0001湛然 ★
2022/09/12(月) 05:40:27.03ID:CAP_USER99/11(日) 11:12 文春オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/31084a75bd66d49655a10f7f5dcdd5e3c7516189
ファンの悲壮な顔に愕然とした
◆コンサートのチケットは入手困難で有名
(※中略)
◆次の世代に返してやらなきゃならない
――震災があり、直近ではコロナによるパンデミックがありました。老いも若きも生き抜くことに困難を感じる時代がずっと続いています。
山下「音楽業界も同様で、若い人が音楽で食べていくことが、ものすごく難しい時代になってきました。昔だったら音大を出て、中学や高校で音楽教師をやることで生活の糧を得る。そういう最小限のセーフティネットがあったのが、今は少子化でしょ。教えるといったって、そもそも子供がいないんだから教えようがない。オーケストラが狭き門なのはもとからなので、音大を出ても職がない。結果、音楽行為をする人間の数がどんどん減っていくという、負のスパイラルが続いているんです。
そういう時代に、じゃあベテランと呼ばれる立場にいる人間は何をするべきか。同世代同士、懐古的でもなく、傷のなめ合いでもなく、未来へ向かってどういう音楽を行為して行くか。昔は良かった、というような懐古主義が嫌いでね。僕自身、若い頃に『今時の若いやつは~』みたいな決まり文句を浴びるほど聞かされたので、自分が年取った時、それだけは言うまいと心に決めてきた。還暦を過ぎた頃から、余計にそう思うようになりました。
ジェームズ・ブラウンの有名な言葉で“自分はどん底から這い上がってきた。今度は次の世代にそれを返してやらなきゃならない”というのがあるんですが、要はジイさん、バアさんになった時に、次の若い世代に向けて果たすべき責任があるということ。僕が自分のバンドのサックスやドラムに若い人材を起用しているのにはテクニックの問題だけでなく、そういった理由もあるんです」
(※中略)
◆ユーミン『12月の雨』のコーラスがきっかけで…
山下「ただ、たとえ背景が違っていても、音楽をやってる者同士の“縁”が不思議な繋がりを作っていったのが70年代の音楽業界のおもしろいところで、僕の場合だと、たとえばユーミン(松任谷由実)がそうですね。彼女と知り合ったのも坂本君と同じ1974年頃です。彼女が結婚して松任谷姓に変わる前、荒井由実として活動していた時代。『12月の雨』という曲のコーラスを依頼されたのがきっかけだった」
――ユーミン初期の名アルバム『MISSLIM(ミスリム)』収録の曲ですね。
山下「ちょうど僕がコーラスのスタジオ仕事を始めたばかりの時で、あの時代、僕のようなタイプの男性コーラスは他に1人もいなかったんです。当時のスタジオミュージシャンのコーラスと言えばグリー・クラブ直系。一時代前のコーラス・スタイルしかなかったので、ロックやフォークのコーラス仕事は相当数やりました。
ユーミンから声がかかったのも、僕がバックコーラスで参加していたライブを、たまたま彼女が観に来ていたからなんです。そのとき一緒にコーラスをやっていたのが、僕が当時やっていたバンド、シュガー・ベイブのメンバーの大貫妙子さんと村松邦男さん。“あのコーラスは誰? おもしろいから呼んできて”ということになって、3人してレコーディングに参加することになった。
縁は異なもので、そのちょうど1週間前、ター坊(大貫)が仕事で吉田美奈子さん(シンガー・ソングライター。70年代半ば以降、山下の作品に歌詞を提供)と初めて会ったんです。その流れで美奈子もユーミンのレコーディングをのぞきに来て、彼女も結局コーラスで参加することになった」
◆矢野顕子さんも“鈴木顕子”名義で参加してます
――「あなただけのもの」「生まれた街で」「たぶんあなたはむかえに来ない」など、『MISSLIM』の決して“匿名的でない”コーラスが、今ではあり得ないくらい豪華な顔ぶれだったのには、そんないきさつがあったんですね。
山下「ター坊、美奈子と並んで、矢野顕子さんも“鈴木顕子”名義で参加してますから」