乳母制度というのがよう分からんのだが、
育ての親に近いのか?

頼家は頼朝と政子のほか比企能員夫妻のとも、
実朝は頼朝と政子のほか阿野全成夫妻のことも、
一幡は頼家とせつのほか仁田忠常夫妻のことも、
善哉(公暁)は頼家とつつじのほか三浦義村夫妻のことも、
親の様に思っていたのかな、
ぐらいの理解で良い?

色々なところで関係性を作ることで鎌倉勢力全体の団結をはかろうとしたが
複雑さにより却って分断の連鎖が起きたのか、
と思いきや、頼家の乳母は比企氏だらけだったりしてるんだな。。。
何がしたかったんだろ。。。