第1回大会(1915年)から1世紀を過ぎても、深紅の大優勝旗が「白河の関」を越えて東北の地に降り立ったことはない。仙台育英は積年の悲願に挑む。

 東北のチームが決勝に臨むのは4年ぶりで、仙台育英の3度を含めて10度目。決勝は延長や接戦が多く、優勝旗がすぐ手の届くところまで何度も迫ってきた。

 大正4年に開かれた第1回大会決勝は、秋田中(現秋田)が延長十三回の末、サヨナラ負け。半世紀以上を経た第51回(69年)は、元祖「甲子園のアイドル」の太田幸司投手を擁する三沢(青森)が、松山商(愛媛)との延長十八回引き分け再試合の末に敗れた。

 元号が昭和から平成に変わって最初の第71回(89年)は、大越基投手が活躍した仙台育英が初の準優勝。この年の決勝も延長十回の激闘だった。

 今世紀に入ってから、東北勢の決勝進出は珍しいことではなくなった。第85回大会(2003年)は、2年生だったダルビッシュ有投手が注目を集めた東北(宮城)が接戦の末に敗れた。光星学院(青森、現八戸学院光星)は、第93回(11年)から2年連続で決勝に進出。「高校野球100年」の節目を迎えた第97回(15年)は仙台育英が2度目の決勝を戦ったが、九回に勝ち越し点を奪われた。第100回大会(18年)は、吉田輝星(こうせい)投手を中心にメンバー全員が地元出身の金足農(秋田)が準優勝した。「金農旋風」は流行語にもなった。

 元号が令和に変わってから、東北勢初の決勝進出となった今回。東北の6校のうち5校が初戦を突破し、準決勝は初めて東北勢対決となるなど、みちのくのチームの活躍ぶりが目立っている。(八鍬耕造)

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