送された番組です。なので、荒井時代ではありません。番組はリアルタイムで見てました。着ている衣装はその頃のツアーの衣装もあります。 >>98
ユーミンは薬師丸ひろ子とあの映画には本当に感謝してるらしいな 永井真理子みたいにいっているけど
実際は「長渕剛でいうとやくざかぶれしだしてから元のファン離れだした」ようなもんだと思う個人的には 作品的には78年から80年の落ち目期の年2枚のアルバムが本当に名作揃い。
当時コンサートも観に行ったけど確かに2階席は空席だらけだった。酷いところだと1階席も埋まらなかったらしいが。 荒井由実時代はひこうき雲をこえている作品は
いくつもあるとおもうんだけど。
個人的意見ですけどね。 めんどくさ音楽好きサブカル系男達のアイドルだったんだろうな ユーミンって実質は松任谷正隆だよな
正隆が書き直して仕上げてると言ってたし 80年代後半の絶頂期(リフレインが叫んでるの頃)はユーミンが流行を作ってる感じだった
90年代になって(真夏の夜の夢の頃)ユーミンが時代を追いかけるようになってダメになり
ドリカム宇多田ヒカル椎名林檎aikoなどに追い抜かれて新規ファン獲得できずセールス戦線から消えた
このテレビ出演もそうだけど60過ぎて女子大生みたいな格好して哀れだわ 由実「結婚の理由は松任谷って苗字がカッコイイから」 思ったよりガチ恋勢がいたのと
別に容姿じゃないんだよ 好きなんだよってのと
結婚したら世界観変化しようとしたら
いや変えるなからしばらくして結局いい加減変化しろよ
人妻なんだからってわけがわからんってのだっけ >>68
やさしさに包まれたなら、なんてオリコンシングルチャート100位以内にも入らなかったけど、あれだけ世間に浸透したんだからジブリの力と楽曲の力、両方が凄かったのでは。 あんたジャンプの全盛期に「例えるなら私はドラゴンボール」言うてたやん 人気投票1位の「埠頭を渡る風」が人気が落ち込んだ暗黒時代の曲ってのも面白い >>117
aikoってやっぱ凄かったのか
西野カナに毛が映えた程度のもんかと思ってた >>56
山下達郎、さだまさし、小田和正、長渕剛、矢沢永吉
お好きなアーティストをどうぞ >>129
さだは第一線じゃないと思う。永ちゃんも新曲はずっとヒットしてないし
ユーミンの比較対象は昔からサザン ユーミンデビュー時、才能という点でライバルだったのは五輪真弓だよ
実際、五輪の才能にキャロルキングなどがデビューアルバムをサポートした
次いで「どうぞこのまま」の丸山圭子、こちらは顔も声も似ていて
ボサノバにはボサノバで対抗のような形で「あの日に帰りたい」がある
しかし結局最大のライバルは吉田拓郎しかいなかったと思う
まあ男と女で、ジャンルも違うのでライバルという関係ではないが 松任谷時代はプロモ戦略全ブリ
だからバブリーなイメージがついて回る
バブル崩壊後から人気が落ちたのもそのイメージのせい よく聞けば名曲がありすぎる
海の見える午後
ルージュの伝言
春よ来い
真夏の夜
優しさに包まれたら
輪舞曲
ほとんどシングル?だけど
自分の時代からしたら何も知らないという人でも聞けばわかる 荒井由美時代の曲は色褪せないエバーグリーンな感じで良いわ
雨の街をとかメジャーじゃない曲でも天才さがわかる 80年代はアルバム出せばバカ売れだったな
女子大生やOLがみんな聞いてた
90年代になって、ドリカムに食われた 荒井由美のファンはライターファンであって、シンガーは山本潤子でしょ >>80
悪女と陽水の夢の中へは同じ層の女子に熱狂的信者が居たな ユーミンは流線形あたりで既にシティポップをやっているが
シティポップ枠にすんなり収まらない理由は歌詞にある
あまりにセンチメンタルで文学的、これはシティポップ枠に置く場合の違和感となった
ユーミンは幾つになっても自分の中にときどき少女の頃の自分が顔を出す、と言うが
それが普遍的な女性の支持を集める要因だろう 荒井さんの時代から聴いてきた感想は
あの日にかえりたいで始まって…あの日にかえりたいで終わる…といったところだね 多摩美の日本画科だったかな。
受かる時点で、物凄い能力がある。 >>1
元々ルックスで売れたわけでもないのに、
結婚して人気が落ちたというのは解せぬ >>131
これじゃない?
「由実さんは僕が手直しして作ったのもすっかり忘れて自分が作ったと思い込んでる」
サンデー毎日2021年5月号 松任谷正隆 >>38
その二人を避けるのはダウンタウン否定みたいなもんだろ この番組もその二人と玉置浩二しか観てないわ 悲しいほどお天気、という曲は美大生の心情を歌ったもので
第二次ユーミンブームの前夜の頃の曲。
これとか紅雀あたりがいわゆる>>1のユーミン停滞期の代表であり、しかし佳曲揃いの頃でもある >>146
昭和の80年はそういうの多かった
アイドルは少年心と言ってた
その世界観は知らないけど興味あって、この時代に生きた人はどういうものか知ってるのかな?
非常に興味がある ユーミンが苗場スキー場でイベントやると、宿泊客の大部分がホモで大浴場がハッテン場になった時代もありました。 松田聖子に書いた曲とハイファイセットに書いた曲が好きだな ホモとかそういうのじゃなくて笑
その移り変わりの世代なのかなという疑問がある
例えば鏡を割って豹変するような時代 >>75
松任谷由実本人自ら
「商業高校に行ってるようなコは聴いてほしくない」
と言ってた位ですし >>154
少年とか少女とか、そういうエバーグリーン的な考えが流行ったのは確かに80年頃からだったかも知れない
それまでは大人との戦いとか、熱い心とか、例えば漫画でもスポ根だったり。
80年代に入ると白いTシャツにデニム、スニーカーとかがやたらキーワードになった
アーティストは二種類しかいないと思っていて、一つはどんどん変化していくタイプと
ずっと変わらない大いなるマンネリタイプ。前者がジョンレノンなら後者はポールマッカートニー。
ユーミンは変わっているようで実は圧倒的に後者だと思う あまり注目されていないけどこの方のすごいところはエンターテインメント性よね
歌うだけのコンサートをショーに変えたのってユーミンじゃないかしら 78〜80年のアルバムは20万枚前後売れてたし
他のアーティストからしたら贅沢な悩み YouTubeで見た荒井由実時代は確かに可愛かった気がする
と思ってまた見返したら気のせいやった >>161
正隆が徹子の部屋で言ってたよ
あまりに歌が下手だから見せるためのショーにしようと考えたって この人の絶頂期は1990年代
2000年過ぎておばさんになってファンが離れていった
小田和正は相変わらず小田和正してるけど
松任谷由実はおばあちゃんになったら相手にされなくなった
あと、歌詞がイマイチ、イマニ、イマサンだな >>51は79年、紅白の裏にフジが大勝負を賭けた歌番組で
拓郎とユーミンがメイン、松山千春なんかも出てたかな
生中継で拓郎はライブ会場からの出演だった
結果的にこのメンツでもさすがに全盛の紅白には太刀打ち出来なかった >>166
ユーミンの歌詞がイマイチてw
ものすごい上から目線だなw
時代に合わなくなったとかならまだしも… >>156
聖子はいっぱいあるが、、、
制服と卒業写真ってことか? >>168
時代に合ってない、年代にふさわしくない
情景を語られても、あんたの心模様を語られても、面倒くさい
いい加減にしろ、ババア
みたいな感じ >>75
いま中島みゆきに風向きが変わったのってそこよね >>137
海を見ていた午後
これと
ベルベット・イースターがすき。 いや、初期は人気落ちたことなかったんじゃね?アルバム全部売れてたじゃん
人気落ちてきたと思ったのは「真夏の世の夢」以降 松任谷由実を知ったは、薬師丸ひろ子主演の、ねらわれた学園のCMだったわ。守ってあげたい に衝撃を受けた。荒井由実なんかずっと後だな 29歳と何ヶ月とか言ってたよなこのオバさん
歌詞はファミレスで話してる客の会話から拾って書いてるし
創造力無いんだろうな バンドは年を取っても楽しめる
ALFEEは還暦過ぎてもアルチューとか言ってた時代に戻ってコンサートが楽しめる
たぶんオフコースやチューリップのファンも昔の曲を聴くと心が若い頃に戻るんだろう
みんな白髪頭のジジババだけど、20代に戻って聴ける
ピンの歌手だと、それはキツイ
昔に引き戻すだけの歌唱力も美貌も若さも無い 中島みゆきのように紅白に出演して、圧倒的な歌唱力で視聴者を感心させるなんてこともできないからな この人のはヒット曲くらいしか知らないけど
むかーし何かの番組で何気なく見たSAVE OUR SHIPが物凄く印象に残ってて今でも好きな曲 >結婚した途端、潮が引くように人気も落ち、動員も落ち
アイドルでもなかっただろうし男性ファンが人気支えてたわけでもないだろうし
なんでそんなことになったんだ?!結婚で??? 今はライブお客入るよ
アリーナは見納めかもしれないしお早めに
松任谷由実 アリーナツアー 2023
第1期公演日程
5月13日(土) ぴあアリーナMM
5月14日(日) ぴあアリーナMM
5月20日(土) さいたまスーパーアリーナ
5月21日(日) さいたまスーパーアリーナ
5月27日(土) 大阪城ホール
5月28日(日) 大阪城ホール
6月 3日(土) 北海道立総合体育センター 北海きたえーる
6月 4日(日) 北海道立総合体育センター 北海きたえーる
6月10日(土) 長野ビッグハット
6月11日(日) 長野ビッグハット
6月17日(土) 東京有明アリーナ
6月18日(日) 東京有明アリーナ
6月24日(土) 静岡エコパアリーナ
6月25日(日) 静岡エコパアリーナ
7月 1日(土) 大阪城ホール
7月 2日(日) 大阪城ホール
7月 8日(土) 朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター
7月 9日(日) 朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター
7月15日(土) 神戸ワールド記念ホール
7月16日(日) 神戸ワールド記念ホール
7月22日(土) 盛岡タカヤアリーナ
7月23日(日) 盛岡タカヤアリーナ
8月19日(土) 日本ガイシホール
8月20日(日) 日本ガイシホール
※第1期のスケジュールは変更になる可能性がございます。第2期のスケジュールは後日発表になります。
https://sp.universal-music.co.jp/yuming/50thbest/ >>138
雨の街を大好きだわ
今でも聴く
荒井由美時代の歌詞はちょっとこじらせてる少女の私小説みたいで本当に良い >>84
若い頃は何度かラジオで2人が雑談していた記憶がある
異邦人が大ヒットしていた久保田早紀に言及していたのが特に面白かったな ハイファイに書いた星降る真夜中
これもユーミン節のシティーポップ 薬師丸ひろ子ならWoman 〜“Wの悲劇”より〜だな
詞は松本隆だが 荒井由美の頃はプロコルハルム大好きって感じが強かった ちょうど名前が変わる前後で音楽性も変わって、客層も少し変わったんじゃないかなぁ ちょうど音楽が変わろうとしていた時期と重なったこともあるな
荒井由実の頃はそれでもまだフォーク寄りでそれからどんどん新しい音楽に変化した時期
そちらに流れていったのだと思うな >>98
あの年は石川ひとみのまちぶせがヒットしたのもユーミン復活の足掛かり そして気づいたら男性アイドルを追っかけている
そんなところでしょうね・・・ パヨクの目の敵にされた人
安倍さんの辞任会見見て泣いちゃった。。
って言っただけなのに 90年代が全盛期だと思ってた。卒業写真が音楽の教科書に載っててそれで荒井由実を知った世代 昭和四十年代に既に売れてたトップ3は
ユーミン、拓郎、チューリップ。この三組は小学生でもレコードを買っていた
昭和40年代と50年代って大きな差があるんだよ
時代ってのは不思議とそういうのがあるし、昭和40年代って日本のエンタメの頂点だから価値が違う 恋人はサンタクロースも1980年のSURF&SNOW発売当時は全く話題にもならなかったのが、
1982年の松田聖子のクリスマスアルバム収録のカバーがヒットして、松田聖子バージョンが先にクリスマスソングの定番になった >>203
ユーミンは1972年、昭和47年デビューとは言うもののデビューシングルは歌えるかどうかの実験的に出しただけのものでプロモーションもせず400枚しか売れなかった。業界の極一部の人間しか知らない状態。
本格的なデビューは73年の11月だからレコード業界では実質74年組。75年の春ごろから、ようやく世間に名前が知られてきた感じだったけど。 クリスマスは恋人と過ごさなきゃいけない、という空気が出来たのは
俺の記憶では87年頃からだった
それまではそんな風潮はなかった
ユーミンよりも山下達郎の曲やテレビの功罪だと思う
映画、私をスキーにでのクライマックスで流れるハッピーニューイヤー、
あれが発売されたのは確か83年頃でほぼ守ってあげたいと同時期。
まるでバブルとは関係ない >>206
俺ははっきり覚えてるんだよ、当時小学生だったから。
友人がコバルトアワーのLPを持っていて
ペーター佐藤だかのあのイラストをみんなで「怖い怖い!」と言っていた
つのだじろうの描く女みたいだったから 松任谷正隆
JAFmate掲載第一回目
『由実さんはめんどくさがり屋で、途中で放り投げるんですよ、それを僕が歌詞と曲を足して完成させてます』
25年シングルヒットなし
声が劣化、生歌は酷すぎる
歌を披露して晩節を汚す >>208
コバルトアワーは1975年、昭和50年の夏です。 >>210
コバルトアワーを小学生が買っちゃうくらいすでに認知されてたんだよ >>213
ていうかユーミンのソングライティングの才能がすごいから
アーティストとして単体デビューさせようとしたら
歌が下手くそすぎてダメ出しダメ出しの嵐だったのは有名 >>136
バブルの残り香があった90年代前半まではミリオンヒット連発だったのに、阪神大震災と地下鉄サリン事件で浮かれ気分が吹っ飛んだ95年を境に一気に落ちぶれたからな。
代わりに全盛期を迎えた小室プロデュースに取って代わられた感じ。
これは安室奈美恵に取って代わられた松田聖子にも言えるけど。 ユーミンほどの天才であっても「春よ来い」あたりを最後に枯れた気がするな
その点、陽水はパワーを控えていたのか90年代も曲を結構残している 松任谷になってからいい曲一つもないもん 聖子に書いた曲除いて 麗美のファーストアルバムは名曲揃い
案の定何曲かセルフカバーしてる SURF&SNOWの発売が1980年なのか。
マジで「家族と過ごすクリスマス」を「恋人と過ごす」に変えたのはユーミンだと思う。1980年代前半に女子大生が身近にいたけど「クリスマスには彼氏が車で迎えに来る」やってたよ。子ども心にそんな世界あるんやーと不市議な感じで見てた。
少女漫画の世界が先行してた価値観だと思うけど、それをリアルな風物詩にまでしたのが「恋人がサンタクロース」 >>117
>80年代後半の絶頂期(リフレインが叫んでるの頃)はユーミンが流行を作ってる感じだった
>90年代になって(真夏の夜の夢の頃)ユーミンが時代を追いかけるようになって
これ同感 全盛期の作詞作曲の才能は凄いけど、歌は最初からダメだったよね
作詞作曲:荒井由実、歌唱:山本潤子が完全体だろう 90年代、小室の登場から時代はすでにR&Bやファンクを歌う時代になっていた
分かりやすく言えばブラックミュージックを大衆音楽が受け入れた時代。
黒人音楽というのは極端に言えば音符がない
日本の能音楽などと同じ、伝承音楽だ
白人西洋音楽ベースのユーミンが古くなるのは時代として当然だった
もちろん流行は巡り巡るものでもある 昔新アルバム中心のコンサートやって客の反応がイマイチだった時があったんだよな
終了後に客が帰ってる中、突然ステージに現れてやさしさに包まれたならを歌い始めた時は驚いたわ 朝日の中で微笑んで
凄すぎ
曲単体で聞いてたけどアルバム14番目の月に入ってたんだ >>213
正隆が書いた本とか読めばわかるけど正隆はかなりの文才があるよ
作詞を補っていたと言われても納得
逆に昔ユーミンのブログを読んだときに文章下手だったのは意外だった どんなタイアップ曲でも後々まで名曲と言われるものを残してる
打率が異常すぎだわ >>3
そうじゃなくて多分松任谷正隆の編曲テイストが気に入らなかったんじゃないか
それまでシンプルだったのが急に機械っぽくなったとか 90年代ユーミンは、
シングルはタイアップだらけで作風が安定せず
アルバムはオウム以降もスピリチュアル志向で
世間がついていけなくなった 松任谷になってからの作品の方が好きだったりするけどな。
埠頭を渡る風、DESTINY、恋人がサンタクロース、サーフ天国、スキー天国、守ってあげたい、SWEET DREAMS、 >>40
最も優れてるかどうかわからんけどそれは非常に好き
中山美穂と織田裕二の映画の主題歌だよね 実際、俺も14番目の月までのアルバムでヘビーローテーションしてた 一時期、サザンは相変わらず人気だけどユーミンは落ちたなーって言われてたのに、盛り返したなー >>223
ホイチョイやテレビ界隈、バブルに踊らされてた馬鹿がそう思いたいだけで
今も昔も世間のクリスマスは当たり前に家族で過ごしてましたよ 改めて考えると
オウムがサリンばらまいた年の暮れに
『katmandu』を出すのはおかしい
テーマ選びを誤ってる >>239
しかしもう声出ないからね。自分の曲をキー下げて歌うようになったらもうだめだと思う アルバムひこうき雲制作の時から恋人だったし
ユーミンは何でも正隆に意見を聞きに来て正隆の意見を全て受け入れたと書いてあったな
その時から徐々に共作が始まったんじゃないの? というか山本潤子が歌だけなんだけど凄すぎて。。ただハイファイセットはなにかとついてなかったな! >>240
今は知らんが当時はクリスマス=彼氏彼女だったはずだけどなぁ
モテない奴がそうじゃなかったと思いたいだけじゃねーの 時代的に80年代の派手な音楽が流行りになってきていたというのもあるんじゃない?
その後は上手く流行りにのって80、90年代もトップでありつづけたし >>154
昭和は64年までしかないぞw
てか、62年間もあるんだぞ
この手の話題で昭和とか令和とかいう奴は
だいたいぼんやりしすぎなんだよな
昭和とか大きく言わずに
80年代なり、昭和50年代なりいえばいいんだよ
令和は使われ方もっとひどい
令和生まれはまだ3歳だし
令和を生きてるのは今のみんなだろ
なんだよ令和世代ってww 日本人男性と結婚したから同胞の在日に嫌われたんだろ 荒井由実 シングル
0.3万枚 返事はいらない/空と海の輝きに向けて(1972)
? 不明 きっと言える/ひこうき雲(1973)
? 不明 やさしさに包まれたなら/魔法の鏡(1974)
? 不明 12月の雨 /瞳を閉じて(1974)
6.9万枚 ルージュの伝言/何もきかないで(1975)
61.5万枚 あの日にかえりたい/少しだけ片想い(1975)
25.6万枚 翳りゆく部屋/ベルベット・イースター(1976)
荒井由実 アルバム
26.9万枚 ひこうき雲(1973)
27.5万枚 MISSLIM(ミスリム)(1974)
46.2万枚 コバルトアワー(1975)
53.4万枚 YUMING BRAND(1976年)
33.7万枚 14番目の月(1976)
松任谷由実 アルバム
6.0万枚 ALBUM(1977)
16.8万枚 紅雀(1978)
15.6万枚 流線形'80(1978)
16.6万枚 OLIVE(1979)
20.8万枚 悲しいほどお天気(1979) 21.1万枚 時のないホテル(1980)
28.6万枚 SURF&SNOW(1980)
14.3万枚 水の中のASIAへ(1981)
52.4万枚 昨晩お会いしましょう(1981)
48.8万枚 PEARL PIERCE(1982)
66.9万枚 VOYAGER(1983)
60.7万枚 NO SIDE(1984)
70.2万枚 DA・DI・DA(1985)
68.5万枚 アラームアラモード(1986)
3.6万枚 YUMING VISUALIVE DA・DI・DA(1986)
77.2万枚 ダイアモンドダストが消えぬまに(1987)
158.4万枚 Delight Slight Light KISS(1988)
161.3万枚 LOVE WARS(1989)
197.5万枚 天国のドア(1990)
190.1万枚 DAWN PURPLE(1991)
146.4万枚 TEARS AND REASONS(1992)
138.2万枚 U−miz(1993)
217.2万枚 THE DANCING SUN(1994)
134.0万枚 KATHMANDU(1995)
26.9万枚 Yumi Arai The Concert with old Friends(1996)
78.9万枚 Cowgirl Dreamin'(1997)
49.5万枚 スユアの波(1997)
325.3万枚 Neue Musik(1998)
32.7万枚 FROZEN ROSES(1999) 確か自分のコンサートで『シルク・ドゥ・ソレイユ』だかのサーカス団とコラボ?したりしてたよね
それ聞いた当時ですら「何か迷走してるな~」ってつくづく思ったもんだったが 苦しかった時代をこうやって語れるんだから、いい人生送ってんな 声が無理
どうやっても好きになれないのに無理やり聞かせてくる奴いてムカついた
谷山浩子派だったがだいぶ前にYouTubeでちらっと聞いたらデブのおばさんの声になっててそれきりだな >>126
あー一番人気なんだ
ユーミンと言えばその曲だ >>166
今だから、
はユーミンのお嬢さん感満載だよな >>240
いや、そのきっかけになったのがあの曲って話。バブル前なんだよ。 >>239
でもユーミンって今聴いてもアルバムのレベル高いが
サザンは本当何かイマイチだよな
リアルタイムで聴いてなんぼ系のアーティストなんだろうが
単純なアルバムの質だとオフコースの方が全然上よな 中島みゆきはシングル単体だと良いんだが
歌い方がくどいせいでアルバムだとイマイチなのよな
アルバム売上がシングルほどじゃない原因はそれだろうな 中島みゆきの瞬きもせずにとかも好きな曲だが
中島みゆきはマジで数曲聴くと胃がもたれるのよな >>225
初期は下手さゆえの不安定感と、曲の雰囲気と相まって独特の味になった部分はあると思う。「きっと言える」とか普通にうまい人が歌ったら、それほど印象に残らない曲になりそう 薬師丸ひろ子主演映画「ねらわれた学園 」
劇中歌「守ってあげたい」が大ヒットして
盛り返して行った >>1
そのプレッシャーに苛まれたのは旦那の方
ユーミンは引退するつもりだったから >>262
中島みゆきはテレビ出て宣伝とかしないからな
商業的な上手さは松任夫婦が上 ものすごく小さい頃、兄貴が買ったユーミンのレコードジャケットの顔がマジで妖怪くらい怖くてしばらくトラウマになった ユーミンってピークだった80年代後半〜90年代前半にかけてのアルバムって時代と寝過ぎてて、同世代で思い出共有出来る年齢層しか聴いてて楽しくないでしょ、
大ヒットした曲が多いけど、時代背景込みの売れ方したと思う、
松任谷夫妻は楽曲と時代を完全にマッチさせて爆発的に稼いだ化け物チームだと思うわ。 >>272
だからこそ、荒井由実の方がエヴァ―グリーンって言われる 商品名が変わってレコード棚はあ行とま行に離れたから別人と思っていた人もいた
矢野顕子は最初の旦那の名字を使い続けている 聴いた順番でいうと
あの日にかえりたいのイントロが聴いたことないようなお洒落感があったな
それからミスリム聴いてぶったまげた
いちご白書をもう一度がこの人の曲だと知って天才と確信 >>159
その当時SNSがあったら大炎上してるな ライブにしてもその時代の技術で出来ない物を開発からやって音楽と融合させていったのよ。売れなくなったとたん派手にでは無いわね。 >>277
歌が下手な分、他のことで楽しませようとしただけだと思うわ
歌が上手ければもっとシンプルに聞かせる筈 >>1
荒井由実の頃は良過ぎたからね。
ひこうき雲、翳りゆく部屋、海を見ていた午後、やさしさに包まれたなら。
でも松任谷由実でも、
まぶしい草野球、最後の春休み、Hello My Friendとか好き。 >>278
歌が上手い歌手なんて山ほどいるわね。シンプルに歌を楽しみたい人は理解しなくていいのよ。歌に合わせてダンスしちゃったもんなら何じゃありゃーってなるタイプかしら? >>280
ダンスくらいならいいけど
空飛ぶんだろ
普通に歌えよw 密かにヒット164万再生
最新アルバムから
「知らないどうし」
https://youtu.be/fauprZGxDYM >>281
それはお浜さん事、浜崎あゆみよ。表現の多様性ね 守ってあげたい
はイントロが秀逸だね
ライブでもテレビでも再現できないのは何故だろう >>225
海を見ていた午後など、山本潤子さんは上手過ぎて何だかイマイチ。消え入りそうな下手くそなユーミンのほうがよい。
ひこうき雲も最初雪村いづみさんの曲だったけど不安定で苦しそうなユーミンのほうが曲にあってる。 守ってあげたいは原田知世が最高
何の力もない少女が守ってあげたいなんて
絶対処女だよな やっと気付いてくれたー
その心の行方のようにーーー♩
ユーミン最高。 ダイヤモンドダスト発売の時、パリダカへ行った影響で多忙なスケジュールの中での発表だったから一曲仕上がって無かったのよね。
その代案として麗美に提供したこごえる心をレコーディングしたけど、間に合って霧雨で見えないを収録してお蔵入りしたのよね。
だからsweet dreamsが気に入らないまま〜は話しが繋がったわ 本田美奈子がアーティストならあたしは神だよ発言と
中山美穂にコード進行が単調だとディスられた話が好き 7年前に出した「気づかず過ぎた初恋」って曲かなり好きだわ
声出てる頃に出してりゃ相応に評価されたのかもしれんけど >>166
ワイにはまったく響かなかったけど
真夏の夜の夢の歌詞を幼なじみ(男)が絶賛してたからわかる人にはわかるんだと思う
なんでも、高木麻利夫(マリオさん・佐野史郎)の自分自身の理不尽な愛に葛藤する苦悩を
歌の世界で完璧に表現してるのだとか 昔は語録ができるほどの超傲慢だったが、流石にデビューから半世紀も経つと丸くなるのかw 90年代にも春よとか真夏の夜の夢とかヒットしたけど、80年代ほどの勢いは無かった。小室ファミリーが全盛期だったし。 紅雀は今までの自分と違う部分を出したいってのはすごく伝わってきたけど、ファンは誰もそんなもん求めてないもんね
あれは旦那さんの影響だったのかな? 全く合わなそうな松田聖子への提供曲に
名曲が多いのは面白いと思う
合わないというのはイメージですけど… 人気下降と言われてる90年代だって
真夏の夜の夢、HELLO MY FRIEND、春よ来い
皆知ってる曲が複数ありすごいと思う。 「ノーサイド」のイントロは旦那が書いたのかな
あの郷愁と言うかもの悲しげなメロディーからのAメロはいつ聴いても心の琴線に触れまくり >>300
14番目を発売して結婚、家庭に入り、活動を辞めて取り巻く時間の流れが変わったんじゃない。ぼんやりしてる曲調が多いし、曲終わりもラフミックスと変わらない終わり方多いように思える LATE SUMMER LAKE
の、電通博報堂のコピーライターが書いたような歌詞が大好き。 翳りゆく部屋とか10代とかで書いてるんでしょ?
才能がいかれてるな 10代が才能のピークではあったが、その後も良い曲は書いてるんだよな
才能が枯渇するのは当たり前のことで、むしろ長持ちした方だろう
よく比較される中島みゆきが超人なだけだ >>234
それはもっと後の話
シンクラビア導入時 >>56
ユーミンって最近ヒットしてるやつある?それに比べてサザンはすげえわ この人の曲は他の人がカバーしてるバージョンの方が好き。他の歌手だとカバーより下手でもオリジナルの方がやっぱり良いって思うこともあるけどユーミンはあまり無い >>310
サザンは活動休止期間が相当あるからなあ >>50
ホールの二階席は客が入らずに暗幕が掛かってたと言ってたね 同じような歌うたってたような気がするんだけど
結婚くらいでファン消えるもんなんか 好きだった新井素子の小説がこの人の「守ってあげたい」をモチーフに書かれたときいて曲を探してきいたなあ >>274
俳人の夏井いつきも前の夫の姓
元々の姓は家藤 結婚後のほうがずっと売れるようになったのって
竹内まりやもそうだ。
というか結婚後に作詞作曲のアルバムを出して大ブレイク。
ユーミンも結婚後のほうが、ずっと派手なアルバム構成になって
アルバム売上枚数が比較にならないくらい増えた。
なによりライブがどんどん、派手なショーになった。
globeの1stが大ヒットしてアルバムを売りまくるまでは
ユーミンのアルバムが日本最高売上枚数だった。
当時のユーミンはアルバムで200万枚以上はいけると本人が話していた。
実際実現した。当時、これ以上の売上は不可能と思われていた。
globeが塗り替え、最終的に宇多田ヒカルが700万枚超を売り上げた。 荒井由実から松任谷由実になって、楽曲もステージも豪華になったな その頃だろうかコンサート行ったことがあったな
空席が目立つ中でご本人、全てに手抜きを感じないパフォーマンスでしたよ
この方を何だかんだ言う人がいますがそこはプロ
うちらはそこで満足できればよいのです >>308
本人も「10代の頃は何もしなくても曲が天から降ってきた」
「初期の50曲くらいは生まれた時から脳内にあったんじゃないか」
とか言ってるしな。「当時の自分」には複雑な気持ちだろう。 荒井と松任谷の違いってなんだろ?
大衆と迎合した感じ? 恋人はサンタクロースとか聖子の歌かと思ってたら
いつに間のかこの人が代名詞なってたな 荒井由実 フォークロック
松任谷由実 ポップスあるいはニュー・ミュージック 女性アーティスト アルバムトータルセールス
順位 累積推定売上枚数 アーティスト
1 31,356,173 松任谷由実
2 29,833,760 DREAMS COME TRUE
3 29,224,263 浜崎あゆみ
4 21,819,611 宇多田ヒカル
5 19,919,131 ZARD
6 18,684,469 安室奈美恵
7 15,642,408 globe
8 14,504,682 松田聖子
9 13,652,598 Every Little Thing
10 13,248,865 MISIA
11 12,832,360 マライア・キャリー
12 12,820,850 中森明菜
13 12,507,423 中島みゆき
14 11,073,722 大黒摩季
15 10,586,822 竹内まりや
16 10,320,657 TRF
17 9,867,956 今井美樹
18 9,086,161 JUDY AND MARY
19 8,525,691 SPEED
20 8,419,147 倖田來未
オリコン調べ
2020/07/13までの集計分 >>109
Songsで共演した時の信頼関係は中々よかった 恐ろしいと思ったのは自分が荒井時代を直で聴いていたんだなということ >>322
最初の頃の曲はコード進行がクラッシックの名曲の影響が強い、(参考にしているはず)
てのを聞いたことある。音楽の正体て番組で延々解析していた デビューしたてのころの彼女のLiveみた小田和正が荒井由美のあまりの才能に衝撃を受けて
一曲書いたってのは本当?
たしかワインの匂いがそれにあたるらしいが 松任谷正隆がミュージシャンデビューしたのは
吉田拓郎の結婚しようよを録音するときに加藤和彦に誘われたのが最初で
その加藤との出会いもほんの偶然みたいな感じだったことを
つい先日、松任谷のラジオでの吉田拓郎ゲストの回で語っている
驚いたのは「戻ってきた恋人」などあの拓郎全盛時の曲のアレンジも関わっていたこと。
ビートルズのポリシーパンのようなリズムが当時はとても斬新だった
記憶ではクレジットに松任谷アレンジってのはなかったような気がする。 30年位前に熱心なファンの事をヘビーユーザーの方って呼んでたな >>326
そんな感じかもね
私小説と大衆小説
大衆小説ももちろん手が込んでるけど みゆきってコンスタントにアルバム発表してるのに明菜より売れてないのね。 マンタと一緒になってからのほうが音が洗練されたよね >>327
へぇ日本マーケットのランキングなのに
マライア・キャリーが中森中島よりセールス多いってすごいね
何かドラマの主題歌になったりしたの? >>17
ニッポン放送関連のパーティーでは「こんにちは、清水ミチコです」で一掴みかます >>340
中島みゆき ブス
松任谷由実 ドブス
これくらいの差はあるよな >>342
どっちもブスって事でしょwww
最近か分からないけど買い物姿のみゆき激写されてたょねw 中島みゆき シンガーソングライター
松任谷由実 ユニットエンタテイナー
これくらいの差はある みゆきもクリスマスソング作ればいいのに
クルシミマスー、クルシミーマスってw 荒井時代は文学少女的オーラが凄かったが
結婚で消えた
そういうもんだ >>343
近所のサミットでユーミンに会ったことある >>298
マットート 待っててくれる?
マットーヤ 待ってるから
マットーネ 待ってたんだ
ジョンノビ くつろいでね
北陸方言 >>60
非公認アルバムって何?
誰が作ってたの? >>344
中島みゆきの歌旅見てみろ
圧倒されるぞ >>352
非公認アルバムは本人とは意図しなくて発売されたアルバムだよ。ユーミンの場合だとアルファに版権あったから荒井由実名義のベストとかがそれに当たる
版権は買い戻したからもうアルファから発売される事はもう無いけど >>70
でも今でもドーム埋まってるよ
たまに行く ユーミン「踏まれて蹴られてっていう歌多いじゃない?」
みゆき「でも、私の歌って耐えてないよ? 踏んだな蹴ったなサヨナラっていうのはあっても、踏まれて蹴られてでも耐えるって歌はないんだな」 映像媒体で聴くと歳取ってろくに声出てないみたいだけどコンサートだとちゃんと歌えてるのかね。まぁ上手い下手を超えたとこにいるタイプだからユーミンの歌声であればそれでファンは納得するんだろうけど >>330
賛美歌からのパクリが多いんだっけ
何からパクったかとか隠さない人 >>314
ブラウンズホテルというツアーを田舎の市民会館で観たけど幕こそ掛かってなくても2階席はガラガラだった。あのままだったら数年しか持たなかっただろう。まさか翌年、守ってあげたいでトップに返り咲くとは思ってもみなかった。 え、人気が落ち込んだことなんかあったっけか?
普通に生活してれば定期的に耳にするせいかそういう風に
とらえたことはなかったな。 ユーミンはいいが岸谷香はどうなんだ
誰得なんだ?
ファンは奥井時代が良いとかいうのか? 昔の話か、老いて人気なくなって最近また改名したのかと思った 荒井由実という人と松任谷由実という人がいるという認識しかない 90年代既に中央フリーウェイきちんと歌えてなかったからな >>366
77年から80年までは荒井からの生き残りのマニアックなファンに支えられてた印象。アルバムは10万枚台から20万枚くらい売れてたけどファン以外に届くほどでもなく、シングルに至ってはかすりもしなかった。
周りにユーミンの話しても、まっとーや?
誰?とか、ユーミン、ああ、あの日にかえりたい歌ってた人ね、まだいるの?
と言われたわ。田舎のコンサートで名前を元荒井由実と直されてたのもよくわかる。 最近どこかの番組で観ましたけど全盛期はシンクロのショーの頃でしょう
これは伝説といってもいいね >>371
ユーミンの語り部ですね。もっと話し聞かせて欲しい ───荒井由実───
26.9万枚 ひこうき雲(1973)
27.5万枚 MISSLIM(ミスリム)(1974)
46.2万枚 コバルトアワー(1975)
53.4万枚 YUMING BRAND(1976年)
33.7万枚 14番目の月(1976)
─── ここから 松任谷由実───
6.0万枚 ALBUM(1977)
16.8万枚 紅雀(1978)
15.6万枚 流線形'80(1978)
16.6万枚 OLIVE(1979)
20.8万枚 悲しいほどお天気(1979)
21.1万枚 時のないホテル(1980)
28.6万枚 SURF&SNOW(1980)
14.3万枚 水の中のASIAへ(1981)
52.4万枚 昨晩お会いしましょう(1981)
48.8万枚 PEARL PIERCE(1982)
66.9万枚 VOYAGER(1983)
60.7万枚 NO SIDE(1984)
70.2万枚 DA・DI・DA(1985)
68.5万枚 アラームアラモード(1986)
3.6万枚 YUMING VISUALIVE DA・DI・DA(1986)
77.2万枚 ダイアモンドダストが消えぬまに(1987)
158.4万枚 Delight Slight Light KISS(1988)
161.3万枚 LOVE WARS(1989)
197.5万枚 天国のドア(1990)
190.1万枚 DAWN PURPLE(1991)
146.4万枚 TEARS AND REASONS(1992)
138.2万枚 U−miz(1993)
217.2万枚 THE DANCING SUN(1994)
134.0万枚 KATHMANDU(1995)
26.9万枚 Yumi Arai The Concert with old Friends(1996)
78.9万枚 Cowgirl Dreamin'(1997)
49.5万枚 スユアの波(1997)
325.3万枚 Neue Musik(1998)
32.7万枚 FROZEN ROSES(1999) >>18
谷山浩子、イルカはフォーク枠だけど、荒井由実はそれとは「違う」が売りだったから。 >>66
あの日に帰りたい と
翳りゆく部屋
が当たったから、それを収録したベストがでたんだとおもう。あのあたりが、最初のピーク。バックは、キャラメルママ一党。 >>375
年間2枚出すとか
わけわからんペースだな >>380
松任谷っていいよね
長谷川以外の三文字苗字かっこいいわ この人の歌声好きやわ 真夏の夜の夢なんかめっちゃいい >>387
紅雀とoliveとサーフ&スノーがダメって事か >>375
おそらく引用元が間違っている
> 28.6万枚 SURF&SNOW(1980)
43.3万枚
87年から数年間チャートインで累計更新
> 3.6万枚 YUMING VISUALIVE DA・DI・DA(1986)
11.5万枚
カセットの値
CDの数字が抜けている >>304
あのイントロはニューヨークシティセレナーデのパクリ OLIVE購入したけど良いと思うな
ジャケットもクラシカルで好きだった ちなみに紅雀も購入したけど…こちらのほうが好みだったな >>18
イルカと同じくくりはないわ
松任谷正隆はユーミンの音楽理論に脱帽したらしいぞ
イルカってコードいくつ知ってる? 松任谷由実、『守ってあげたい』で再ブレイク
「角川さんのおかげ」低迷期を救った角川春樹氏は40年来の恩人
2020年10月12日
2人の付き合いは約40年に及ぶ。
角川監督がプロデューサーを務めた1981年公開の映画
「ねらわれた学園」(大林宣彦監督、薬師丸ひろ子主演)の主題歌として
書き下ろしたのが代表曲「守ってあげたい」。
ユーミンは当時を振り返り、
「自分で言うのも何ですが、
荒井由実時代というのは、大ブームでしたが、
76年に結婚して松任谷由実になって、
商業的に低迷していたんですけど、
『守ってあげたい』で再ブレイクできた。
角川さんのおかげです」
と感謝。83年には原田知世主演の「時をかける少女」が
映画、主題歌ともに大ヒットした。 ミュージック・ビデオのコンパートメント好きだわ
destinyでユーミンと踊ってる黒人系の人はオネエだわ、って見て思ったわ。ユーミン見ておっとりしてるもの 荒井由実と対比されてたのは小椋圭だったと思う。
ジャケットは女性の顔だけで、実家が料亭の東大出の第一勧銀の課長に対し、老舗の呉服屋の娘みたいな記事を読んだと思う。
どちらもテレビに出ない系のニューミュージックだった。 紅雀はつまらんからな
その当時から「ユーミン」で通ってたから改名は関係ないだろ 結婚した後くらいに、ユーミンの顔がかなり変わってしまってる
それまで鼻のあたりがかなりへこんだいかにもブスな顔立ちだったのが
ブスなのは同じなんだけど、かなり骨格から変わってしまってる >>394
レコーディングで荒井由実に初めて会った松任谷正隆は「君、ピアノ弾けるんでしょう?だったら僕は、いらないよね?」と嫌みを言ったがそこで聴いた「ひこうき雲」のコード進行にド肝を抜かれ(かけてゆく~のところ)その場で「この女と結婚するしかない」と決心したという。まだ駆け出しだった正隆はアレンジ譜の書き方もユーミンから教わった。 >>405
ありがとう
一発屋(それも本人は作詞作曲してない)のイルカと一緒にされたくないわ アイドルじゃあるまいし結婚と人気が落ちたのは全く無関係だろw
すでに才能の枯渇が始まっていて全体的な楽曲のクオリティーが下がったからだろうな
ただその後よく挽回したとは思う 荒井由実でそのままいかずに旦那の名字を使うというのがちょっと不思議だった
松任谷正隆にかなり惚れてていたんだろうか? 松任谷由実しか知らんから
荒井由実??誰だっけ?ってなる
ユーミンの歌はなんか疲れなくていい >>371
元荒井由実って、名前が変なマークだった時代のプリンスみたい 。 松任谷家は良家だからな
八王子カッペが世間にマウント取りたかったんだろ 松任谷、細野、坂本、松本、日本の音楽界を操ってきたのはほぼ
東京の金持ちのボンボン。幼少期から恵まれた環境に育ち、音楽に触れ楽器に触れたのだろう
しかし面白いのはトップスターになるのはみな地方出身である
東京もんは裏方止まりなのだ >>419
桑田もボンボンだろ。どういうボンボンかは知らんが
だからカリスマになれないんだよ 松任谷と拓郎のラジオ聞いてて驚いたのは
守ってあげたいを聴いたとき、最初の♪you don't have toのところで
拓郎が「これは俺のメロディだ、みたいに感じて嬉しかった」と言っていたこと
拓郎っぽいメロディなんて思ったことはなかったが、
この人の直観力ってすごいからな。ウォーウォートゥナイトのときも一発で見抜いてるし >>327
この手のランキングはアルバムを発売した数も同時に載せるべき
ひとつひとつが大きく一種売りの数が少なくそしてそれが最も大きく最も売れたのは宇多田ヒカルですよ
700万、300万以上が4つある 90年代ってのはセールス的にイレギュラーな時代なんだよ
ひとつはカラオケブーム
そしてもうひとつがレンタル全盛だよ。ツタヤなどにズラーっと同じCDが並んでただろ
だから数で測ることはあまり意味がない >>423
宇多田が一番アルバムの数が少ないのか? >>276
これくらいならまだまだ軽めの発言
お暇な人はユーミン語録を調べて下さいませ >>425
宇多田ヒカルはアルバムを8種しか発売していない
あと別のが3種 >>426
冴え渡ってるwwwwwww
(ラジオ番組にて)
槙原:ボクもこんなハガキみたいにドリカム状態があったんですよ…。
ユーミン:それって、登場人物は3人とも男ですか?
槙原:ひっどーいっ! 本人が松任谷の苗字が欲しくて結婚したと昔は言ってたな
ネタだろうけどあながち的外れでもないと当時思ってた
それくらいインパクトある芸名 中央フリーウェイのフェンダーローズと結婚したんだ
あの曲のメンバーは豪華だな >>417,432
なるほど。田中や佐藤だったら芸名を変えなかったという事だなw ユーミンのヒモみたいに言われたけど松任谷家は明治の政財界からの流れの、絵に書いたような上流階級の名家。幼稚舎から慶應の正隆氏、生家は今、公園になってるが子供の頃は庭で迷子になったという。庭にテニスコートがあり、昔から都内にビルも所有していた。ユーミンと結婚して桁違いの金持ちになったがその前から金持ちだったわけで。 >>434
下の名前が割りと普通だからね
吉田とか井上みたいな訳には行かない ユーミンは他アーティストの悪口言うからファンになることはなかったな
同じようにファンも悪口言うしな ルージュの伝言 角川文庫
今なら大炎上するだろ
小山田圭吾だけではない。松任谷由実もいじめ自慢!
人間性を疑ってしまう内容
周囲には、楽曲は好きだけど人間性は大嫌いだと言う人が多い ananの表紙は最年長かもね
24頁の大ボリューム ルージュの伝言は典型的なアメリカンオールディーズ
平山みきの真夏の出来事と類似している
尚、ディスティニーの根っこにはジョニーエンジェルがあると
日本で最初に気づいたのは俺 >>445
難しい話しだからあまり分からないけど、凄ーい。 81年から96年まで
毎年のようにアルバム年間トップ10に入れてるんだよな
3年おきに流行が変わってた時代にこの実績は凄いよ
後にも先にもこの記録は破れないだろう 俺の記憶では日本で最初に「ハロウィン」という単語を使ったのはユーミン
「リンゴの匂いと風の国」という曲だ 常に旬のミュージシャン可愛がるよね
ヌー常田の前はサチモスのヨンスだった 70年代にユーミンや中島みゆきよりも稼いでいたのはイルカ
昔の長者番付を調べると分かる >>445
ルージュの伝言と真夏の出来事 あらためて聴いてみたらそっくりやな
そのすぐ後にユーミン作の「いちご白書をもういちど」を旦那のバンバンが提供されてそれで
一躍世に出たからいいんじゃない >>451
あれはイラストや絵本の印税だよ。イルカの描くイラストは当時かなり流行ってた。
ちなみに1976年度のレコード、テープの売り上げ合計金額1位は全歌手で荒井由実だった。 真夏の出来事、この歌ねーと思ったけどスタンドバイミーみたいな曲調に聞こえたわー 「真夏の出来事」は和製ポップスの金字塔と呼ばれてるけど、筒美京平先生はザ·スプリームスを意識したモータウンとして作曲。
「ルージュの伝言」はユーミンの兄が持っていたレコード「カラーに口紅」を聴いて作った曲。 >>456
物知りだわー!好きな物しか聞かないから色々と聞き比べてみるわー >結婚した途端、潮が引くように人気も落ち、
アイドル的人気だったのか 当時のくくりは陽水やかぐや姫じゃないのか
俺の記憶のスタートはここからなんだが はっぴぃえんどやティンパンアレイの界隈はほぼ、ボンボン育ちで東京っ子ばかり
松本隆 東京都青山生まれ 慶應普通部→慶應義塾大
細野晴臣 東京都白金生まれ 立教中高部→立教大
松任谷正隆 東京都杉並区出身 慶應義塾幼稚舎→慶應義塾大
大瀧詠一 岩手県江刺郡梁川村出身
鈴木茂 東京都世田谷区出身 都立玉川高(父は経営者)
佐藤博 知覧生まれ京都育ち(寺院の長男)
林立夫 東京生まれ 青山学院高等部
小原礼 東京都大田区出身 青山学院中高→武蔵野美大
高橋幸宏 東京都目黒区出身 立教中高→武蔵野美大
坂本龍一 東京都中野生まれ 都立新宿高→東京藝大
山下達郎 東京都池袋生まれ 都立竹早高→明治大
佐野元春 東京都神田生まれ 立教中高部→立教大
伊藤銀次 大阪市住吉生まれ 大教大附属池田高→大阪歯科大歯学部
鈴木慶一 東京都大田区出身 都立羽田高
岡田徹 東京生まれ 立教大
武川雅寛 逗子出身 立教大
鈴木博文 武蔵野市出身 都立日比谷高
かしぶち哲郎 宇都宮市出身 県立宇都宮東高
白井良明 東京都墨田区出身 立教大
加藤和彦 伏見生まれ鎌倉逗子育ち 都立竹台高→龍谷大
高中正義 東京都品川区出身 武蔵工大付高
後藤次利 東京都品川区出身 青山学院高→青山学院大
南佳孝 東京都大田区出身 明治学院高→明治学院大
渡辺勝 東京生まれ 駒場東邦高→立教大
駒沢裕城 東京都杉並区出身 日大芸術学部
椎名和夫 東京生まれ 東京学芸大学付属高
吉田美奈子 大宮生まれ
大貫妙子 東京都久我山生まれ 都立桜水商業高
佐藤奈々子 東京都中野生まれ 慶應義塾大 >>461
当時の音楽は富裕層の道楽だからね
そのちょっと上の世代のグループサウンズは
有名芸能人の子息だらけだったし 卒業写真って名曲なんだろうけど現実には悲しいことがあっても卒アルなんて開かない >>94
むしろジジババの物だと思うんだよね
若者が今どき5やるの? いずれにせよ、当時とにかく流行の最先端にいたことは間違いない
ランドリーゲイトの思い出のアレンジは
ボズスキャッグスのwe are all aloneを
ボブジェームスがフュージョンにしたバージョンの丸パクリで
まだ日本ではシティポップなど流行以前の77年にレコーディングされている
おそらく松任谷正隆がアンテナを張り巡らせていたのだろう
まあ正確にはAORだが、次はそういう時代だといち早く察知している アイドルではないのに結婚で人気急落?
あんなに活躍する女性が少なかったから? 中島みゆきのほうが凄そうだけど、時代の象徴という意味ではユーミンか ───中島みゆき───
15.5万枚 私の声が聞こえますか(1976)
10.2万枚 みんな去ってしまった(1976)
21.0万枚 あ・り・が・と・う(1977)
8.2 万枚 ベスト・アルバム(1977)
10.9万枚 わかれうた(1977)
42.7万枚 愛していると云ってくれ(1978)
4.7万枚 おもいで河(1978)
32.7万枚 親愛なる者へ(1979)
15.7万枚 スペシャル(1979)
43.3万枚 おかえりなさい(1979)
32.9万枚 生きていてもいいですか(1980)
59.4万枚 臨月(1981)
28.3万枚 マイ・ベスト20(1981)
77.3万枚 寒水魚(1982)
30.1万枚 A面コレクション(1982)
5.9万枚 B面コレクション(1982)
18.7万枚 ベストヒット全曲集(1982)
36.8万枚 予感(1983)
2.4万枚 愛が好きです(1983)
10.5万枚 ベスト20(1983)
2.1万枚 ベスト24(1984)
29.7万枚 はじめまして(1984)
33.8万枚 御色なおし(1985)
33.1万枚 miss M. (1985)
3.7万枚 THE BEST(1985)
23.7万枚 36.5℃(1986)
0.3万枚 中島みゆき スーパーベスト20(1986)
8.5万枚 歌暦(1987)
7.5万枚 Singles(1987)
16.5万枚 中島みゆき(1988)
13.7万枚 グッバイ・ガール(1988)
2.3万枚 PRESENTS(1989)
21.4万枚 回帰熱(1989) ───荒井由実───
26.9万枚 ひこうき雲(1973)
27.5万枚 MISSLIM(ミスリム)(1974)
46.2万枚 コバルトアワー(1975)
53.4万枚 YUMING BRAND(1976年)
33.7万枚 14番目の月(1976)
── 結婚して 松任谷由実──
6.0万枚 ALBUM(1977)
16.8万枚 紅雀(1978)
15.6万枚 流線形'80(1978)
16.6万枚 OLIVE(1979)
20.8万枚 悲しいほどお天気(1979)
21.1万枚 時のないホテル(1980)
28.6万枚 SURF&SNOW(1980)
14.3万枚 水の中のASIAへ(1981)
──────────────────
「76年に結婚して松任谷由実になって、
商業的に低迷していたんですけど、
『守ってあげたい(81年)』で再ブレイクできた。
角川さんのおかげです」
──────────────────
52.4万枚 昨晩お会いしましょう(1981)
48.8万枚 PEARL PIERCE(1982)
66.9万枚 VOYAGER(1983)
60.7万枚 NO SIDE(1984)
70.2万枚 DA・DI・DA(1985)
68.5万枚 アラームアラモード(1986)
3.6万枚 YUMING VISUALIVE DA・DI・DA(1986)
77.2万枚 ダイアモンドダストが消えぬまに(1987)
158.4万枚 Delight Slight Light KISS(1988)
161.3万枚 LOVE WARS(1989) 当時のニューミュージックはアイドル的な人気の側面もあったんだな >>474
いや、でも荒井由実はそんな感じの人じゃなかったと気がするけどなあ
やまがたすみこやシモンズはアイドル的な人気があったと思う ユーミンが湯水のごとく金かけてコンサートやりだしたのはいつ頃から? 結婚して人気が落ちたイメージはなかったが
作品見ると少し低迷していたかもな >>476
CDセールスが圧倒的になってから
今にして思うとライブは赤字だよな >>473
「PEARL PIERCE (1982)」と「VOYAGER (1983)」の間に「REINCARNATION」と言うアルバムがあったはず
あんまし売れなかった? >>465
悲しい事があったら卒業アルバム開くよね、って歌じゃ無いだろw >>483
当時はCDがよく売れてたからその恩返し的なこと言ってた記憶 CDバブルのちょっと前の普通のバブル時期に圧倒的な売り上げなんだよな >>80
中島みゆきの「悪女」はすばらしい出来で、はじめて耳にしたとき酩酊するほどだった。聴いたのは高校生のときで、お酒もまだ飲んではいないのだけど、くらくらし陶酔した。
話はそれるけれども。いま、中島みゆき、宇宙大統領としてサントリーのテレビコマーシャルにでているのですね。テレビは年に3時間くらい見るだけなので、このCMに運よくあたってよかった。 >>490
中島みゆき如きがユーミンと同格な訳ねーじゃん バカスカ売れすぎる前がよかったな
年2回もアルバム出してた頃の
薬師丸とか松田聖子とかの曲提供にも職人感があるし >>170
はいはいw
akbとかうんたら坂とかkpopでも聴いてなさいw 山下達郎と同じで本人は特に好きではないけど
バックミュージシャンが豪華だから聞いてる感じだわ ライブハウス行くと、元〇〇とかの肩書きのバンドマンがいっぱいいるな。
ほとんどは「なんだそのバンド?」だけど。 >>493
売り上げは圧倒的にユーミンだけど作詞力では二人がかりでも中島みゆきに敵わなかったな
ユーミンと縁の深い角川春樹でさえ中島みゆきの方を詩人枠に選らんで詩集を出した 荒井由実 は あの日の帰りたい で名声確立。
松任谷由実は 守ってあげたい で名声確立。
アルバムは昨晩お会いしましょうが最高傑作だと思う。
これ以降のアルバムは
17作連続オリコン一位。 荒井由実時代のアルバム 14番目の月 でオリコン1位になったあと
だんだん人気が落ちてきて
水の中のASIAへ で9位とじりじり下がってきていた。
守ってあげたい の大ヒットで
アルバム 昨晩お会いしましょう
から怒涛のオリコン1位 連続17作の
黄金時代。
実際、荒井由実時代からじりじり下げていたのは事実。
そういう意味では時代を2度作った感じはする。
シンガソングライターの荒井由実
ポップスアーティストの松任谷由実 欧州志向からアメリカン・ポップス志向へ
変化していった時代かも 松任谷由実は
総合商社のOLを中核モデルに歌を作ったといってる。
つまり、中上~上中レベル。
それ以下の人も憧れをもつような世界観。
こういう価値観と世界観がひんしゅくを買うことも多かった。
今の非正規だらけの女性からすると
なにそれなんだろうな。
いずれにせよバブル時代を引きずったユーミンの世界観と
今の日本では埋めようがないギャップがある。
いまさら非正規の女性観のアルバムも作れないだろうしね。 >>496
悲しいほどお天気とか時のないホテルとかクオリティ高すぎだよね。
もう二度とあんな音は取れまい。 アルバムランキング
1 1973年11月20日 ひこうき雲 9位 荒井由実~
2 1974年10月5日 MISSLIM 8位
3 1975年6月20日 COBALT HOUR 2位
4 1976年11月20日 14番目の月 1位
5 1978年3月5日 紅雀 2位 松任谷由実~
6 1978年11月5日 流線形'80 4位
7 1979年7月20日 OLIVE 5位
8 1979年12月1日 悲しいほどお天気 6位
9 1980年6月21日 時のないホテル 3位
10 1980年12月1日 SURF&SNOW 7位
11 1981年5月21日 水の中のASIAへ 9位
12 1981年11月1日 昨晩お会いしましょう 1位
13 1982年6月21日 PEARL PIERCE 1位
14 1983年2月21日 REINCARNATION 1位
15 1983年12月1日 VOYAGER 1位
16 1984年12月1日 NO SIDE 1位
17 1985年11月30日 DA・DI・DA 1位
18 1986年11月29日 ALARM a la mode 1位
19 1987年12月5日 ダイアモンドダストが消えぬまに 1位
20 1988年11月26日 Delight Slight Light KISS 1位
21 1989年11月25日 LOVE WARS 1位
22 1990年11月23日 天国のドア 1位
23 1991年11月22日 DAWN PURPLE 1位
24 1992年11月27日 TEARS AND REASONS 1位
25 1993年11月26日 U-miz 1位
26 1994年11月25日 THE DANCING SUN 1位
27 1995年12月1日 KATHMANDU 1位
28 1997年2月28日 Cowgirl Dreamin' 1位 荒井由実時代はシンガーソングライターで内面重視の楽曲
松任谷由実時代は昨晩お会いしましょう あたりは
絶妙な内面外面のバランスだったけど
Delight Slight Light KISS あたりから外面的になって
客層も変わっていったと思う。
売上はぐんぐん伸びていったが。
【1988年】
「Delight Slight Light KISS」:158万4000枚
【1989年】
「LOVE WARS」:161万3000枚
【1990年】
「天国のドア」:197万5000枚
【1991年】
「DAWN PURPLE」:190万1000枚
【1992年】
「TEARS AND REASONS」:146万4000枚
【1993年】
「U-miz」:138万2000枚
【1994年】
「THE DANCING SUN」:217万2000枚
【1995年】
「KATHMANDU」:134万0000枚 ユーミンがもっていた単一アルバムの日本最高売上記録を
破ったのが
globeの1stアルバム
1996年 globe 4,136,460枚
1997年 FACES PLACES 3,239,180枚
1998年 Love again 1,657,970枚
Relation 1,729,710枚
1999年 FIRST REPRODUCTS 501,210枚
CRUISE RECORD 1995-2000 2,763,390枚 >>493
ほぼテレビ出ないで売ってるって凄くないか
夫婦の方が商売は確かに凄いが 雨のステイションの1976年のライブヴァージョン聴いたらビビった
クオリティー高過ぎるだろ 歌下手とか言われてるけど
ユーミンの声には1/fゆらぎがあってアルファー波が出てるとか
昔ユーミンがモンゴルのホーミーを歌う人達を訪ねる番組があってホーミーにもユーミンの歌にも共通の癒やし効果あるって分析してたわ 昔はすごかったけど今は終わった人だな
70婆さんがキラキラやられても見てるほうはしんどい ピンクレディーみてる方が恥ずかしいょ。ライブで熟睡出来る自信あり! 松任谷由実は数年に一度聴けばよい
中島みゆきは毎月五回は聴く この人のベスト5やったら荒井由実で独占じゃね?
バブル期に凄かったイメージあるけど今覚えてるのどおしてどおして僕たちは〜位しかないし。 あの日にかえりたい
卒業写真
遠い旅路
真夏の夜の夢
あとはそのどうして…か埠頭を渡る風のどちらかではないか 1990年代のCD爆売れブームに上手いこと乗っかれた >>528
この人はそのCDバブルの前からミリオン出してる >>529
せやからそれ以前に売れとった歌手でもや到来した爆売れ景気に乗れんかったら暗黒やろ >>530
どっちかと言うとこの人がCDバブル牽引したようなものでしょ。
日本初の150万枚、200万枚突破とか。 ユーミンはとにかく宣伝量が凄くて
山田詠美に「電通音楽」と揶揄されてたな 荒井由美時代の「動員」ってのが想像できないな。
松任谷由実になってからだろ、ド派手な舞台セットで客寄せ出来たのは。
おれも延べ3回くらい行った。
空中ブランコしたり、プールでシンクロしたり、アイスリンクでフィギアしたりと
まあ、相当にベタな内容なんだけどね。 >>528
年に2枚アルバムを出すという今では「信じられない時代」。
でも決して粗製濫造じゃなかったんだよな。
当時はまだ才能も枯渇してなかったし。 夫婦で毎日お茶の時間があると言ってたな
そういうのいいな Delight Slight Light KISS 以降のアルバムは
のれない。
聞き流してしまう。
これ以降のアルバムがとんでもなく売れたんだけど
要するにはやりもので
特に女性が買いあさったんだろう。
とにかくバブル期だったしな。金だけは皆もっていた。
要するにすぐ金を出して買った。
昨晩お会いしましょう は最高傑作だと思う。
素晴らしい曲だらけの傑作。 当時はレンタルも盛んだったしな
CDバブル直の人たちって意外と電子にうといですからね
あるものを聴くってことに慣れているせいなのか
それだけ思い入れもあるんですよ・・・ 初の100万枚アルバム:氷の世界-井上陽水
初の150万枚アルバム:Delight Slight Light KISS-松任谷由実
初の200万枚アルバム:TREE-CHAGE and ASKA
初の300万枚アルバム:The Swinging Star-DREAMS COME TRUE
初の400万枚アルバム:globe-globe
初の500万枚アルバム:B'z The Best "Pleasure"-B'z
初の600万枚アルバム:First Love-宇多田ヒカル
初の700万枚アルバム:First Love-宇多田ヒカル もし盛り返さなかったら夢グループコンサート出てたかな ユーミンが一番低迷していた79年頃かな、
あのとき確か松任谷正隆のほうがNHKFMでサウンドストリートって番組持ってた
ホンコンナイトサイトとか自分の曲かけてたからな ★日本歴代200万枚以上シングル売上
↓↓
およげ!たいやきくん 子門真人 457.7
女のみち 宮史郎とぴんからトリオ 325.6
世界に一つだけの花 SMAP 313.2
TSUNAMI サザンオールスターズ 293.6
だんご3兄弟 速水けんたろう、茂森あゆみ 、ひまわりキッズ、だんご合唱団 291.8
君がいるだけで 米米CLUB 289.5
SAY YES CHAGE&ASKA 282.2
Tomorrow never knows Mr.Children 276.6
ラブ・ストーリーは突然に 小田和正 258.8
LOVE LOVE LOVE DREAMS COME TRUE 248.9
YAH YAH YAH CHAGE&ASKA 241.9
名もなき詩 Mr.Children 230.9
桜坂 福山雅治 229.9
CAN YOU CELEBRATE? 安室奈美恵 229.6
DEPARTURES globe 228.8
黒ネコのタンゴ 皆川おさむ 223.5
WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~ H Jungle With t 213.5
恋の季節 ピンキーとキラーズ 207.7
Automatic 宇多田ヒカル 206.3
TRUE LOVE 藤井フミヤ 202.3
愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない B'z 202.1
恋しさと せつなさと 心強さと 篠原涼子 with t.komuro 202.1
愛は勝つ KAN 201.2
★日本歴代300万枚以上CDアルバム売上
↓↓
First Love 宇多田ヒカル 767.2
B'z The Best"Pleasure" B'z 513.6
REVIEWBESTOFGLAY GLAY 487.6
Distance 宇多田ヒカル 447.2
B'z The Best "Treasure" B'z 443.9
A BEST 浜崎あゆみ 431.2
globe globe 413.6
DEEP RIVER 宇多田ヒカル 360.5
海のYeah!! サザンオールスターズ 360.3
delicious way 倉木麻衣 353.0
Time to Destination Every Little Thing 352.01
Atomic Heart Mr.Children 343.013
Sweet 19 Blues 安室奈美恵 336.914
BOLERO Mr.Children 328.315
Neue Musik 松任谷由実 325.216
FACES PLACES globe 323.917
The Swinging Star DREAMS COME TRUE 322.718
Impressions 竹内まりや 306.719
ALL SINGLES BEST コブクロ 305.821
ZARD BEST The Single Collection ~軌跡~ ZARD 303.420
LOOSE B'z 300.322 歌だけ聞いてると最高なんだけど
顔とか話とか聞いてると気持ち悪いんだよね
歌手に手を出すPも気持ち悪いし >>537
全盛期が過ぎて下降線だったけどCDバブルが来たので
その時期の方が売り上げは多い
運も良かった >>543
松任谷正隆はPと言うけど、国内では有名なキーボード演者であって、松任谷由美からしたら同年代の演者同志と言う感覚だと思うよ。松任谷由美のファーストアルバムでもキーボードとして参加してるし。 松任谷由実しか知らなかったから松任谷由実を好きになって聴いてたよ
荒井由実を知ったのはその後、そんなに人が離れていってたのか >>546
荒井由実のファンが離れたのは曲調が変化したからであって、結婚したからではない
アイドルじゃないんだからw 正隆はユーミンのファーストアルバムと同時進行で吉田美奈子のアルバムにも参加してる。
吉田美奈子の方はもう世界観が出来上がってて僕が口を挟む余地はなかった。
一方由実さんの方は僕に色々意見を求めてきて僕の意見を全部取り入れてくれたと言ってる。
最初からユーミンの方がぞっこんで正隆の言いなりになる関係がすでにできてたんだな。 >>514
下手なのは間違いないよ
自分でもニューミュージック界の浅田美代子とネタにしてたぐらいだし
ライターとしては天才だが 松任谷正隆がわざわざボイストレーニングさせなかったんだよ
ビブラートも使わない 結婚したとき、月刊明星かなんかに
1ページ使った白黒写真が載ってて
「これがわたしのダーリンです!」って見出しは覚えてる
子ども心に、顔中髭ズラの顔の長い変な男、という印象だった。笑 >>524
>この人のベスト5やったら荒井由実で独占じゃね?
>バブル期に凄かったイメージあるけど今覚えてるのどおしてどおして僕たちは~位しかないし。
「好きなシングル」↓↓↓ ねとらぼ民の好みによるランキングだけどね・・・
2021年2月6日~2021年2月19日アンケート
ねとらぼ調査隊「あなたが好きなユーミンのシングルは?」
1位:埠頭を渡る風
2位:やさしさに包まれたなら(荒井由実)
3位:翳りゆく部屋(荒井由実)
4位:あの日にかえりたい(荒井由実)
5位:守ってあげたい
6位:Hello, my friend
7位:潮風にちぎれて
8位:春よ、来い
9位:ANNIVERSARY~無限にCALLING YOU~
10位:ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ
11位:夕闇をひとり
12位:ルージュの伝言(荒井由実)
13位:SWEET DREAMS
14位:真夏の夜の夢
15位:12月の雨(荒井由実)
16位:メトロポリスの片隅で
17位:ハルジョオン・ヒメジョオン
18位:VOYAGER~日付のない墓標~
19位:雪月花
20位:まちぶせ(荒井由実) >>537
え、ダイアモンドダストが消えぬまには乗れるの? 宇多田と林檎出てきた時天才少女と情念系てことでそれぞれユーミンと中島みゆきになぞらえる論調多かったけど今のイメージだと入れ替わってるな 観覧車とか名曲だろ
荒井由実時代を彷彿させる
青いエアメイルは岩崎宏美のシングル用に作ってボツになった >>556
何曲かは余裕でいけるね
なおダイアモンドダストは ユーミンは優れたシンガーソングライターだよ
中島みゆきに匹敵するのってユーミンしかいないもんなぁ 松田聖子の絶頂期の作詞家と作曲家達がたぶん日本では一番の作詞家と作曲家達。ユーミンも呉田軽穂名義で作詞してたね。 CDバブル前夜ぐらいに聴いたかなあ
デュライトスライトライトキスの頃 >>499
世間に対する影響の大きさが比に成らない 守ってあげたいは最初薬師丸ひろ子が歌う構想もあったらしいね >>566
みゆきがどうのって言うなら詩集だけ発売してればいいんでないの? 目指すは和製アバ
万人受けするポップスを貫いて50年
好いた惚れたのワンパターンに世間が飽き、今や25年ヒット曲なし
過去の作品の寄せ集めベストで存在感を維持しているだけだろ どんな社会でも上に立ったもん勝ちょ
あなた達知らないかも知れないけど、ユーミンの印税率日本トップょ 売れなくなったといっても
1981年5月21日 水の中のASIAへ 9位
が底。
ライブ中心の活動に移ってる時期だったし
年収自体はさして落ちてなかったはず。
次作の1981年11月1日 昨晩お会いしましょう 1位
で完全復活。というよりこれが最高傑作だと思う。
この20年間はベストアルバムだし過ぎ。 水の中のASIAへは4曲入りミニアルバムなのだが… >>563
呉田軽穂は作詞もしてるけど、松田聖子に提供したのは作曲のみ
その作曲がすごいんだよなあ >>473
CDが売れて神格化されたのは「私をスキーに連れてって」のおかげ
SURF&SNOWは私スキの後の方が多く売れた、恋人がサンタクロースを聴きたいニワカファンが購入したから
映画でユーミンの曲を推してくれた原田知世には足を向けて寝れない 世に出ている上っ面の話しで討論するのもいいけど、世界的に凄い話しもあるのょ ユーミンに世界的に凄い話なんてあるの?
まりやのプラスティックラブで火がついたシティポップブームに後から無理やり乗り込んできたイメージしかない セブンスターショーってのがあって
ユーミンの回で、ムッシュが拓郎の歌をメドレーで歌って
バックを務めるのが細野とか鈴木茂で
観客が眼鏡はめた女子大生風コスのユーミンがひとりでパフェを食べながらそれを見てる、っていう
考えて見りゃすごい贅沢なコーナーがあった >>578
あるわょ、ユーミンがやってきたライブは世界的に凄い事なのょ、ワールドツアーでもないのに国内だけであれだけのテクノロジーを使って。詳しい事言わないけど まぁなんやかんやで中島みゆきに敵わないところがユーミンのいいところ >>580
あれはソフト化すべき。卒業間近の女子大生、荒井由実の貴重な映像。数日かけて収録した丁寧に作られた非常に質の高い音楽番組。
当時のステージ衣装を着ているが既にぶっ飛んでる。地方の体育館でアリスやオフコースとともにあの銀ラメの超ミニで出たら客席はポカ~ン状態だったらしい。そう言えばデビュー当時、ラジオ局で黄色ミニのワンピースにツインテールしてたら「フォーク歌手がそんな格好するな」と言われムカついたという。 >>584
あの番組はプロデューサーが久世光彦だからね
何から何まで凝っててセンスがいい
あの番組が後のムー一族やザベストテンに繋がってると思う 名前変わるのは大きいだろうな
例えば、宇多田ヒカルが安倍ヒカルに変わったら人気落ちると思う なんでいつもユーミンネタになると
中島みゆきファンが必死に書き込むのか 新曲が古くさいのに今っぽい
時代が合わせてきた感じがする >>1
> 松任谷由実になって、地方のポスターに“元”荒井由実って書いてあるんですよ。
元ちとせ「分かるわー」 >>18
こないだBSのサウナ番組でヒャダインが初めてユーミンに会った時「どうも中島みゆきです」って返されたって言ってたw ユーミンは普通に聞けるけど中島みゆきは手が出せないな。
買うと暮らしが重くなりそうで。
谷山浩子も手が出なかった。少女マンガとかよく読むんだが。
ユーミンでも、「はるよー」というあの歌なんかはどうでもいいし。 >>588
1980年にレコーディングされたトラックみたいだから時代が追いついたんだな
松原正樹のギターと林立夫のドラムが冴え渡ってる この人も若い頃は結婚したら引かれるような客層だったのか シングルの最高位見ると、76年11月の結婚以降は順位がた落してオワコンみたいになってるな。
81年の守ってあげたいで復活、映画はクソだったけど。 松任谷由実って、生まれてきた時代が今だったらキラキラ系のインスタやってそう サブスクで気軽に聞けるようになって
この人天才なんだと思った この人は初めから順風満帆ですよ。
荒井由実でプチブレイクしたあと、シングルあの日にかえりたいで大ヒット。
結婚してから落ちたけど10万は超えてるし…
アルバムの売り上げが50万くらいに安定し出してから、シングル守ってあげたいが大ヒットしたことで、安定していた売り上げの段階がアップして70万クラスになる。
そのあと何でかしらんが突如大ブレイクして、バブルと共にミリオンおばさんに。 またみゆきちゃんファンが来てるの?
松任谷由実はオリジナルでもベストでもシングルでもミリオンセラーがある。
みゆきちゃんはシングルのみ。つまり手軽にしか聴いてもらえないおばあちゃん。 ねらわれた学園は、日本に学園SFというジャンルを確立した眉村卓の代表作で
映画化以前から原作を読んでいた自分からすると
「守ってあげたい」というタイトルはドンピシャとしか言いようがないタイトルだったんだよ
眉村作品の特徴の一つがSFの中に、隠し味のように少年少女の淡い恋心が描かれる点で
映画自体が酷評されたのとは裏腹に、薬師丸人気は次作のセーラー服と機関銃で爆発している
それだけ何かインパクトを与えた映画だったのは間違いない 70年代(荒井由実時代と松任谷初期)と80年代以降では曲の雰囲気が変わり過ぎていて、ファンの大半が入れ替わっているような気がする
長渕剛ファンの変遷に近いと思う >>604
本人は自分はキャロルキングとマドンナをやってると言ってる >>581
昨日から気になってるが、君はどうして男口調になったり、女口調になるのか?
君はゲイだろ? >>604
マンタがプロデューサーになってから音作り含めて変わった >>602
「ステージを大掛かりにするためにも今シングルヒットが欲しい」と80年にラジオで言ってたし、モロにヒット狙いのシングルを立て続けにリリースしてた。それでもあまり売れなかった。当時のステージでは「私のシングルはアルバムに入るからみんな買ってくれないけど、今度のは(白日夢)入ってないから結構売れてきてるんですよ」とあの程度の売り上げでも嬉しそうに言ってた。翌年の「守ってあげたい」も発売日に買ったけど、それほどピンと来なかった。人気アイドル女優映画の主題歌だから
8万枚くらいは行くかな、と思ってたら
どんどん売れはじめて本当にビックリしたわ。 呉田軽穂名義で作った松田聖子提供の楽曲印税でウハウハだろ ユーミンの楽曲は心の表面を感動させる
中島みゆきの楽曲は心の奥底まで感動させる >>610
真冬のサーファーはシングルにすべき曲だったと思う
当時のユーミンはちょっとお洒落すぎ、というかAORなどやや玄人好みに走っていた
真冬のサーファーはアメリカンポップス的でキャッチ―で
50Sブームにも乗れそうな曲だった
ねらわれた学園は薬師丸の相手役オーディションに物凄い殺到してたし
原作にピッタリのイメージだったので絶対にヒットすると自分は思った >>3
正直ずっと別人だと思ってた
同一人物であることを知ったのは高校生になってから >>600
「なんでか知らんが大ブレーク」
私をスキーに連れてってのおかげに決まってるだろ、アホか 長者番付 歌手
1983年
順位 氏名 納税額 前年順位
1 松任谷由実 6,935 8
2 五木ひろし 5,653 2
3 北島三郎 5,291 9
4 美空ひばり 4,964 5
5 森進一 4,961 11
6 中島みゆき 3,839 15
7 沢田研二 3,785 13
8 田原俊彦 3,587 -
9 近藤真彦 3,456 -
10 イルカ 3,301 7
1984年
順位 氏名 納税額 前年順位
1 松任谷由実 9,222 1
2 美空ひばり 7,351 4
3 五木ひろし 5,300 2
4 森進一 4,906 5
5 桑田佳祐 3,659 11
6 田原俊彦 3,452 8
7 和田アキ子 3,422 20
8 沢田研二 3,206 7
9 北島三郎 2,997 3
10 谷村新司 2,875 16
1985年
順位 氏名 納税額 前年順位
1 三波春夫 12,741 11
2 松任谷由実 7,346 1
3 美空ひばり 5,826 2
4 五木ひろし 5,014 3
5 森進一 4,997 4
6 井上陽水 4,082 -
7 高見沢俊彦 3,994 -
8 北島三郎 3,425 9
9 桑田佳祐 3,420 5
10 谷村新司 2,880 10 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています